Wさん、もう少しゆっくり運転できませんか?
うちが抱えてる重傷者にそんな余裕はないと思うけど?
いいからしっかり掴まって。また坂道を走るわよ。
(自動車が揺れる)
こんな荒い運転では、治せるものも治せなくなります。
テレシスはトドメを刺せなかったんだし、このくらいじゃ死にはしないわよ。
アハッ、通らなきゃいけないとはいえ、このクレーターの路面状況なんかもっとひどいわね~。
迂回すればいいでしょう。
それじゃ時間が遅れてしまうわ。それに、もう入っちゃった。
(自動車が揺れる)
(威嚇めいた唸り声)
何よ、ケルシーのペットの分際で。いいから爪を引っ込んでもらえないかしら?
それかさっさと車から降りて、自分でその可哀そうなご主人を運んでもらってもいいのよ?
(高ぶる雄叫び)
その金属質の脳みそで一体どんな小賢しいことを考えてるかは知らないけど、試すのならこっちは喜んで付き合ってあげるけど?
その際あんたを放り投げてアスファルトの代わりにしてやるわ。
Wさん、今はとにかく急いでください。
あのさ、今この女は一言も話せない状態なのよ?それに見なさいよ、彼女のペット。畏縮した様子でいちゃってまあ~!こんなにいい気分になったのは初めてだわ!
あんたも自分の上司に少しは復讐してやりたいとは思わないわけ?散々医療部で波乱を巻き起こしてきたあのケルシーが、今じゃこんなザマなのよ?
今の先生は私の患者です。
……フンッ、相変わらずつまんない人ね。
ならあたしたちの後ろについて来るようにって、クロージャたちに伝えといて。今じゃサルカズも大公爵もドンパチに夢中だから、抜け道を知ってる人はあたしくらいよ。
この辺りのことをよくご存じのようですね。
フッ、この数年あたしがどう生き延びてきたと思ってるのよ。ロンディニウムのくっさい下水道でスイミングしてたとでも?
傭兵にはね、いつだって傭兵のやり方ってもんがあるのよ。
さっ、ここらの廃墟を越えたら目的地よ。
彼女もそこに?
当たり前でしょ、あたし恩を売るチャンスは一つだって逃したくないの。
それと、車椅子の介助は別で計算させてもらうから。
……いいでしょう。
それよりさ、あんたあの女とはどういう関係なの?障がい者をロンディニウムのごたごたに巻き込むのはいいアイデアと思わないんだけど?
彼女は私の……
いや、彼女にとって、私が罪なのです。
……通信施設を?
そっ。ラジオを通じて、私たちの存在を知らしめるんだよ。
招き入れるということか。
冴えてるね、ロドスのドクターさん。
大公爵に知ってもらう必要があるということだな。
仮に動かない大公爵がいれば、いずれは他から指弾されるきっかけになる。
国王が空席の今、誰も競争相手に弱みを握らせたくはないだろう。
予想以上にロンディニウムのことを理解しているんだね、あなた。
それで、その通信施設ってのはどこに?
この区画の中央通信施設は最初からサルカズに破壊されてしまったけど、小型の通信施設ならまだほかの場所に残ってるよ。
そこはあるホテルの中にある。ノーポートが衰退する以前は、ロンディニウムで一番のホテルだったよ。
各国からの観光客の要求を満足させるために、超強力な発信機をホテルに備え付けていたんだ。
今だったら瓦礫で入口が塞がれてるように見えるかもしれないけど……もしそこの入口を見つけて、中に残された設備を使うことができれば……
だとしても、あまりにも危険だわ。もしあなたの言ったようにその通信施設が生きていたとしても、信号を暗号化して送り出すことはできないかもしれないわよ。
そうだね、古い民間用のタイプだもん。
私たちが何を伝えようとしているのかなんて、誰にだってすぐ気付かれちゃうかもね。
それでサルカズたちもきっとすぐに動き出してしまうかもしれないわよ。
だからここで賭けに出るんだよ。虐殺を引き起こしてしまった汚名なんか背負いたくないと思っている大公爵たちに対してね。
それに……必ず一人は動き出してくれるはずだよ。あの人たちだって、ロンディニウムを廃墟したいわけじゃないから。
それってウィンダミア公のことかしら?
……
そのうちの一人ね。
どうやら新聞をたくさん読んできたことは本当みたいね、あなた面白いじゃないの。
それじゃドクター、それとアーミヤ。この作戦はいけると思うわ。ただその前に、この膠着状態を打破するための騒ぎを引き起こす必要があるかもね。
隠れた飛空船を探し出すことにしろ、この区画にいる人たちを撤退させるにしろ、大公爵らの進攻はチャンスになるわ。
ならその前に、ここで起こってる無意味な争いと殺し合いを止める必要があるな。
もう一度、団結する理由を教えてあげなければなりませんね。
みんなに希望を知らしめる、とかかな。
ええ。
もしこのエリアに残ってる物資を必要としている人たちに分配することができれば……こちらももう少しは持ち堪えられそうです。
あなたが言ったように、崩れてしまった信頼を建て直すことは非常に困難なことですから。
まっ、本物であろうが偽物であろうが、希望であることに変わりはないわ。
……つまりあのホテルで古い通信施設を探して、それから外にいる大公爵らに死んだほうがマシな今の惨状を伝えながら命乞いをするってことか?
ハッ、さすがは天才らが思いついたすばらしい計画だ。思わず拍手してやりてーくらいだよ。
じゃ他になにかいい方法でもあるわけ?あるなら堂々と私たちに教えてくれないかな?
サルカズのバリケードを潰すこと以外でね。
いいや、そんなものはねえさ。盗人や詐欺師に成り下がった先で、あの気持ち悪ィお偉い方に尻尾振って憐れんでもらうことになるとは夢にも思わなかっただけだ。
もし今回の行動を救援として考えるつもりがないのなら、“駆け引き”として考えてもらえればいいと思うよ。
ハッ、“駆け引き”?こりゃいい、まさかこんな俺たちにもあの城に引き籠もってる連中と駆け引きをするチャンスができたとはな!
それでもイヤなら、これまで通り街に出て人を襲えばいいよ。私は止めないから。
それとこれとは別だろうがッ!
……あなたが“プライド”を大事にしてるのは分かるけど、今はそんなものを気にしてる場合じゃないんだよ。
もし大公爵たちの攻撃がチャンスになれるのなら、それも一種の選択肢だと思うけど。
だったらよ、その後の結末は考えたことがあんのか?
大公爵らは見事、俺たち下民どもをお救いしてくださった……じゃあその後は?
そいつらの戦艦に乗り込んで、一緒に偉大なるロンディニウムを取り戻すために進軍するつもりか?それともカスターやウェリントンが持ってる工場の餌食になるか?
クソッタレが、ンなもんは施しでもなんでもねえ……自分たちの命を貴族の連中に売りさばくようなモンなんだよォ!
売りさばいた暁にゃ、俺たちはもうノーポート人じゃなくなるんだ!連中の好きなようにおもちゃにされる難民に成り下がっちまうんだよ!
何よ!今の私たちはまだそうじゃないとでも言いたいわけ!?
私たちは今でも自由なるノーポート人だって言いたいの!?どうなの!?
戦争はもう始まった!私たちはそのど真ん中に立たされてるんだよ!
あなたが考えてるように、もし本当に空から英雄が降臨してあなたと一緒にノーポートの人たちを導きながら、外にいるサルカズたちをコテンパンにしてくれることになったとしても――
これまでのすべてが元通りになるとでも思ってるわけ?
“プライド”“プライド”って……よく自分たちの姿を見てみなよ!
自分たちが何をやったのか……それを自分たちが一番分かっているでしょうが!
……
俺が言いてえのは――
(爆発音)
なんだ!?
外の街だ!みんな武器を持て!
待って、まずは状況を確認してからじゃないと――
クソッ、あいつら死にたいわけ?いつまでもこんな争いごとをしたいと思ってるヤツなんかいないっての!
今このエリアの中で隠れてる人たちはみんなあたしらと同じ。どこも食べ物に飢えて動けないはずでしょ――
(爆発音)
木の板に塞がれた窓の隙間を覗けば、外では土埃が立ち込めていた。
外から聞こえてくるのは怒号と呪いの言葉、そして泣き声と命乞いをする声だけ。そんな人たちの声には耳を貸さず、聞こえていても聞かぬフリをする。これまでの日々の中、彼女らはそうするしかなかった。
だが今度、それはもはや暗い路地裏でしか起こらない短いものではなくなった。不安も迷いも、身を隠すことも偽ることもそこにはない。
やがて土埃の中、一台のラゲッジカートがゆっくりと街中を滑走しているのが目に入った。おそらく以前はどこかのホテルで、遠くからやってきた観光客の様々な荷物を運ぶために使用されていたのだろう。
しかし今、そのラゲッジカートは爆発の余波により土埃の中から姿を現してしまい、その瞬間その場にいる全員の注目の的、熾烈な欲求の的となってしまった。
たくさんの缶詰、キレイな飲み水、そして粗末でありながらも美味しく感じられずにはいられない携帯食料……なんとそのラゲッジカートには、食料がたんまりと積まれていたのだ。
あれは……
ぼんやりで聞き取れない声を発したベアードであったが、なぜだか見つめる先から目が離せられないことに気付いてしまったらしい。
(市民たちが殴り合う)
そ、その食料が必要なんだ……そこをどいてくれ!
どくのはテメェのほうだ!クソッタレが、そんなにたくさんは食えなかったはずだろ、面倒を寄越すんじゃねえ!
なら少し……ほんの少しだけ……パンを数切れだけでもいいから……
だったら先にテメェが持ってるものを置いとけやァ!
争い合い、手に持っているものを互いに引きちぎろうとする人々。一つの集団からもう一方の集団へと奪われていくラゲッジカート。
人々は倒れ込むも、またすぐさま立ち上がっては少しでも自分の取り分を手に入れようと、ラゲッジカートに積まれた希望の山に押し寄せる。
だが、それを叶えられる人は誰一人としていなかった。
*ヴィクトリアスラング*、一体どっからこんなものが……!?
あと30分もすりゃ、全員殺されちまうぞ!
おい、やめろお前ら!やめろつってんだろうが!
(ベアードが流れ弾を弾く)
待って、今は行かないほうがいい!
みんな、あんたの言うことなんか聞いちゃくれないよ。あたしたちにはなんの……
だがそこへ、何者がベアードの傍を横切った。
……シージ!?
シージのハンマーは力強く地面に叩きつけられ、それによって発生した気流が街中に弥漫する土埃と血腥さを払い除ける。
彼女は眼前にいる人たちを見渡し、その場にいる者たちも彼女を睨み返した。
シージか……
なんでテメェがここにいる?なんのつもりでここに帰ってきやがった?
貴様のことは憶えているぞ、アルジェ。三人の子供は元気にしてるか?
ふっ……ハハハハハハ!元気にしてるかだって……?
そいつらに会えば分かることさ。テメェか俺が死んだ後にな。
いいことだぜ?ここで獣みたいに食料を争うこともなく、あの子らは苦しまずに済んだんだからよ。
で、テメェは何するつもりなんだ?俺をあの子らに会わせてくれるよう見送りでもしてくれるのかよ?
そんなことをする必要はないさ。ここで隣に住んできた者同士に武器を向けても意味はない。
いいや、意味はあるね。
大アリだぜ、シージ。パン一切れだけでも十分今夜を生きて過ごすことができるんだ。もし運がよけりゃ、明日だってな。
テメェは腹を空かせていねえのか?喉は乾いていねえのかよ?まだほかに選択肢はある、なんて甘っちょろいことを考えてる余裕があるってのか?
なら、テメェは一度だって死んだほうがマシなくらいの苦しみを味わってこなかったってわけだ。テメェは所詮、蚊帳の外の人間なんだからよ。
で、そういうテメェは俺のところからまたどれくらいの希望を掻っ攫うつもりでいるんだ?
以前の俺なら、確かにテメェには敵わなかったさ。だが今の俺ならッ!
(暴徒がアーツを放つ)
う……うぐッ……!
いけない!ダメです、やめてください!
アーツに身体が適応したと思っているかもしれませんが、それは急速に感染したことで生じる症状に過ぎません!今のあなたは単に自分の身体を破壊しているだけです!
私たちならあなたを助けてあげます!なのでそんなことをしないでください!
近づくんじゃねえ、どいつもこいつも優しそうなフリだけしやがって!さっさと住んでるところに帰りやがれ!さもなきゃ争え、奪い合えってんだ!
誰だって生き延びようとしてんだ……これが、俺の考え得る最善の方法なんだよォ!
このクソ野郎が……そんなに俺にぶちのめされてえのか?ああ!?
だったらテメェの望み通りにして――
もういい、そこまでにしなさいッ!
よく聞け!アレクサンドリナ・ヴィーナ・ヴィクトリア殿下がここにあらせられる!
モーガン、何を……!?
アスラン王の末裔!アレクサンドリナ・ヴィーナ・ヴィクトリア王女殿下が諸王の息吹を手にして御帰還なされたのだ!
ヴィクトリアって……シージ、あんたヴィクトリアってファミリーネームだったのか!?
それに諸王の息吹って……その剣のことなのか?
でもそれって……
いや、俺は最初から分かっていたよ……あんたは普通のフェリーンじゃないって。
……
殿下の要求に従って、すでに大公爵の軍がここに向かってきてくれている。
たとえあの空飛ぶ船が加わっても、サルカズが彼らに敵うはずがない!私たちは助かるんだよ!
ダフネ、貴様まで……!
王女殿下……だと?
シージ、テメェ……王室の者だったのかよ?
ハッ、ハハ……なんだよそりゃ……
大公爵たちが、ついに……来てくれるのか……
シー……いや、王女様、俺は……
あがああああ!!!
鉱石病の急性発作です!
今すぐ抑制剤を注射しましょう!非常にまずい状態です!
見たか!我々は医薬品も取り揃えている!あとしばらくの辛抱だ!
……そうよ。あと、もう少しだけの辛抱なんだから……