モーガンならすでに一部の人たちを連れて帰ってきたよ。今ちょうど薬を配ってる。
ダグザとハンナはまだ隠れてる人たちを探しているかな。
あんたたちも分かってると思うけど……ここ最近、街中で顔を出す人たちはもう極々少数しかいないからね。
きっと今も崩れかけたビルの隙間でガタガタと震えながら隠れてる人たちが大勢いるはずだ。みんな深夜に拾ってきた残りカスみたいな食べ物で食いつないでる。
そういう連中も一人残らず見つけ出すつもりなのか、シージ?
全員救えないことくらいは承知している。
だがこれから撤退作戦が始まるんだ。それをその人たちにも知らせてやりたい。
さもなければ大公爵らの砲撃が始まった際、ほとんどの人はますます奥へ隠れてしまう。それが撤退の合図だということも知らずに。
それはそいつらが選んだことだろ?もしかしたら、サルカズがここを出ていく時まで生き延びる可能性だってある。
それでも、ほかにも選択肢が残されているんだということを知ってもらう必要がある。
フンッ、そうかよ。ほかの選択肢ね……
それなら数日前に、ほかにも人がいそうな場所を見つけた……廃墟の中で死骸を貪り食ってる獣の類じゃなきゃいいんだが。
(カドールが立ち去り、モーガンが近寄ってくる)
……モーガン、どうかしたのか?顔色が悪いぞ。
……平気。
ただちょっと……まだ慣れないだけ。
シュトラウスさんとエミールさんがケンカしちゃったんだ。たかだか抑制剤一本のためだけに、相手の目ん玉を潰しちゃった。
吾輩とアーミヤでなんとか二人を止めたけど、目は守れなかったよ。
吾輩らはそこまで薬をたくさん持ってはいないからね。今も外で人たちが大勢集まっているけど、中には……怖がってる人もいた。
自分は感染するんじゃないか、ってね。中には自分がすでに感染者になってしまったことに気付いていない人もいたよ。
アーミヤなら、イネスからまだ連絡が来ていないからって、イネスとドクターのところに向かった。
あんなところ……吾輩一人じゃ耐えられなかった。だから息抜きがてら、こっちに戻ってきたの。
あんた、あの連れてきた人たちと結構親しいんだね?
そりゃ小さい頃からここで育ってきたからね。この街を一番知り尽くしているのも、きっと吾輩だけさ。ヴィーナはおろか、あんたやハンナよりもね。
あの頃のモーガンは、暇さえあれば街中をブラついてたっけ。
そうだね、この街はいわば吾輩の裏庭さ。どの道がどこに通じているのかなんて手に取るように分かるよ。
だから吾輩は……顔なじみの連中を探しに行ったの。
マクラーレンも探しに行ったよ。声をかけても無視されっぱなしだったけど、わざとじゃなかったんだ……
彼……耳が聞こえなくなってたんだよ。耳から血が流れていたからね。
だからメモを書いて彼に渡してみたんだ、目は見えてるはずだから。でも……部屋のもっと奥に隠れちゃった。
レコード屋をやってるカシュも探しに行ったよ。昔はあいつに何度も流行りが過ぎたレコードで金を騙し取られちゃったけど……
あいつ……足が一本完全に変形しちゃってたの。これまで一体どうやって動いてきたのやら……
それと輸入服の商売をしてるブレンダさんも。昔はよく吾輩に龍門のファッション雑誌を貸して見せてくれてたっけ……
彼女の傷口を焼いて塞ぐ応急処置をしてやったんだ、でも……
ほかにもたくさんいるよ。クレア、アイリーン、イートン……
みんな……みんな吾輩の知る人たちだったのに!
ねえヴィーナ、吾輩らはこんな光景を見るためにここへ戻ってきたわけじゃないよね!?
吾輩らは一体……何しにここに戻ってきたの?
もし吾輩らになんの力もなく、ただここで起こってることを見てやることしかできないっていうのなら、吾輩らは最初から……ここに来なきゃよかったんじゃ……
英雄たちが冒険に出て、正義のために悪を倒す話は何度も見てきたけど――
それ以外の人たちは、所詮主人公たちの話し相手、引き立て役でしかない……
そんな吾輩らは物語の主人公なんだって、ずっとそう思っていた。でも……
今日見た人たちは、みんな吾輩の知る人たちだった!誰一人例外なく!
バケモノに村が壊され、そのバケモノを英雄が退治したなんて簡単に言いくるめていいことなんかじゃない……!
ましてやド三流の復讐劇なんかに……
ねえヴィーナ、彼らとはもう二十年もの付き合いだ。確かにみんな物語の主人公が悲しむ時や、悪役を倒す時のセリフにしか出てこない名前程度の存在なのかもしれない……
でもだからといって……こんな目に遭っていいはずが……
モーガン……貴様の気持ちはよく分か――
分かる!?分かるだって!?
アレクサンドリナ・ヴィーナ・ヴィクトリア!あんたはなんのためにこの国に戻ってきた!?あんたのご立派な王冠を取り戻し、再びアスランの伝説を作り上げるため!?
家に……帰りたいと思ったからなんだよね?そうなんでしょ?
ねえヴィーナ、お願い……吾輩に、ここでの出来事はすべて悪い夢、すぐに目が覚めるって言ってちょうだい……
ほんのしばらくの辛抱だって、そう言ってちょうだいよ……
シージにとって、これ以上にないほど親しみ深い人の顔から大粒の涙が滴り落ちる。
彼女の知る限りでは、ビデオホール以外でモーガンがここまで涙を流すところは見たことがない。
それでも、傍らにある諸王の息吹はいつまでも冷たく、静かなままであった。
ぐずッ……ごめん、ヴィーナ……ヴィーナを責めてるわけじゃないの……
ただちょっと街中を歩いてる時にね、ふと気付いちゃったんだ……
吾輩らは本当に、ノーポートを失っちゃったんだって……
(モーガンが立ち去る)
あっ、モーガン!
ヴィーナ……
(ベアードが立ち去る)
友人らが出て行った部屋はひどく静かだった。まるで往日の賑やかさや騒がしさが嘘であったかのように。
部屋の配置はシージらが出ていった時と変わらないままだ。
だが、もう何も残されてはいない。
これまでの間、シージはいつも無意識にこの諸王の息吹と呼ばれている剣に触れていた。
そんな彼女はこの時もまた、無意識に剣の柄を触れる。
そこから何らかのエネルギーを、激励を、あるいは責任感や犠牲が定められた運命を感じ取ろうとしたのだが……
徒に失望を重ねるだけであった。
私はなんのためにここへ帰ってきた?ここで起こってることを一通り見て回るためか?
それとも、最初から私に向けられた期待の眼差しは人を選び間違えていたのではないだろうか?この剣と私の師の教えのせいで、私は彼らの象徴になり得るという風に思い込んでいただけなのではないだろうか?
これまでにないほど、シージは自分の優柔不断さを恨むようになった。
モーガン……
おそらく……私は後悔したくないがためにここへ戻ってきたのだろう。何もしてやれなかったと、後年の自分にそう思わせないために。
それってなんかの寓話なの、コルバートさん?
ヴィクトリアを暗喩しているとか?
寓話ですか?いえいえ、わたくしは回りくどい話が嫌いな人間ですので、ただの思い出話に過ぎませんよ。
ここにいる以上は、時間潰しのためにも何かしら話をしたほうがいいと思いまして。
でしたら未来の話をしていただけませんか、“ヴィクトリア人”のサルカズ?私は過去よりも未来に目を向きたいので。
ところでターラー人、ここへ突入する際はかなりの人数を揃えてきたのではないですか?きっと事前に準備を済ませてから入ってきたことでしょう。
察するに、私と共倒れすることだけはできるだけ回避したかったのではないでしょうか?
そちらが大人しくしている限り、何も起こりはしない。
あの飛空船の技術を独占するおつもりですね?
そちらとて同じだろ。まさかカスター公は、単にお散歩をさせるために貴様をここへ送りつけたわけではあるまい?
ならば技術をシェアするのは如何です?飛空船の守備は……きっと錚々たるもの。お互いにとっても、きっと楽な任務ではないはずです。
だがもしここで協力していただけるのなら、あの技術は一大公爵の独占物ではなくなり、ヴィクトリアのものになります。如何ですか?
ヴィクトリアなど知ったことではない。
……
なるほど、答えはもうすでに決まっているということですか。
お互い目標に対しては暗黙の了解が働いているはずだと、そう言ったのは貴様のほうだろ。
その暗黙の了解を尊重して、できる限り貴様には手を出さないでやると言っているのだ、カスターのイヌめ。
つい先ほどまでは私を殺そうとしていたのに?
なんだ、謝罪してほしいのか?
貴様の任務は失敗したのだよ。処罰されるにも、せいぜい降格処分を受ける程度で、命までは取られないはずだ。
それでもなおカスター公から勲章と抜擢を授かりたいと言うのであれば、止めはしないがな。
……なるほど、今回の対面で分かりましたよ。ウェリントン公の手下は彼と同じように頭がすこぶる凝り固まっている。
いいでしょう、飛空船の技術はお譲りします。
ただし、こちらにも条件が。
どうやらこちらとの関係を再評価してくださるようだな。
このような局面では致し方ありませんからね、ドクター殿。
あなた方はこちらの盟友になれる誘いを断りました。であれば、再び駒として利用するだけ。
宝剣はいずれ頂戴いたします。その代わりウィンダミア公の娘とアレクサンドリナにはここで死んでもらいますがね。
……
おや、ここですんなりと諦めるのですね、継承者さん?
貴様らのごたごたに介入する命令は受けていないのでな、好きにするといい。
では、交渉成立ということで。
成立した取引であれば、カスター公は必ず約束を遵守してくださりますよ。例外なく、ね。
それが私たちの優先すべき最大の原則ですから。
……
(小声)イネス。
(小声)分かってるわ。
待ってちょうだい、その前に当事者らの意見も聞いてくれないかしら?自分たちだけで話を進めるのは、あなたたちヴィクトリア人の悪い習慣よ。
さっきも言ったけど、あなたの比喩表現のセンスはひどいものだわ、ハット帽さん。
私たちが駒だなんてね。
ふむ、ウィンダミア公との関係をある種の命綱として捉えているようですが……
付くべき味方を見誤りましたね、いいアイデアとは思えません。
最初からどっちも付かない選択肢はあったけどね。
ならあなた方はここで――
待て、様子がおかしい……
(ダフネの姿が消える)
なっ!?あのウィンダミア公の娘……アーツが作り出した幻影だったのか!?
ヤツは今どこに!?
おい、貴様ら……!
(イネスと”グレイハット”が”将校”に斬り掛かる)
あら、気が合うじゃないの、ハット帽さん。
ええ、なんせこちらの信条に関わることですので。
約束を遵守せよ、ってやつ?
いいえ、もう一つのほうです。
勝ち逃げは許さないという信条のほうです。
ここは諦めたほうがいいですよ、ターラー人。この人たちが通信を送れば、大公爵らの主力艦隊がここに攻め込まざるを得なくなりますから。
その時になったら、飛空船は早い者勝ちです。
これではもう、お互いボーナスはもらえそうにありませんね。
……
そうか。ならば……!
(”将校”がドクターに襲いかかる)
ドクター、危ないッ!
(アーミヤのアーツが”将校”に襲いかかる)
イネスさん!間に合いました!
外で影がチラホラとしていたのが見えたので!
ロドスよ、こちらの公爵はまだ貴様らと敵対するつもりはない。
あら、でもさっきのあなたの攻撃で台無しになっちゃったけど?
そうね……謝罪してくれるのなら、なかったことにしてあげなくもないわ。
……
なら、この先楽しみにしていることだ。
これ、ダブリンの人たちの死体だ……!
やっぱりここにも人を送り込んでいたのか。
傷口は……まだ新しい、多分つい先ほど殺されたんだろう。それにしてもこの斬られた痕、まるで炎に焼かれたような……
……ッ!誰!?
だだっ広い部屋の中。返事はなかった。
ダフネは目一杯手にしている短剣を握りしめる。
母からはいつも戦闘訓練に力を入れなかったことを指摘され続けてきたが、剣術でヴィクトリア中に名を馳せたウィンダミア公の娘であるためか、彼女は多少なら相手にできるという自信は持ち合わせている。
通信施設ならこの先のはずだけど……
なッ……!?
そ、そんな……
ダフネの目の前には束になりながら乱雑に絡まった電線が飛び出ている。本来であればその先に通信設備が繋がっているはずなのだが、どこにもその姿が見当たらない。
設備が置かれていたであろう台のほうを見れば、すでにぶ厚い埃が覆われていた。
誰かが早々に……いや、とうの昔にここへやってきて、通信設備を奪っていったのだろう。