ったくあの男、急にやってきては一回りしてすぐどっかに行きやがって、一体何しに来たんだ?
番頭、もしかしたら巡防営の私服軍人で、うちらが密輸者を匿っていないかどうかを調べに来たんじゃないすか?
何が私服軍人だよ、あんなドタバタと動き回って、目立つったらありゃしねえだろ。
じゃあもうただ荒らしに来ただけっすね、俺がいっちょ捕まえに行ってきます。
お前に捕まえられるもんかよ。奴さん一瞬であんな遠くまで逃げて行きやがったんだ、ありゃ明らかに“デキる”人間だぜ。
さっきので最後の宿屋だったが、クソッ、見つからねえ。
あのクソガキが、都市を出るつってるのに城門のほうにもいなかった。
ひでぇケガをしてたもんだから、一番いい薬を使ってやったってのに。もしこれで逃がしちまったら、薬代は全部俺が払うことになっちまう。
それだけは勘弁願いたいぜ、なんとしてでもあのガキを捕まえねば。
リーさんのその例え、ちょっとよく分からないのだけれど。
まあ、あんまりいい例えじゃないのは確かでしたね。
おれが龍門で小さい事務所を開いたのは、せいぜい普通に暮らしたいからってだけで、別にこうも贅沢をするつもりなんてなかったんです。
お陰様で羽振りのいい仕事を貰っちゃいますが、そのどれもが望んだ仕事ってわけじゃない。だからってそれを全部、魏彦吾と近衛局に丸投げするわけにもいかないでしょう。
そこでリンさんみたいな善良な市民の手助けってもんが、どうしても必要になってくるんです。
そればかりはどうしようもないわね。
そう、どうしようもない……龍門にしかり、玉門にしかり。
玉門が一年を通して北方の辺境を徘徊し続けてきたのは、危機という危険を炎国から遠ざけるためだった。
ですが昔、源石技術が今ほど発展していなかった頃、玉門みたいな要塞都市を正常に運行するには、今よりも数倍の人手を必要としていたんです。
ちょうどその頃、お国のために尽くそうとする気骨のある武人たちが大勢いましてね、こぞって玉門へ駆けつけていったんです。正式に軍へ入ることはありませんでしたが、それでも玉門に尽くしてくれました。
トランスポーターの護衛だったり、進路の斥候だったり、軍と一緒に戦地へ赴いたり……玉門のこういった安寧は、彼らなしでは語れません。そういうこともあって、ここはとても武人に敬意を表していたんです。
国のためであれば、誰もが一心にそう尽くしてくれていたわ。
そう、玉門も昔はそんな感じでした……二十年前に起ったある事件まではね。
山海衆が現れるまでは、かしら?
その通り、またしても山海衆が原因だったんです。
伝えたいことならこれだけだ。
平祟侯のご公務をお邪魔していないといいんですがねぇ。でなきゃ首がいくつあっても足りねえや。
……
私が許可を出さないことなら、とっくのとうに分かっていただろ。
短い角笛の音が聞こえてきた後、城壁を照らしていた軍用の源石照明は一斉に明かりを消し、二人の対話は暗闇によって隔てられた。
ただほんのしばらくした後、ゆらゆらと揺らめく明かりが遠くからぽつぽつと現れてきた。
そこへ軍の兵士らが城壁の上を忙しなく行き交い、十歩数える距離に一人が立ち並び、狼煙が次第に遠くまで伝わっていく。
十七回にも及ぶ戦太鼓の響きもこの時に鳴らされた。しかし高速で移動する玉門によってか、その余韻はすぐさま深い夜の中へと消えていった。
今日は望烽節の二日目だ。
この祭りを設けたのは、いつまでも玉門の人々に過去を忘れないでもらうためにある。
もしももう少しはやく、あるいは遅く、こうして顔を合わせることがあったのなら。
その時、平祟侯も色々と思い出してくれていたんじゃないでしょうかね。
忘れられるはずもない。
なら、この玉門のために犠牲となった英霊たちの中で、どれだけが軍のものじゃなかったかは憶えているか?
玉門は、そんなヤツらにデカい借りがある。
この玉門が、誰かに借りを作ったことなら一度たりともありはしない。
てめえ!
(巡防営の城兵が駆け寄ってくる)
……
構わん、下がっていろ。
二十年前のあの時、確かに俺が油断したせいで、武人のナリをした盗賊連中を都市に入れさせ、一般人らに危害を加えさせることになっちまった!俺を恨むってんならそれでも構わねえ、たとえ命で償うことなっても!
だがその罪を問うってんなら、それはこの俺か、あるいは貴様自身に問うべきだ!
あの時の責任なら、すべてこの私一人が背負うべきものだ。
どう背負うってんだ?今までずっと、玉門のために血と汗を流してくれた兄弟たちを遠ざけ、あまつさえそつらを玉門から追い出したことが、貴様の言う責任の背負い方だというのか!?
……
そいつらのためにも、玉門には弁明をしてもらわなきゃならねえ!
玉門はこの大炎の玉門だ。ここがしてきたことは、すべて大炎臣民らの安寧のためにある。これが私からの弁明だ。
満足したのなら、もう帰ってくれ。
“山海衆”、その名前を誰もが知っているってわけじゃありません。
誰かが油断していたせいってわけでもなくてですね、あの頃は外敵に備えることしか知りませんでしたから、まさか裏から玉門を狙っている輩がいるとは思いもしなかったんです。
鏢客も、拳法家も、武器職人も……みんな玉門軍と一緒に動いていたものですから、当時の玉門内の往来はそれなりに自由でしてね。ただそこを山海衆に突かれてしまったんです。
市内はまったくそういったことに備えちゃいませんでした、それで反応も色々と遅れてしまって。都市の中枢動力源を破壊する山海衆の計画なら阻止できましたが、それでも大勢の犠牲は避けられなかった。
そんでその後は、本来なら……
本来ならばこれ以上の犠牲を出さないためにも、防衛を強化するべきだった。
もしくは、“角を矯めてウシを殺す”って言うべきでしょうねぇ。
そういった事件が起こった後、平祟侯は治安維持の改革に乗り出したんです。いかなる事態が発生したとしても、今後一切、有志の者らの力は借りないって改めたり、人の流れを制限したり。
だからここに残った人たちは、軍に入ったり、得物を仕舞ったり、静かに一般市民として暮らすようになったんです。そこらの宿屋にいる料理人を探せば、かつて名を馳せていた武人だったなんてことも。
なんせ二十年ですからねぇ……一つの都市が何度も様変わりするには十分ですよ。
父さんもいつも言っていたわ。龍門もいずれはダウンタウンも鼠王も必要なくなるって。
いつかこの都市が砂漠を彷徨う必要がなくなれば、街にいる住民らも得物を所持しておく必要はなくなる。考えてみれば当然のことね。
時代は変化するものですけど、それを推し進めようする者もいれば、いつまでも引き留めようとする者もいる。でもそんなことしてちゃ、両者ともに時代に取り残されてしまうもんです。
おれが聞いた話は以上になります、少しでもユーシャさんの助けになっていれば幸いです。
……とても助かったわ。
ありがとう、リーさん。
おうお前ら、そっちはどうだった?
相変わらず十人で一チームでしたよ、一時間ごとに交代です。砂渠のほうも、守りの人数に変わりはありませんでした。
そうか、こっちと一緒だったな。
それで、もう一つだけ頼みたいことがあるんだ。
明日夜の酉の刻、砂渠のあたりで少しだけ騒ぎを起こしてもらいたい。
デカくする必要はない、巡察隊を惹きつけてやればそれでいい。
モンさん、それって……
余計なことは聞かないでくれ、とにかく今は俺を信じろ。
……分かりました。
あの、さっき城壁に上がった時、あのズオ・シュエンリャンとは会えましたか?
ああ、ちゃんと会ったさ。
(セミの鳴き声)
どんどん気温が熱くなってきている……
昨晩、ウェイ・イェンウーの暗殺を試み、玉門軍営をかき乱した刺客は、おそらくですがあなたで間違いは無さそうですね。
そしてあなたが現れた後、ここの気温が狂い始めた。アーツか、それとも何かの仕掛け?
……
信使の殺害、天災データの強奪未遂、そして立て続けに起こった朝廷要員への暗殺……
山海衆、貴様らは玉門をなんだと心得ているッ!?
目的地を見誤った都市、よ。
目的地を見誤っているのなら、これ以上そこへ進むべきではない。
玉門が帰国する目的を知っているということか……
そう難しい問題ではないからね。
ボクは父から三日以内に、宗帥の剣を取り戻し、刺客を捕え、市内に潜伏している山海衆を捕縛するという三つの命令を受けました。
それがまさか、こんな小さな鍛冶屋にすべて揃っていたとは。
けど、あなたじゃ一つも成し遂げられそうにないわね。
(チュウバイがズオ・ラウの前に立つ)
あなたは下がっていてください。あの者は中々の実力者、私たちだけでは太刀打ち出来そうにありません。
あなた、あのフォルテの大男ほどの実力はないけれど、少しはいい反応速度を持っているわよ。
やはりタイホー殿をやったのはあなたでしたか。
先ほどの一撃、よくぞ避けてくれた。けど次の一撃は、はたしてまた避けてくれるのか、それとも受け止めてくれるのかしらね?
……
避けることも、ましてや受け止めることもしない。
あの人は常に彼女へこう伝え続けてきた。復讐にしろ、我が身を守るにしろ、武を習うのであれば、自らの足でその高みを目指せと。力が及ばないのであれば、猶のこと心を強く持つべきだと。
その者は仇敵にして、高い山でもあった。だからこそ彼女は、その者の傍で五年もの歳月を共にした。
その戦いに勝てないのであれば、せめて負けないように努めるのみ!
(チュウバイが山海衆の頭領の斬撃を防ぐ)
ほう、攻めることで守りに徹するつもりかしら。
中々頭が冴えているようだけれど……
残念、その考えじゃまだまだ甘いわ。
……
刃を交えたその瞬間、仇白は己がどれだけ軽率だったかを思い知らされた。
今彼女が対峙しているのは、もう一つの高い山であったのである。
刃の無情な寒光は顔へ反射し、鼻先はその刃に結露した露に触れ、心臓の鼓動が鼓膜を打ち付けてくる。
もしこの場にあの録武官がいたら、きっと彼女が武道場であの技を再現したのだと大声で喚き散らしていたことだろう――
一気に攻めに入るも、次の瞬間にはその勢いを押し殺す。綺麗な湾曲を描いたその死の円弧に触れる寸でのところを避ける様は、まるで危うく川の荒波に呑み込まれそうになる羽獣のようであった。
(悶える)
今の一撃、また避けてくれたわね。
(ズオ・ラウがチュウバイの前に立つ)
これ以上の狼藉は許しません!
へぇ。あなたが、私を?
だめです、避けて!
ズオ・ラウは咄嗟に、チュウバイに襟元を強く掴まれて引き戻された。
彼の視界に見えるその女は、まるで影のように姿形を変えながら、三回目となる剣撃を繰り出そうとしていた。そして繰り出された瞬間、中庭全体がほんの僅かの間だけ明るくなったのである。
未だに弥生の月であるにも関わらず、鋳剣坊には夏が到来しており、熱気が立ち込めている。夜空ですら、その熱気に蒸されて色白に見えてしまうほどだ。
そしてチュウバイら二人の背後には、あの老いたエンジュの木だけが佇んでいた。もはやこれ以上の逃げ場はない。
……
剣が……
動かないでって言ったでしょ!
そんな状態で、まだ剣のことしか考えていないだなんて、あの女に真っ二つにされたいわけ!?
モン・テーイーの行方を教えるまで、勝手に死ぬことは許さないわよ!この※尚蜀スラング※!
(何者かが山海衆の頭領の攻撃を防ぎ、ジエユンを抱えて後ろに下がる)
中庭に、突如とガタイのいい大男が現れた。
一気呵成に、拳で剣撃を弾き、剣を取り戻そうと飛び出してきた少女を掬い上げたのである。
彼はまるで地面に撒かれた冷水の如く、その場にいた人たちは咄嗟に退散して空間を開けていった。
それもあってか、悶える熱さも一気に冷めていったのである。
さんざん探し回ったぞ、このクソガキが。
は、放して!
お前、危うく命を落とすところだったんだぞ。
医館で大人しくしていろって言ったのに、何あちこち走り回ってるんだ。おかげで怪我がまたひでぇもんになっちまったじゃねえか。
……
武術狂いのワイ、お前まだ玉門にいたのですか?
なんだ、お前か。
お前の師匠は退任してからじゃないと俺と勝負をしないと言うものだからな、そりゃそれまでにここで待つしかないだろ。
つまりこの三年間、どこにも行かなかったと?
ああ、どこにも。
それ以上に大事なもんはねえだろ?もしあいつが玉門を離れちまったら、俺はこの先あいつ並みの相手をどこで探しゃいいってんだ。
そんなに拳が疼いているのでしたら、今目の前にいるあれとやり合ってみたらですか?中々手応えのある相手ですよ。
この女のことを指してるのか?
……また邪魔なのが出てきたわね。
(ワイという名の男が山海衆の頭領の一撃を避ける)
お前……さっきの一撃を受け止めてから、おかしいとは思っていたんだ。
剣そのものは重かったが、形も意も、何もかも感じなかった。一体どっからそんな怪しい力が出てるのかは知らねえが、お前は決してその手の名手ってもんじゃねえ。
お前を相手にしてる暇はねえぜ。
ほらケイさん、中でめちゃくちゃ騒ぎが起こっていますよ。
さっきいたあの若いの、何も言わずに門を破って中に入っていったんです。俺だけじゃまったく止めに入れませんでしたよ。
あの野郎、中で好き勝手に暴れ回りやがって。
鉄衣の兄貴はもうこの鍛冶屋しか残っちゃいねえんだ。普段からあんなに世話になってる以上、ここで助けてやらなきゃこの先合わせる顔もねえ!
門主様、かしら、侠客連中がここにやってきました。
玉門の防衛軍もその後ろに続いて、鋳剣坊前の大通り、苦井街、長門街の三方向からこちらに向かって来ています。合わせておおよそ百人の規模にはなるかと。
……
お目当ての人がいないのなら、ここに長居しても時間の無駄だわ。
突如として、辺りは静寂を取り戻した。蝉の声も、まるで最初から存在していなかったかのように。
やはり今は弥生の月であった。早春の寒さは衣を通り抜け、その場にいた誰もがぶるっと思わず身震いをする。
退け!
待ちなさい!
……
荊さん、あいつです!
お代官殿、どちらへ向かわれるつもりかな?
そこをどきなさい!
中庭はもうしっちゃかめっちゃかで、壁もろくに残っちゃいない。説明もなしにとっとと退散するのは、あまりにも道理に反するのではないのか?
いま玉門軍は凶悪犯どもを追っているのです、我々の邪魔をするのであれば問答無用に逮捕しますよ!
ちょっと待った、お前……あのズオ・シュエンリャンの息子か。
ズオ・シュエンリャンの野郎、とうとうこんなちっぽけな鍛冶屋すら容赦しなくなったのか?
黙れッ!いいからそこをどきなさいッ!
公子殿。
千夫長か、こちらへ来る道中に山海衆を見かけましたか?
ご安心を、すでに追っ手を向かわせて追跡しております。
よし、ならこの場にいる全員を軍営へ連行してください。
しかし公子殿、ここにおられる数十人は全員市内の住民ですよ……
この者たちは犯人らが撤退するタイミングに現れました。我々の追跡を妨害した容疑がかかっているので、徹底的に調べ上げる必要があります。
その他も、多かれ少なかれ今回の事件と何かしら関わっているに違いありません。
あの奇抜な恰好をした女の子は最初からここに潜んでいたものだったから、きっとモンさんの行方を知っているはずだわ。もし彼女を連れて行くのなら、あたしも連れて行きなさい。
ここの鍛冶屋は山海衆と深い関係にある。ドゥさんもモン・テーイーとは浅からぬ関係をお持ちのはずですから、元よりあなたにもご同行をお願いするつもりでしたよ。
……
では、そこのお嬢さん。
……
そいつはできない相談だ。このガキには帰ってケガを治して、それから薬代を払ってもらわなくちゃならねえからな。
ふざけるのも大概にしてください。
イヤだ!あなたと一緒に帰るわけにはいかない!
駄々をこねるな、あの剣が欲しいんだろ?だったら……
(ワイという名の男がズオ・ラウの持つ剣を奪い、ジエユンを抱えてその場を離れる)
なっ、何を――うわッ!
――!
千夫長、あなたは先にこの者たちを軍営に連行して取り調べをしてください。ボクは宗帥の剣を追います。
(ズオ・ラウがワイという名の男を追いかける)
チュウ殿、大事ないか?
かすり傷です、問題ありません。まずはズオ・ラウの指示に従って、軍営に帰還しましょう。
ですが、駆けつけて来てくれた者たちをあまり困らせないでやって下さい。
(ワイフーの前をワイという名の男が通り過ぎる)
あの人は……
鋳剣坊からの騒ぎを聞きつけ、駆けつけようとしていたワイフーであったが、その人影を目にして思わず足取りを止めてしまう。
大通りに面する建物の軒先を飛んでいったその人の姿は、もうすっかり姿も形もなくなっていた。まるでただ風でも吹いていたかのように。
それでもワイフーは静かに拳を握りしめる。
見間違うはずだない、彼女はそう確信していたからである。