この部屋は……
よし、見ろダグザ!ここが俺たちのかつてのホームだ!
おお!
ここでの暮らしはきっとかなりクールだったんだろうな!
当ったり前よぉ!
だが一度も掃除はしてくれなかったがな、ハンナは。
そ、それは……!俺だって何度も改めるつもりでいただろ!
あんたたちが出て行った後でも、たまにここを片付けに来ていたから、たぶん昔とあんまり変わっていないと思うよ?
おお!俺のコレクションがそのまま残ってるぜ!やっぱ頼れるモンはベアードだな!
フッ、ここで留守番をするハメになっちゃったからね。
おい、そりゃねえだろベアード。あん時は残るって自分で言い出したことだろうが。
ノーポート以外の場所じゃ寝付けられないからーとかって。
だったら、あの時ちゃんと克服しておけばよかったかもね。
へっ、何ぬかしてやがんだか。お前が寝つけられなくなったら、こっちまで夜更かしされるハメになるだろうが。お前っつー人間のことはよぉく分かってんだよ。
死ぬほど眠いって時にお前の話し相手に付き合わされるのはもうゴメンだぜ。
……ふふっ。でもまあ、最近はもうどこでも寝れるようにはなったよ。
どうした、疲れが溜まっているのか?
そうかもね。
もしくは……寝れば頭をからっぽにできることを気付いちゃったから、なのかな。
……ロドスの任務が終われば、必ず貴様らをここから連れ出してやるからな。
もう誰一人とて取り残したりはしない。
まあまあ、辛気臭い話は後にして。ほら、数年ぶりの再会に乾杯しようぜ!
ちーっと安物の酒ではあるけどよ、こんだけ長い間置いておいたんだから、もしかしたら美味しくなってたりして?
ほらモーガンも、ベアードたちにお前が書いたモノを見せてやれよ~。これまでの俺たちの冒険譚ってヤツ!
ヘヘッ、残念だったなベアード。次期女王ともなる人の冒険物語だ。そこにお前も登場できたはずなのに、そのチャンスを逃しちまって……
……って、どうしちまったんだモーガン?さっきから顔色が悪ィーぞ。
せっかく家に戻ったんだからもっと嬉しそうにしろよ!
……思い出しちゃったのよ、さっき踏んだ……あの腕のことを。
……
ありゃただの事故だろ。
手に……指輪がはめられてたの。どっかで見たことがあったような……
覚えているはずなのに……
なのに、どうしても思い出せないの。
……ねえ、ベアード。これまでの間、ノーポートで何が起こったの?
……何も。本当にただの、事故なのかもね。
今はみんな必死に生き残ろうとしてるだけ、それだけだよ。
起っちゃったことは仕方ないけど、あんたたちはこうして戻ってきてくれた。なら、あたしたちも直ここから出られる、それだけ知っておけば十分だよ。
……ノーポートは、吾輩らの家だ。
なのに……
……ここに戻ったら最初の日の夜に、てっきりまたあのビリヤード場に朝まで通って、それから隣にあるバーでいつものように飲んだくれると思っていた。
それかマクラーレンにビデオホールを貸し切ってもらって、冒険ものの映画を十作品ぶっ通しで鑑賞したりして……
……
……でも吾輩、見ちゃったんだよ。あんまりまじまじとは見ないようにしてたけど。
粉々になったガラスとそこにへばりついた乾いた血。そしてそこに倒れていた……黒いナニか。
あんたも寝たほうがいいね、あたしみたいに。
ここに帰ってくるまで大変だったんでしょ?
ねえヴィーナ、あんたは今その宝剣を持ってる。だったらいつかは国を救ってくれる英雄になってくれるのよね?
あんたが……いや、吾輩らがノーポートを救い出す。そんな英雄に。
ここのこんな見るに堪えない惨状は一時的なものに過ぎないんだって!そうなのよね!?
……当然だ。
必ずここを元通りにしてみせる。
できれば、ね……
さっ、もう夜も遅いんだし、今日はこの辺にしてしっかり休んでおこう。
明日もまだまだやらなきゃならないことが山積みだからさ。
ベアードの言う通りだ。しっかりと……休んでおこう、モーガン。
シージはソファーの上にうずくまっていた。彼女は何度も何度もここで夜を過ごしてきた。ここで感じる何もかもが彼女にとっては馴染み深いものであった。
何年も前にフリーマーケットで見つけたこのオンボロのソファーを、四人がかりで必死にジムの二階まで運び込んだことを、彼女は今でも鮮明に覚えている。
あの頃、このソファーはまだ広く感じていたのだが、すぐに足を肘置きに置かなければ横になることはできないくらいには大人になってしまった。
そんなシージは暗闇の中でソファーを優しく撫でる。
ここにはハンナが小刀を遊んでいた時にできた傷がある。あの頃は傷を付けてしまったせいで、三日は凹んでしまっていたものだったか。
モーガンも以前、ここに飲み物をぶちまけてしまったことがある。粗悪な洗剤で汚れを洗っていたせいで、結局こぼしてしまった箇所だけはひどい有り様になってしまった。今でもそこにはすべすべとした痕が残されている。
ベアードに関しても、アイロンをそのままソファーに置いてしまったせいで、あわや大火事を起こすところだった。
そうした日々はいつまでも続いて行くのだろう。シージはそう思っていた。
変わることはないのだと、そう信じていた。
私たちはグラスゴー。ここは私たちの街であり、私たちが育った場所、私たちのホームなのだと。
そして彼女はここへ帰ってきた。
なのに彼女は、まったく喜びが湧いてこなかった。
モーガンが書き上げた例の“回顧録”――『偉大なるヴィーナ女王陛下とその仲間たち』を思い出してみる。
傍に置いてある諸王の息吹にふと触れてみる。
しかしこの剣は相変わらず冷たいままだった。
指導者、英雄、そして女王。
群衆を導く者、ヴィーナ。
アレクサンドリナ・ヴィーナ・ヴィクトリアだというのに。
……
どうしたのヴィーナ?
……今着てる服が重すぎるせいで、寝る際に息苦しい。
もっと身軽なものに着替えたい。
服ならそこのタンスに仕舞ってあるよ。
(シージが服を着替える)
ふぅ……
数年ぶりだけど、もう背は伸びていないようだね?
……ふっ、みんなもう背が伸びるような年頃ではないだろ。
それはどうかな、成長ってもんは分からないものだよ?あたしたちが初めて会った時だって、あんたはまだあんなに……
よしてくれ、また歳月の残酷さを嘆くような昔話をするつもりか。
……もう何年も話し相手がいなかったものだったからさ。
……すまなかった、ベアード。
いいんだよ、帰ってきてくれただけでも。我らがヴィーナ女王陛下。
……そんな風に私を呼ばないでくれ。
……そう。
じゃあいつも通り、シージで。
……
どうかしましたか、マダム・エルマンガルド?
その“マダム”っていうのやめてちょうだい、私まだそこまで歳食ってないから。
申し訳ない、エルマンガルド……嬢?やれやれ、訳分からん歳をしてるもんですよ、あんたらリッチは……
……はぁ、じゃもうマダムでいいわよ。
それにしてもあの高速戦艦、ひどいやられ様ね。それに……ブラッドブルードの人たちのせいで、あたり一面血の海だわ。
マンフレッド将軍が言ってましたよ。サルカズの勝利の始まりだって。
ふっ、サルカズの勝利ねぇ……
はぁ~あ、そんな未来を迎えたところでなんの利益ももたらされないぞって、ケルシーが再三私に警告してきたっていうのに。
それにしても分からないわね……どうして私の師にはあんなフェリーンの友人がいるのかしら?
……はぁ、もうここの匂いに耐えられそうにないわ。行きましょう。
ではこちらへ。テレジア様がお待ちです。
おはようございます、ドクター。
朝早くから申し訳ないんですけれど、これからの行動の段取りを決めさせてください。
ここにいる一般人らはサルカズに捉えられた人質、いわば攻撃されないための盾です。ただ大公爵も軍事委員会も、タダでこの人たちを見過ごしてくれるだけの良心があるとは思えません。
彼らとの間にある駆け引きは一旦置いておくとして、ここで起こってる惨状はこちらも大方理解できました。
見ての通り、現状を変えるには無理があると思うよ。
あんたたちが持ってきてくれた医薬品も数えてみたんだけど、正直焼け石に水ってとこかな……
ええ。私たちだけではできることには限りがあります。ただ、ここで尻込みする理由にはなりませんよ。
飛空船の調査と一般人の避難計画は同時に展開する必要があります。どちらか一方を蔑ろにすることはできません。
あの……
なんでしょうか、ダフネさん?
あなたたちはサルカズの包囲網を潜り抜けてここまでやって来たんでしょ?だったらさ、ここから逃げ出すすべもあるってことだよね?
確かに、今ここにいるのは全員ロドスが誇る精鋭たちです。けどごめんなさい、ダフネさんが仰ったように、私たちだけじゃここから抜け出すことはできないんです。
この戦争を裏で操ってる者と比べれば、私たちはどうしてもちっぽけな存在になってしまいますから。
じゃあなたたちは……誰かの助けがあってここに入って来たってこと?
あのハット帽の言葉を借りるのなら、“取引”らしいわよ?一方的で不平等なものだけど。
……あなたは、サルカズなの?
まさか他勢力のサルカズと手を結んでいる大公爵がいただなんて……
ふふっ、あなたかなり物知りなのね。
……よ、よく新聞を読んでたから。
そっ、いい習慣ね。
それで、あなたたちは今撤退計画を練っているんだよね?バックについてる大物が協力してくれているから?
残念だけど、そうじゃないわ。向こうからすればここはどうでもいいみたい。
でもあなたたちからすれば、どうでも良くはないんだよね?
まあね、だってこの人たちはロドスだから。
私はそこの人に言われた通りに従うだけだわ。今は無事ここから脱出できるかどうかが気掛かりだけど。
……一つ提案があるんだけど、いいかな?ちょっとリスキーではあるけど……
いま発信できる装置だったり施設は、全部サルカズたちに渡っているんだ。それであいつらが色々と“言い訳”をしてるのは大方予想できる。
大公爵たちのほうも、本当に単なる“言い訳”だって理解してるはず。
ただ向こうがわざわざ攻めてくることはない。大公爵側も軍事委員会側も、互い言い訳については黙認し合ってるふしがあるから。
サルカズはここの人たちを盾にしてるけど、それは大公爵たちも同じこと。ただここの人たちが皆殺しにされたほうが都合はいい、なんて思ってる大公爵もいるかもね。
戦争における道徳心はただの重荷でしかならない。どうしてもそういう思考を持つ人たちは生まれてしまうものなのよ。
うん、その通り。
だから私たちで……その黙認し合ってる関係をぶち壊すんだ。
大公爵たちに動いてもらうようにね。
……私たち全員がここで死んでしまう前に。
……
もう何日もだんまりだね、ゴールディング。
ボクたちの知る限りじゃ、君はそこまで寡黙な人じゃなかったはずだけど。
ロンディニウム自救軍はどうなった?
その人たちならこの街から出て行ったよ。
生存者数は?
多くはないね。
……
やれやれ、まただんまりか。それで自分を慰めているつもりなのかな?
いいや、私はただ……彼ら一人ひとりの顔と名前を、思い出しているだけだ。
そんなことする必要なんてないじゃないか。君は彼らに属してるわけじゃないし、そんな虚しい帰属意識なんか忘れちゃいなよ。
それに君が彼らを殺したわけじゃないんだしさ、ほとんどこの戦争で死んでいった者たちだよ?なんだったら君たち、そんな死を“犠牲”って言い換えてるじゃないか。
君が思い出してる名前、その名前を持つ人たちのことだって、ほとんどは会ったこともないんでしょ?
そうやって無理やり自分はとあるグループの一員であると思い込んでおかないと、君たちは喜びと誇りを見出せないのかい?
けどね、そんなことを思っても、ボクたちはボクたちでしかないんだよ?
……
最初の頃、私は私たちが目指す夢のために、自救軍のために戦っていると考えていた。
だがこの数日で気付いてしまったよ。そんなことはない、と。
レトの言う通りだ、私たちは同類だったよ。
彼のことを悲観主義者と言ってしまったが……それは私も同じことだ。認めようが認めまいが……私は簡単に失望してしまう人間だったよ。
自救軍の面々はピュアな理念を抱きながら戦う人たちなのかもしれないが、自救軍そのものはそうとは限らない。
クロヴィシアもアラデルも……彼女らの為人は尊敬しているよ。だが彼女らの目的は決して口で描いてるだけのものではない。
そんな私は長い間、ずっとそういったものに気付いていないフリをして過ごしていたんだ……
そうして君は幻滅してしまった。ようやく自分のやってることは決して清廉潔白なものではないことに気付いてしまったんだね。
自分がしてきた努力はすべて徒労に過ぎなかったんだって。
フッ、まさか。
確かにこれまでしてきたことについては、もうとやかく考えないようにはしている。だがそれに関わってきた人たち、その人たちの顔は思い出すようにしているんだ。
ハイディ、フェイスト、ロックロック、ビル、アダムス、ジョージ・Jr……
自救軍に向かって懺悔する資格も権利も私にはない。あなたの言う通り、そんな虚しい帰属意識を持つ必要性はないさ。
だがせめて……心の中で彼らと向き合う必要はあるのだよ。