イネスさんが言っていた日の出まであと数時間……
私たちも撤退作戦を急ぎましょう。
その前に一つ。何か重要なことをお忘れではありませんか、ドクター殿?
飛空船のことだろ。
ええ、私たちはまたダブリンと同じスタートラインに立たされてしまいました。
つまり意味するのは、一分たりとも無駄にはできないということです。
約束を遵守せよ”、これは何も私たち自身に科した要求ではなく……取引相手にも求めているものなのですよ。
(複数の“グレイハット”が姿を現す)
ようやく来てくれたか。こっちは危うくヘマタイトのヤツにやられるところだったぞ。
お前のやり方は優しすぎる。公爵閣下のほうも、お前の怠慢にはたいそうご不満を呈しておられるぞ。
それとも、アレクサンドリナに恩を売って引き込めようとしているのか?
……なかなか手厳しい指摘ですね。私は今でも公爵閣下の忠誠な僕です、ただ……
言い訳は後だ、今は時間がない。
……
(“グレイハット”が切っ先を向ける)
動くんじゃないぞ、ロドス。
(アーミヤが黒いアーツを見せる)
なんのつもりですか?
……黒いアーツか。新しく上がってきた情報の書いていた通りだ。
よく隠し通してきたな、ロドス。まさかサルカズの魔王がコータスの少女だったとは。
実に興味深い……もしかすれば、これは本当にお前にしか任せられないのかもしれないな。
この点に気付く事が出来なかったのもお前の落ち度だぞ、三流詩人。
……閣下は私にどのような方法で挽回することをお望みで?
お前とダブリンがお喋りしていた間、こちらで飛空船の居場所を突き止めた……が、色々と手強い。
だが例の情報によれば、“魔王”なら突破できるとのことだ。
そういうことだ、小さき魔王。ひとまず手を貸してもらうぞ。
……
あのウィンドミア公の娘はどうするのです?
飛空船の技術確保が最優先だ。手柄を立てて失敗を補おうとしているのかもしれんが、そんなことに付き合ってる暇はない。
あらかた伝えられる人たちには伝えておいたよ。
あたしたちにできることはここまでだ。
アーミヤたちがまだ戻ってきていない。ドクターとイネスからの連絡もまだだ、もう少しだけ待ってあげよう。
……外、またどこかで火が上がったみたい。
あそこは……ホテルがある場所だな。
……様子を見に行こう。
(ダフネが駆け寄ってくる)
ぜぇ……はぁ……
ダフネ!?どうしたのそんなゼーゼーして?
――ロドスの人たちは?
よく聞いて……アレクサンドリナ・ヴィーナ・ヴィクトリア……!
取引が……!アーミヤとドクターを脅した、あの“グレイハット”の取引がまた再開したんだ……!飛空船の居場所を突き止めようと……!
ウェリントンの軍も、もうこの区画に入り込んでいる……はぁ……カスターの増援もおそらくはすでに到着してるはず……
公爵たちはみんな……あの飛空船の技術を、ライバルよりも先に手に入れようとしているんだ……
ノーポートはもう……はぁ……公爵たちの、縄張り争いの場になってしまったよ……!
ケッ、相変わらずの連中だぜまったく。
んでラジオ放送は?大公爵たちを突き動かしてくれるラジオ放送が流れるって、この前言ってただろ?
……
できるだけのことはやるって、イネスさんが……
できるだけのことはやるだって?そいつはどういう意味だ?
日の出まで待っていて、だって。
……そうか、了解した。
仮にこのまま大公爵らが攻めてくるとして、私たちに残された時間は?
もしイネスさんが成功した場合だと……ウィンダミアの高速戦艦は日の出間もなくここに近づいてくれるはずだよ。
ここ、人がたくさんいる……頑張ってかき集めたんだね。
ここにいない人たちにもきっと知らせは届いているはずだよ。脱出する際は、みんなあたしたちについて来ることになってる。
じゃあ戦艦が近づいてくるまで、なるべきここで待機しておいたほうがいいね。
この状況で外に出るのは……得策じゃない。
ウェリントンもカスターも、自分たちの邪魔をしてくる人たちには容赦しないかもしれないから。
いや、ここはすぐに出発したほうがいい。
バリケードの外にあるサルカズの野営地が襲われていた。おそらくは大公爵の誰かがやったんだろう。
夜のうちにバリケードの見張りが薄くなっているところに集まるんだ。
何より……建物の中に隠れてこちらを覗き込んでいる人たちにも、私たちが言っていることが本当であると知ってもらわねばならない。
これはサルカズの罠ではないと。自分たちの僅かな食料を奪うための策略ではないということをな。
信頼を修復することは至極困難だ、だがそのためにも――
あの者たちに実際の行動を見せるしか方法はない。
……
ほらよ、この前持ってくるようお願いされた本だ。
ったく、こっちはロンディニウムの図書館でずっと探し回るハメになったんだぞ?俺ヴィクトリア語分からねえし、そこにいるフェリーン野郎を取っ捕まえてようやく見つけた本だ。
ありがとう。
なあお前、たまにまっ白なページんとこに絵とか文章を描いたりしてるよな?
本が読めるだけじゃなくて、物書きもできるのか?
俺ァカズデルに行ったことがねえから分からねえけど、そこの地下にはサルカズたちの大学があったって聞くぜ?
お前、もしかしてそこの教師だったのか?
いいや、俺もお前と同じだ。人のために命を売る生業をしている。
ほーん、そうなんだ。それでよ、そんなに面白い本なのか?
いや、締め方はどれも似たり寄ったりだ。同じシチュエーションが延々と綴られている。
きっと原作者たちはこうするしかできなかったのだろうが……
俺も正直言って飽き飽きしてきたよ。
それにしても、マンフレッド将軍がお前をここにぶち込んでおきながら、それ以上なんの指示も出してこないなんて……
お前、一体何やらかしちまったんだよ?
それはきっと、俺にとっては牢屋のほうが静かで穏やかに暮らせると考慮してくれたのだろう。
ここなら……好きなことができるとな。
それで本を読んでるって?
ハッ、お前ってつまんねーヤツだな。
ところでよ、聞いた話じゃ……もうすぐいい知らせが届くみたいだぜ?
この大地全土に響き渡るいい知らせが!
どうせまた戦争だろ?
……お前、話してるとつまんねーって人に言われたことねえか?
それはあるな。
……やっぱお前つまんねーわ。
まあいい、そろそろ交代の時間だ。ここで大人しくしてろよ。
それと見返りも忘れないでくれよな、せっかく本を探してやったんだから。
そう言って王庭軍の兵士は、ゆらゆらと牢屋が並ぶ廊下の曲がり角に消えていったが、直後にぞろぞろとした他の足音が聞こえてきた。
それをヘドリーは待ち続けたが……
ついぞ静寂しか現れなかった。
……
クルーたちの搭乗がすべて完了しました、マンフレッド将軍。
分かった。
パプリカ。
うっ……うっす!
『サルカズ戦史』という本を……読んだことはあるか?
……ないけど。
なら読んでおくべきだな。ちょうど私の書斎の引き出しに入っている、持って行くといい。
それって面白いの?
あれは戦争を語った歴史書だ。
それはさっき聞いたけど……
ならそんなことを聞かないでくれ。
あの本に綴られた観点も、軟弱さも、悲哀も、破壊的な過程も、そのほとんどを私は認めていない。
それでも、あれは血に塗れた一冊だ。
じゃあその本を書いた作者は、今度の戦争をどうのように書き上げるんすか?
……
私も気になるところだ。