(録画開始音)
感染日記:
今日は病院に行った、心にどっしりと構えてあるデカい石もようやく降ろすことができそうだ。しかしまさか、本当に自分の身体の中に“石”があったなんて。
ぼくは小さい頃から病院の常連客だった。お医者さんから末期宣告をされた時は、正直そんなに実感は湧かなかった。
“命の意味とはなんなのだろうか?”、何度も映画やら書籍で論じられてきた問題だ。ぼくにとってそれは、もうさほど意味はない。
ただ最後に残された時間で、正真正銘自分だけの作品を完成させてやりたいだけだ。
よくよく思うのだが、ぼくたちの視野というのは知らず知らずのうちに目の前に見える環境と、テレビで描かれてるこの大地の印象に取り残されているのではないだろうか?
ぼくたちは煌びやかな高いビル群やネオンに彩られた夜を見慣れているけれど、まるですべてを抱擁してやれるほど巨大な移動都市という存在を忘れてしまっている。まあ正直、それもこの大地からすればちっぽけな存在なんだけど。
それを言えば人間というのは、なんともさらにちっぽけな存在なんだろうか。
だからこの最後の作品は、できることならドキュメンタリーにしてやりたい。
自分の見知った環境を抜け出し、できるだけ遠くへ行って、見たことのない景色を目に焼き付ける。そういった人知れない隅っこにはどういった人たちが暮らしていて、またどういった人生を送っているのかが知りたい。
ところで、独りでドキュメンタリーの撮影を完成させるのは、きっとそこそこ困難なことだろうね……なんせ遠い場所に行くんだ、撮影機器だけを持ち込むわけにもいかない。
ハッ、なに弱音を吐いてるんだか。もしかすれば道半ばで鉱石病が突然発作を起こして、作品もろとも命を終えてしまうかもしれないっていうのに。
それなら今のうちに、この作品の題名を考えてやったほうがいいのかもしれないね。
合わせて手紙が337通と、お荷物が25件ですね。もう一度チェックしてみては如何でしょうか?
局確かに数量に問題はありませんけど……これだけの量、本当に一人で届けるつもりなんですか?
造作もありません、いつものことじゃないですか。
今回のスケジュールはおおよそ半月といったところでしょうかね。途中、西のほうにある町にも行かなければならないんです、何やら急を要したブツを届けてほしいとか。
毎年春に入る時期はいつも以上に忙しいっていうのに、本当にご苦労様です。
いえいえ、これぐらい当然ですよ。
それがその……実はですね……
なんですか?何かあれば遠慮せずに。
最近家族のために服を何着か、それと化粧品をいくつか買ってあげたんです。そちらの手間が空いていたのならと思ってたんですが……
なんだ、そんなことですか。それならちゃちゃっと出してください。
ありがとうございます、姐(あね)さん!
姐さんって、そちらのほうが私よりも何歳か年上だったはずでは……
(大量の服が置かれる)
よっこいしょっと――
こ、これが……何着か?
だから言えなかったんですよ……
あっ、もし無理なら無理でも……
いいえ、全部預かりますね。どうせすでに大量の荷物を預かったんですし、そちらの荷物が加わったところで変わりはありませんよ。
本当に助かります!
そうだ、もしうちの両親と会えたら、代わりによろしく伝えてやってくれませんか?来年年越しの際は、必ずそっちに戻るって。
ええ、承りました。
では。
あの、ちょっといいですか……?
えっと、私ですか?
は、はい!
急に話しかけてすみません……あの、この付近を回ってる信使のお方ですか?
この山一帯の手紙や荷物は全部私が配達しているので……まあそう言えますね。
あなたは……?
こんにちは、自己紹介がまだでしたね。ぼくは映画の監督をしてる者でして……ちょうどこの山一帯のドキュメンタリーを撮ってるところなんです。
その、一緒について行ってもいいですか?もし可能でしたら、お姉さんのことも撮影したいと考えてまして……
……
あの……決して怪しい者じゃありませんから!
身分証はその、この前寄った村からここに来るまでの途中で失くしてしまったんです。ほかにも身分を証明できるものは持っていなくて……
ほらこれ!ぼくのリュックの中身、本当に撮影機器しか入ってませんから……
さっきドキュメンタリーって、言いました?
えっと、ドキュメンタリーって言うのは……
ドキュメンタリーの意味なら知っています……にしても、なぜ私を?
ここの山奥に暮らす人たちの生活を記録したいと思っていまして、ただまったく知らない環境で……信使のお姉さんならきっとこの辺りについて色々と詳しいんじゃないかと……
なるほど、理解しました。
しばらくの間だけご一緒させていただければ、それで十分です!そちらのお仕事の邪魔は絶対にしませんから!
撮影させていただいた報酬は、あんまりないですけど、でももしそちらさえよろしければ、お姉さんの名前をスペシャルサンクスの枠の一番上に書いてあげますから!ですから……
そういうのを気にしてるわけではないのですが……
まあ……いいでしょう……
何を撮ってらっしゃるかはさっぱりですが……
こちらの邪魔さえしないでいただければ構いません。
両親と一番仲のいい友だち数人のために、簡単な別れの手紙を残してあげた。どうか何も言わずに去っていった、この口下手で時間も残り僅かなぼくを許してほしいと。
両親はいつだってぼくを安全な場所に留めて、守ろうとしてくれていた。二人がこれまでしてくれたことには感謝してるけど、それでもどうしても出て行かなきゃならない理由がぼくにはある。
どうか二人がこの作品を見た時、今回ぼくが遠出していった意味を理解してくれるといいな。
人工的な土地にではなく、正真正銘の土を足で踏みしめた時、ぼくが今までにない興奮と喜びを感じたことに。
この短い数か月もの間しかない見聞が、ぼくが過去数十年に過ごして人生の経験よりもよっぽど価値があったことに。
ようやく透き通った星空と、天災に翻弄されてしまった土地を見たこと。荒野でせっせと働く馳道の工事部隊と、千里も奔走する信使たちと出会ったことに。
ぼくは今まで人影すら見当たらない砂漠や、声すら凍り付くような氷河、そして穏やかで活発な村を渡り歩いてきた――大晦日の夜に、そこに住まう村人たちが手厚くぼくをもてなしてくれて、自家製の純米酒をご馳走してくれたんだ。
正直言って、ただ観客の機嫌を取るシーンが盛られただけの浮ついた作品には飽き飽きしていたんだ。どれだけの興行収入を稼いだかとか、少し観客たちの笑い声や涙を騙し取って、それから二度と世間で話題にならなくなったような、そんな作品に。
作品というのは一度楽しんだら捨てられるような一時的な消費物であってはならない。残される価値と、後世に引き継がれる重みを持つべきだ。
虚構の物語で可能な限り“真に迫った”の人たちを捏造するぐらいなら、直接この大地に生きる人たちの本当の姿を映し取ったほうがいいじゃないか?
今のように、こうしてカメラが捉えた1フレームずつの画面にこそ、意味がある。
果てしないこの大地と、そこに生きる数えられぬほどの人々。ぼくはそれらをこの目に焼き付けておきたい。
時間はあまり残されていないけど、それでもぼくは確かに“生きている”ことを実感できるんだ。
……けどそういった実感があるからこそ、やって来る終末が恐ろしくも感じるんだけどね。
監督メモ:
星と朝日が交代し始めるような、そんな夜も明けていない時間に、信使のお姉さんは重い荷物を背負い、忙しない一日を始める。
こういった辺鄙な山間での荷物や手紙の配達、あるいは情報を伝達するには、どうしても人手が必要となってくる。
独りこんな山奥の中を歩き回る必要があるのだから、必然的に様々な困難とぶち当たる。彼女のような信使さんは、毎日十数里もの山道を歩かなければならない――
十数里じゃなくて、数十里です。
十数里だったら、こんな山一つすら超えることはできませんよ。手紙の配達なんか論外です。
すいません、間違えてしまいました。ここのナレーションはまた後で撮り直しておきますね……
(撮影者が息を切らす)
それよりも……大丈夫ですか?今背負ってるリュックも預かりますよ?
いえ……大丈夫です……
まだ……歩けますから……
けど今日の午前からまだ一か所しか配達が終わっていませんよ。普段と比べれば、もうだいぶペースが遅れてしまってますし……
本当に申し訳ないです!がんばって追いつきますので……
まあいいや、ともかく無理は禁物です。
いつも身体を動かしてるようにも見えませんし、野外で倒れてしまったらもっと厄介ですからね。ここでひとまず休憩しておきましょうか。
(トランスポーターが水を入れる)
はい、少しお水を飲みましょう。
それとこの包帯でしっかり足首をテーピングしてくださいね。さもないと明日になったら足が動かなくなるので。
ど……どうも……
本当に申し訳ないです……仕事の邪魔はしないって約束したのに。
あはは……まあ最初から信じてはいませんでしたけどね。都会からやってきた色白な方が、こんな山道で私について来れるはずがありません。
そういえば気になっていたのですが、ずっとカメラを回して何を撮っているんです?
えっと……道行く道で見た風景だったり、人たちだったり……
キレイでかっこいい役者さんや、美麗で大迫力なシーンが使われている映画なら見たことはありますけど……
こんなハゲ山を撮る意味なんてあるんです?
当然ありますよ!
“美しさ”とは“真実”にのみ宿るもの。あんな着飾られた美麗なシーンなんて、結局はただの欺瞞でしかありません……
人知れぬ景色と、二度と戻ってこない時代の中で消えゆくものたちを記録し、それを多くの人たちに見せること、それ自体が非常に有意義なことなんです!
そういうものですか……
ちょうどいいや、休憩がてらあなたにインタビューしてもよろしいですか?
インタビュー……ですか?
いくつか質問するだけです。もし答えたくないのなら、それでも構いませんから。
それは別に構いませんが……インタビューって、このカメラに向かって話さなければならないのですか……?
では信使さん、あなたはずっとこの辺りで暮らしてきたんですか?
いえ、学校に通っていた頃は数年ここを離れていましたが、卒業した後にまたここへ戻ってきた感じです。
では、お姉さんにここを紹介してもらってもよろしいでしょうか?
こんなところ、紹介するような場所なんてないのですが……
まあ見た通り、至って普通の山ですよ。場所も比較的辺鄙ですし、人口も多いわけではありませんから、普段は他所から人が来るなんてことはあまり……
私に物心がついてから、ここはさほど変わってはいませんね。一番最近で真新しいことが起こったと言っても、馳道が敷かれたことぐらいでしょうか。
ここに住んでる人たちは、何を頼りに生きてるんですか?
その年の収穫が悪くなかった場合は、みんな自給自足で事足りていますよ。余分に出たものは、町で生活用品などと交換するようにしています。
ここは乾燥してると思ってらっしゃるかもしれませんが、ちょうど一部の果物を育成するに適した気候となっているんです。
昔は村で作られたそういった果物を町で売れないかと、自分で販路を拓こうとしていましたからね。
まあ、輸送上のコストがあまりにも高すぎたせいで、実現は叶いませんでしたけど。
ここに来るまでの間に見てきた村々で気付いたんですが、どこもがらんとしていて、住んでる人少ないですね。
そうですね。実はかなり昔から、ここら一帯に住んでいた人たちがこぞって移動都市のほうに移り住んでいったんですよ。最初は若い人たちから、続けて子供とお年寄りといった具合で。
ここはさほど変化は遂げていませんけど、移動都市が拡張していくスピードは随分と速いものですからね。そこには仕事をもらう機会がたくさん転がっていますから、若い人が喜んで都会に向かうのも頷けますよ。
そうこうしてる内に私の実家の村なんですが、とうとう私だけが残ってしまったといったところです。
みんな都市に移住していったということですか?ではなぜお姉さんはそこに残ったんです?
感染してしまいましたからね、仕方がなかったんです。
……
まあ、それで都市に行けないわけではありませんよ。ただ何年も考えてみても、自分が一番得意としているのはせいぜいこの山の中での道案内ぐらいですからね。
知らない場所に行って最初からやり直すぐらいなら、自分のできることをやって、人を助けてやったほうがいいと思いまして……
それに、もし私までもが出て行ってしまえば、誰がここの手紙を届けてやってくれるんです?
ではこういった生活は苦労だと思いますか?
何かもが不公平だって、そう考えたことは?
苦労、ですか?
苦労じゃない仕事なんてあるんです?自分の得意なこと、手に馴染んだことであれば、そっちのほうがまだやり易いですよ。
あなたの言う文句や不公平というものは……まあ、そういった道理はいつの世も釈然としないものです。それを考えるぐらいならまずはしっかりと自分のやるべきことをやったほうがいいと思いましてね。
それにしてもあなた、ちょっと都市部以外で暮らす人たちを惨めに考え過ぎではありませんか?
確かにここでの暮らしは平凡で、面白みもありませんが、それで他人に同情されるほどのものではありませんよ。
自分の努力で地に足のついた暮らしを勝ち取る、いいではありませんか。
た、確かにそうですね……
しかしこのまま続けてても、ここの遅れた環境が変化することはないのでは?
“変化”、ですか?
変化なら毎日ここでもたくさん起こっていますよ。
建てられる家々はますます頑丈になってきていますし、農作物もますます背を伸ばしていってるではないですか。
そういう変化を言っているんじゃないんです!
こう、もっと未来を見通した、根本から構造が変わるような変化というか……
人は生まれた環境に制限されるべきではないと、ぼくは思うんです。どこで暮らしていようが、みんな平等に資源とチャンスを受ける資格があるはずだって……
そうは言いますけど……でもその道理を実現するには、結局のところまずはしっかりとできることから手を付けなければならないじゃないですか。
ストップストップ、話がどんどんズレてきちゃいました。
じゃ、じゃあこの話はやめましょう!お姉さんの話を聞かせてください!
私ですか?特にこれといった面白い話はありませんが……
いち信使として、悔しかったこととか将来の夢だとか、今までの配達の中で一番印象に残ったこととか。
印象に残ったこと……
……カメラを仕舞ってくれたら教えてあげます。
あ、はい!
(撮影者がカメラを止める)
実は一度、夜通し道を急がなければならないぐらいに急を要したブツを届けることがあったんです。
あの時は雨が降っていて、山道の両脇もそれで泥濘になってしまっていたため、しょっちゅう崖上から岩が転げ落ちていたんです……
じゃあお姉さんの感染って、もしかしてその時に――
いえ、そうではありません……
その時そこそこ大きい岩が落っこちてきまして、すぐにでも荷物にぶつかってしまいそうな勢いで。私も当時は焦っていましたからね、何を思ったんだか、自分の角でその岩をどけようとしたんですが……
そしたら……左側のこの角が、ぽっきりと折れてしまって……
プッ――
今もしかして笑いました?
ご、ごめんなさい!お姉さんを笑ったつもりじゃなくて――
まあいいです、笑いたければ。さっきまでずっと顔を強張らせているよりかはマシですから……
まあ、自分もおかしな話だとは思いますよ。今ではその折れた先の角を肌身離さず持ち歩いて、雨の降る夜では急がないようにと自分を戒めているんです……
まあ後で医者にくっつけてもらえないかと、そういう理由もありまして……
正直に言って、ほかにもバカなことはたくさんやりましたよ。面白いことにも会ったことはありましたし……
ただいつも独りで行き来しているものですから、あまりほかの人に話すチャンスがなくて……
なら今がそのチャンスじゃないですか。ほかに何か面白い話があれば、じゃんじゃん話してください!
……それにお姉さんが配達をしてる時は必ずしも“独り”ではないって、そう考えたことはありませんか?
“あなたはどういう気持ちで、自分の人生を振り返りますか?”
道行く道で出会った人たちに、ぼくは必ずこの質問を投げかける。けど、帰ってくる答えはいつだって似通ったものばかりだった。
人が生涯に渡って経験してきた紆余曲折を、まるで本当に二三行ほどの言葉で総括できてしまうような、そんな答え。
それにまるで食後の散歩時に話す当たり障りのない雑談話のように……あの信使のお姉さんは山間にある村々のことを、没落してしまった実家のことを、そして自分が感染してしまったことをぼくに語ってくれた。
それでもぼくは想像すらできなかった。彼女が短くも淡々と語り出したその言葉の後ろには、一体どれだけ言葉では言い表せられないような艱難辛苦と、意識すらできないような無力さが潜んでいたのかを。
あぁ、“現実”という巨大なバケモノと直面すれば、ぼくたちは誰一人として無力になってしまうんだな。
それにぼくだって、どうやってこの質問に答えてやればいいのだろう?
あとどのくらいこのカメラで記録を続けることができるのだろうか?あとどのくらい、ほかのことができるのだろうか?
ぼくはほかに、何を残してやれるのだろうか?
ここの森は……よし、今日はここで野営しましょうか。
配達中はいつもこうして夜を過ごさなければならないのですか?
普通なら村に残って夜を過ごしますけど、日没前に村に間に合わなかった場合はこうするしかありません。
あなたもツいてないですね。初めての山道だというのに、こうして野外で夜を過ごすハメになってしまうだなんて。
それにしてはよくここまで頑張れましたね。てっきり早々に諦めると思っていましたよ。
あはは……まあ昔のぼくだったら諦めていたのかもしれません。でも今は、どうしても頑張らなきゃならない理由がありますから……
信使のお仕事って、思っていた以上に大変なんですね。
どれだけ大変だったとしても、何年か続ければいずれは慣れるものです。
あなたにしてみては、こんな経験は一度で十分なのではないでしょうか。
でもぼくがここを離れたとしても、まだまだたくさんの人たちは、こんな世間と隔絶したような場所に囚われ続けてしまうんでしょうね……
いつかここに住んでいる人たちも、こんな暮らしとおさらばできればいいなと、そう考えています。
こんな……暮らし?
はい。もしその他たくさんの人たちにここの暮らしを知ってもらえれば、ここもきっと大きく変化を遂げることができると思っているんです。
ちょっと待ってください。なぜあなたはひっきりなしに“ここは変わったほうがいい”、なんてことを言うのですか?それがさっぱり理解できない。
まるでそんな簡単な一言二言で、何もかも変えられるような言い方……
ぼく一人の力は当然ながら限りってものがあります。ぼくにできることと言えば、せいぜい多くの人たちに注目してもらうように、呼びかけることぐらいですから。
もしここの遅れてしまってる現状を変えることができるのであれば、誰もがそのために努力をするだけの価値はあると考えていて――
もう結構です。
その――
やはりどうしても理解できませんね、あなたが一体どういう態度をもってそのドキュメンタリーとやらを撮っているのかを……
あなたはここに住まう人たちの生活を理解したいと仰っていますが、そんなあなたは一体なにを理解したというんです?
ここの人たちがどうやって耕作してるのか、どういった時期にどういった仕事をすればいいのか、どうやって荒地で井戸を掘るのかがまったく理解していない。ましてや、一斤もの糧食がどれほどの値段をしているのかすらも。
あなたはなにも理解していないんです。
確かにまだまだ理解が足りていない部分はたくさんありますが、それでもぼくはこの目でここの現状を見てきました。
お姉さんだって言ったじゃないですか、何か変化をもたらしたいって。
そうですね。確かにここでの暮らしは貧しく遅れていて、都会の豊かさには及びません。
しかしそうだとしても、ここに残っている人たちは自分たちのやり方で、最大限努力しながら生き長らえているのです。
それが本当の意味でここを理解してやっていないあなたが、どうしてそう偉そうに私たちの暮らしっぷりを評価してやれるのです?なぜ“変化しなければならない”なんてことが言えるんです?
それは……
口々に“気に掛けている”とは言っていますが、所詮はお高く留まって上から同情してるだけに過ぎません。
これ以上私の道案内は必要ないかと思いますし、私もあなたのドキュメンタリーの撮影に付き合ってあげる筋合いはありません。ここで失礼させていただきます。
ごめんなさい、そういう意味で言ったんじゃないんです!
待ってください――
もうついて来ないでくださいッ!
ウィンドチャイムさん、頑張ってこのカメラを直してみたんだけど……中身の保存されてるデータが破損していないか見てくれないかな?
……ありがとうございます。
このカメラって去年出たばっかの最新式なんだよね、うちが半年働いてやっと買えるぐらいの値段だよ~。昔すっごい買おうか悩まされたけど、結局手が出せなくてね。
にしてもなんでこんなボロボロになっちゃったの?まったくこの持ち主は全然ものを大切にしないね……
いえ、そうではありません……
それでさ、このカメラは一体なにを撮ってたわけ?
……
風景……でしょうかね……
(マルベリーがドアをノックし、部屋に入ってくる)
ウィンドチャイムさん、診断結果が出ましたよ。
わざわざありがとうございます。
あっ、もし今ご覧になられるのなら、目を外して――
(ウィンドチャイムが診察結果を確認する)
なんだ、悪くない結果じゃないですか。緊張して損しましたよ。
専門医ではないのであんまり言えませんが、この数値はあまり楽観視できないかと……
今後配達業務を行う際は、しっかりと防護措置をしてくださいね。
ええ、ありがとうございます。
これもマルベリーさんがロドスという場所を教えてくださったおかげです……それと、あの村での出来事も。
本当に感謝しております、色々していただいて。
私が駆けつけに行った時は、今回もただの自然災害事故でしかないと思っていたのですが……それがまさか、背後にあんなことがあっただなんて……
もし私がもっとはやく駆けつけていれば、あんなことにはならなかったんじゃないかって……本当に残念でなりません……
そう仰らずに、今さら後悔しても意味はありませんよ。
あんなことに直面したとしても、人というのは無力なんですから。
それでマルベリーさん……あの土砂崩れで亡くなってしまった方については……
申し訳ありません……“春乾”の本部に可能な限り直近の失踪リストと照らし合わせるようにお願いの連絡を入れたんですけど、まだ合致した人物は見つかっておりません。
そうですか…
それに現時点では手掛かりがあまりにも少なくって。名前も、身分を証明できるものもなく、どこからやって来たのかすら分からない状況でして……
そうだ、そのカメラの映像でしたら、少しは何かが分かるんじゃないでしょうか?もしその中に手掛かりがあればいいんですけど……
彼も……感染者でした……
それ以外は何も……
けどそれだけでは……
問題ありません、引き続きこちらでも探してみます。
色んなところに赴いたのですから、きっと何か残してるはずでしょう……
そう、あれだけ遠くにまで赴いて、あれだけ多くの人たちと出会ってきたあなたが、何も残していないはずがないではありませんか?
様々な自然と美しい風景を見てきたあなたなら、きっとどこかにあなたのメッセージがまだ残されているはずです。
ところでウィンドチャイムさん、近頃また謀善村に向かうことになりました。
あちらの地滑り防止対策の再建工事が終わったみたいでして、チェックしに行かなければならないんです……
それならこちらもちょうどそちらに向かうつもりでしたので、一緒に行きましょうか。
なあなあ!手紙はあるか?俺宛ての手紙は?
押すな、押すなってば!あっ、俺にも手紙が届いていたぞ!
焦らないでください、手紙は逃げたりしませんから。しっかりと列に並んでくださいね、一人ひとり渡しておきますので……
ちょっと王(ワン)さん、泣かないでくださいよ。あなたにも手紙が届いてるじゃないですか、届いているのならいいことですって!
張(ジャン)のおば様も、大学受験した息子からいい報せが届いたんじゃないですか?分かりますよ、そんな耳の付け根に届きそうなぐらいニヤケちゃって、おめでとうございます。
……
あんな風な顔、ぼくは今まで見たことがなかった。
村人たちはトランスポーターを囲いながら、今か今かと薄っぺらい紙に書かれた文字を、山奥の外から届いた、自分たちの大事な人たちから届いた音信を待ち望んでいた。
誰もがこれ以上にないほどの期待と、真摯な感情を顔に描いている。カメラ越しであっても、その熱い思いがこちらに伝わってくる。
彼らが抱く期待はそれほど多くはないけれど、それでも抱いてる感情はとても豊かなものだ。
もしかしたら、一人ひとりそれぞれの人生はさほど違いはないのかもしれない。いくら起伏激しい人生だったとしても、簡単な言葉で総括できてしまうのだろう。
老いも病も、生まれも死ぬことも。喜怒哀楽と、喜ばしい再会と悲しい別れも。
おや、何を撮ってらっしゃるんですか?
二か月ぶりではあったが、村はなんだかすっかりと様変わりしてしまったように思えてしまう。
今はすでに農閑期に入ったが、それでも村人たちはせっせと忙しなく仕事に勤しんでいる。村の空き地にはまた幾つかの井戸が掘られたようで、人々は畦道を囲いながら、新しく備え付けられた灌漑装置を熱心に研究していた。
そこへ一滴の露が、彼女の頬へと滴り落ちた。顔を見上げてみれば、村の入口にあったあの老いたエンジュの木がぽつぽつと花を咲かせていたことに気が付く。初夏の暖かい風に揺らされながら、道行く人たちに首を振っていた。
やがて彼女は、突如とある人から言われたことを思い出す。
“夜道を急ぐあまりに、頭上にある星々のことや、道端にある岩の隙間に生えている花々のことを忘れてしまってはいませんか?”と。
そうしてウィンドチャイムはカメラを持ち出した。
準備はいい?スイッチ押すよー!
ほ、本当に爆発しないんだよね……?
3――2――
見ろ!ちゃんと動いたぜ!
小平(シャオピン)、小安(シャオアン)、これはなんですか?
馳道を修理するために使われてたやつなんだけど、俺たちが本に書いてあったように直して作ったトラクターだ!
い、言いふらしたりしないでね?もし大人たちに知られたら、また怒られちゃうよ~!
どうしてこんなものを?
龍門に行くためだぜ!
ずっと大都会に行ってみたいと思ってたんだよ!
そこにはでっけーショッピングモールだったり、でっけー映画館だったり、それと族長ん家の庭ぐらいでっけーピアノが置いてあるって聞いたぜ!
龍門がどれだけ良かったって、結局はここに戻らなきゃならないじゃん……
井戸を掘ったり用水路を直したり、あともう一回御廟を直さなきゃいけなかったり、最近村はただでさえ忙しいんだよ……?
族長が行っちゃったあと、みんなどうすればいいのかさっぱりなんだからさ……
んなしょーもないことなんか放っておけって。もっと遠くを見据えておかなきゃらねえんだ!俺たちが大人になったら、そん時は自分たちのしたいことができるだろ?
信使の姉ちゃん、姉ちゃんは都会に行ったことがあるんだろ?なら俺の言ってることは正しいよな?
うーん……
自分たちの目で行ったことがない場所を確かめるというのであれば、いいことでしょうね。
そうだ、二人の写真を撮ってあげましょう。
写真はいつでも持ち歩くことができますからね。今後ここに残っていなくとも、故郷の様子を憶えていてあげられますから。
それいいね!ならそれ、俺たち二人が世に繰り出した第一歩の記念にしようぜ!
ほらこっち来いよ、シャオアン!二人でこのトラクターに乗って撮ろうぜ!
よし、じゃあこっち向いてください。さあ、笑って。
3――2――
(カメラのシャッター音が鳴る)
もしあなたの最後の願いが、この旅路を終えることと、そのドキュメンタリーを完成させることなのであれば、私が必ず全力を尽くしてその願いを叶えさせてあげましょう。
どうやら私もようやく理解できたようです、あなたがこういった光景を撮り続けてきた意味を。こうして慣れ親しんだ場所でさえ、未だ自分ですら気付いていなかった風景が広がっていたんですね。
消えてしまったあの村々や、離れて行ってしまったあの人たちのように。彼らはいつしか知らぬ間に忽然と姿を消してしまいますが、彼らが存在していた痕跡を掴み取る方法なら少なからずある。
私にたくさんのことを話してくれて、また私の話を聞いてくれて、本当に感謝しています。
けれど、しっかりとあなたと仲良くすることができなくて、本当にごめんなさい。
インタビューを受けてくれた人と喧嘩別れしてしまうことも、想定外の困難だ。それでも残された旅路を、ぼくは歩み続けなければならない。
あの言い争いで、ぼくもたくさん反省するところがあった。本に書かれている理論で暮らしのすべてを知り尽くすには、まだまだ足りない部分が多いのかもしれない。ぼくの“苦難”に対する理解も、まだまだ浅はかなものだった。
人生というのは出発点と終着点が決められた旅路のようなもの。ぶつかったり躓いてしまったとしても、ひたむきに前へ進んでいくしかない。
それぞれの道はそれぞれ異なってくるけれど、そこにあるそれぞれの名残惜しいと思えてしまう風景と“運命”と名付けられている濁流によって引き裂かれ、“現実”という巨大な壁によって塞がれてしまうものだ。
その壁こそが“苦難”の源ではあるけれど、敬意を表するに値する壁だ。
だからぼくのこれまでの遭遇はただ単に運が悪かっただけで、“不幸”と呼ぶには遠く及ばないものだと思う。それさえ理解してしまえば、あとはむしろ釈然とする。
それならできるだけ頑張って、前へ進み続けようじゃないか。
そうだ、もしあの信使のお姉さんとまた出会うことがあれば、その時は彼女に謝ろう。
いや、今ここで言ってしまおうか。
こんにちは、信使のお姉さん。
手元にペンと紙がなかったものですから、“お詫びの手紙”をこのような形で残すことになってしまいました。
あの時は本当にごめんなさい、不快にさせてしまうようなことを言ってしまって。
本当は自分に言い訳してやりたかったんです。あの時はちっともお高く留まってるつもりなんてなく、ただ自分なりに努力して、“できること”をしようとしただけだったんです――お姉さんと同じように。
正直、お姉さんのことは本当に尊敬しています。なぜならお姉さんは信念を曲げることはなく、そして勇敢だったから。
今はまだお姉さんのように、“真っ当に”生きていくことはできません。けどお姉さんのおかげで、ぼくも“真っ当な真実”に少しだけ近づくことができました。
もう一度、自分の無遠慮と未熟さで怒らせてしまったことを謝らせてください。
そしてどうか、いつかこの不真面目な謝罪の手紙がお姉さんのもとに届きますように。
無名な映画監督の――
いてッ!
おいお前!目ん玉付いてんのかよ!
えっ、見たものすべてをその機械に閉じ込めることができるって?それってずっとなのか?
はい、撮影したデータならずっとこの中に保存されますよ。
じゃあ、おれのことも撮ってくれねぇか?
別にいいですけど……
じゃあ、何か話したいこととかはありますか?
そうだなぁ……おれの名は方小石(ファン・シャオシー)!この大地で最強の武侠になる男だ!
しっかりとおれの名前を憶えておけよ。そう遠くない未来で、きっとほかの場所でおれの名前を聞くことになるんだからな。
ええ、憶えておきます。
よし、こんなもんでいいだろ。まだ後ろにおっかない女が追いかけてきてるからな……
おれはもう行くぜ!じゃあな!
(意気揚々な少年が走り去る)
はい。
またいつかどこかで。