ファイギ:
感染者になり始めた頃は、思考が働かず何も考えられなかった。
コシチェイが私を利用してたくさんの悪事に働かせようとしていたことはよく知っている、しかし常に恐怖も感じている、奴は一体私に何をさせたかったのだろうか?
奴は謎の手段を使って、私が長年かけてやっと築き上げた感染者同士の通信網を一瞬にして破壊するつもりなのだろうか?
それとも、奴は私を利用して感染者を分裂させて、都市派と集落派に分けるつもりなのだろうか?
さらに恐ろしいのが、奴は感染者を新たな軍隊に仕立て上げ、ウルサスを再び戦争に突入させるつもりなのだろう?
今のところ私には推測することしかできない。暗い考えは払拭しきれず、いつもぐるぐると私の頭の中を巡っている。
しかし私はもう前に進むしかない。
そういえばあのスノーデビル、名前は確かペトロワだ、彼女が昨日獣のミルクで油の種子を炒めていた、面白い料理方法だった。味もかなり独特だったな。

あの出来事……思い出したわ。早いわね、あれからもう二年も経っちゃったなんて。

戦士たちが散々噂にしていたけど本当なのかしら、あなたが彼女とケンカしたって本当なの?噂では二人してあの廃棄された都市を木っ端微塵に吹っ飛ばしたって聞くけど。

そんな大げさじゃないよ。噂っていつもいつも常識外れになっちゃうから困るよ……私はただ彼女の源石の氷晶を燃やして融かしただけだよ。
(サシェンカが走り回る足音)

サシェンカ、走り回らないの、転んじゃうわよ!

彼らが自分たちで生活できるところを見てよ。実に素晴らしい。

それが私の責務だからね。

まさか君が自ら積極的に子供たちの教師として名乗り出たとはね。

私とあの子たちの関係はウルサスのよりよっぽどいいわよ。それでさっき何を燃やしたって言ったの?

フロストノヴァの源石氷晶だよ。彼女の小隊が使用していたアーツ装置の一種、だと思う。

それじゃあ……フロストノヴァは、きっと不服よね。

ふふん、その通り。一息吹きかけられただけで、私の身体の半分は凍りついてしまった。

反応できたころには、彼女はすでに氷のナイフで私の喉元に斬りかかってきた。

私は彼女のナイフを防いだけど、ふうと息を吹きかけられ、私の剣もここ数年初めて霜が付着してしまったんだ。

彼女もきっと自分のナイフが人によって欠けてしまったところを見たのは初めてのはず……

まぁ、嬉しそうに話しているわね。結構自慢にしてるでしょ?

そんなことは……まあちょっとはあるかな……あれっ、あの子、柵の後ろに隠れてる子って、名前何だったっけ?

ラネーフスカヤよ。そこで何をコソコソしてるの、リューバ!あとでまたお話を聞かせてあげるから!

そうねぇ、灰色の森にいるお化けの話をしちゃおうかしら……とっても怖いお話よ!

先生の代わりに木屑を持ってきてほしいんだけど、お願いできる?籠に入れてちょうだいね。ありがとう。

それで?

フロストノヴァが……アリーナ、君も知ってるだろ、あのフロストノヴァだ。彼女の名前は私よりはるか前に北西凍原の術師たちに伝わってるんだ。

てっきりあなたって自分の名前が他人の間に伝わるのが嫌ってたと思ってたわ。

この名前を使って他者を脅かしてる連中がいれば、そりゃあ嫌だよ。でも戦士たちがこの名前を聞いて私に挑んでくるようになるんだったら、それはそれで割といいかも。

あなたと違って、フロストノヴァはそんな挑戦を避けてきた。これは、相当彼女を怒らせたわね。

彼女は感染者の中でもトップクラスの術師で、小隊指揮もトップクラスで、なにより感染者最強の戦士だ。

……誤解しないで、決してそれに目がくらんだわけではないから。

でも色んな人から見ても、あなたたちって結構似てるわよ。子供たちだっていつかはフロストノヴァになりたいって言う子もいれば、あなたみたいなヒーローになりたいって言う子もいるわよ。

ストップ、ストーップ。ヒーローって言葉はやめてよ。君はどうなのさ、アリーナ、そういう君はどうなの?

私からしたらみんなそれぞれ違うわよ。

そう言うと思ってたよ。

実を言うと、フロストノヴァが小さい頃どう暮らしていたかはまだ知らないんだ、彼女の教養は素晴らしい、昔は結構いい暮らしをしていたんじゃないかな。

この子たちには私と同じ人生を歩んではほしくないから。

あなたの教養も素晴らしいじゃない。

やめてよ。

……タルラ、この大地が彼らにどんな仕打ちを与えるかなんて誰も予想はできないのよ、もしかしたら私たち以上にひどい目に遭うかもしれないのよ。

縁起でもない。

だから私は先生になりたいって思ったのよ。

私の「先生」は君みたいな人ではなかったけどね。

……君の言いたいことはわかるよ。フロストノヴァもきっとそうなんだろうな……

さあね。まったく同じ人生を歩む感染者なんていないんだし。

とにかく、フロストノヴァとやり合ったあと、技巧訓練で手を抜くことはもうなくなったよ。アーツにしても、剣術にしても。彼女に負けるわけにはいかないからね。

二人がケンカしたのはよーく分かったから、その後はどうなったの?

彼女がやっと怒りが収まってから教えてくれたよ、あの討伐は彼女が始めたことじゃないってね。

じゃあ始めたのはあの人しかいないわね。

君の言う通りだ、あの人しかいない。私たちが戦い終えて間もないころに……

……都市の別端から一人の……

……人が来たんだ。

思い出すのにそんなに体力使う?

第一印象であまりにも仰天してしまったからね、どう君に表現していいものやら。

昼の日差しが彼に降り注いでいるのに、照らし出せないほど彼はヘドロのような黒色をしていたんだ。

丁度フロストノヴァに私の計画を話していたときだった、ほかの都市にいる感染者にも連絡を入れたいとね。

資金を調達して小型の移動都市を建設あるいは奪取したいと、彼女らにも計画に参加してほしいと話したそのとき……

彼の影が私の目に入ったんだ。もうこれ以上は話せない。

どうして?

そんなに自信がないからだよ。

自信がない?あなたに自信がないときなんて見たことないわ。

でもあれは……パトリオットだからね。

彼を説得できなかったのね。

今もね。

あとのことは君もよく知ってるだろ、私とフロストノヴァが「親善試合」をしたあと、私たちのチームは見事遊撃隊と合流できた。

安心した。というのも、あの遊撃隊と一緒に行動できるって聞いて、私たちの感染者の多くが大喜びしていたし。

この二年間私たちの暮らしは以前に比べて良くなった、あなたの選択は間違っていなかった。あなたは正しかったわ、タルラ。

でも……たぶんだけど、遊撃隊は私やほかの感染者の戦士たちを重く見ていたわけじゃないと思う、彼らはただ……私たちに同行している感染者たちを無視できなかっただけなのかもしれない。

ならなおさら気を落とす必要はないわ。あなただってそう思ってるじゃないの。

でももう二年も経つんだよ。それもなんの進展もなく。

じゃあこう考えましょ、タルラ、いつからパトリオットに認めてもらえなくなったと思う?

一年よりも前かな……私たちが遊撃隊と合流できてしばらく経ってからかな。今もだけど。

不可能だ。

凍原にまだどれだけの感染者がウルサスのクズ共の統治下で暮らしているのかすら分からないんだぞ、その状態で遊撃隊に都市にいる感染者の話をしても、早すぎる。

凍原の感染者を見捨てるわけではない。でなかれば彼らを連れてくるはずがないだろ?

私たちはいずれここに戻ってくる。私たちの目標はウルサスを、いや、この大地にいるすべての感染者を団結させることだ……

それぞれ異なる場所に身を置いていようと、我々は己の理不尽な境遇に区別はない。

私のある都市にいる同胞がこの行動を「レユニオン」と呼んでいた。

彼は感染者たちを団結させるよう呼び集め、自ら「レユニオン・ムーブメント」と称した、同じ信念を共に抱き、共にウルサスが今行っている感染者への残酷な統治に抗議するために。

ならこちらも採掘場を搾取している凍原のウルサス兵に抗議すべきだ、もしかしたら非を認めさせられるかもしれん。

お前が南で「抗議」するのであれば、いっそのこと師団と命の張り合いをしたほうがマシだ。

ウルサスとて一枚岩ではない。これは我々のチャンスでもあるんだ。レユニオンがすべきことは我々の信念を広く世間に伝え広めることだ、それにほかのチャンスもたくさんある。信念以外にも信号を伝える必要がある。

信号とは?

「お前たちは孤独ではない」という信号だ。

――

君だって凍原にいるだけでは自分たちの力を消耗するだけということも理解しているんだろ。だからまずは凍原を抜け出す必要があるんだ。

そんなことに頷けるわけがないだろう。

やっぱりまだ同意してくれないのか。

離れることの代償が死なのであれば、私の命はせいぜい一人二人のウルサス兵の命と取り換えることぐらいにしか使えない。

だが私たちの周りに人たちはどうする?

タルラ、お前は兄弟姉妹たちが傍にいないからそう言えるんだ。私は彼らを死なせるわけにはいかない。

だがそれに関しては正しいと思っている。

それってどれのこと?

感染者たちにお前たちは孤独ではないことを伝えることだ。

私たちはこの雪原で一つのことに多くの時間を費やし過ぎた。

同胞たちを探すことにな。

だが、都市の感染者たちを団結させるだと?

どうやら大都会からやってきた若者はよほどファンタジーを好むらしいな。

君の笑いものになるつもりはまだないよ、フロストノヴァ。

嘲笑ってるわけではない。お前は強い、お前は彼らを連れて長い道を歩んできた、私たちと同じように。

しかし南に向かうこと自体が幻想なのだ。

遊撃隊がいくら強かろうと、私たちは所詮感染者だ。

あとどれくらい私たちに時間が残されているかも分からないんだ……お前が言う団結もどれだけの年月がかかることやら……

だからこそ――

父さん?

あ……

パトリオット殿?
パトリオットは焚き火の傍に腰を下ろした。タルラが脳内で無数にシミュレーションしていた情景と同じように、パトリオットはただそこに座り、一言も喋らず、焚き火を見つめていた。

……

気にするな。続けてくれ。

私たちに残されている時間が少ないからこそだ。

南なら豊かな畑地がある、気候もちょうどいい、四季の変化も、新鮮な食べ物だってある。

資源も、教育も、先行きも……

未来だってあるんだ。

――未来?

フロストノヴァ、君が何を考えているかはわかる。

私の考えはすでに私の顔に出ているはずだ、そんな「未来」なんてものは知らない。

残された時間は確かに少ない、開拓できる場所もあまり多くないのかもしれない。

しかし感染者にも未来を持つべきだ、未来の感染者のためにも、私たちよりもあとの人たちの未来のためにも。

フロストノヴァ……私たちで感染者たちに住処を探してあげよう。

ウルサスの感染者治安維持隊に邪魔されない場所を、ウルサス軍に囲まれない場所を。

お前もよくわかっているはずだ、感染者を同行されることは遊撃隊の足手まといになることを。だが彼らを見捨てることもできない。

困難な道になるぞ。

少なくとも、私たちが死ぬ前に創造したその希望を、ほかの人に残してあげることはできる。

それに、もし今のウルサスの感染者制度を覆せれば……

すべてを変えられる。

だが私たちの勢力はまだ弱い。

お前が感染者じゃなければ、私と握手するもんか?

なら握手から始めればいい。

……お前の言ってることは、おそらく……

父さん?どこに行くんだ?

もうよい。
(パトリオットが立ち去る足音)

パトリオット殿……

はぁ、まったく。

あまり気にするな。

たぶん色々考えてくれてるのよ。

なら随分考え込んでくれているんだろうね。

この二年間、私と彼の会話はすべて隊の建設やこれからの段取りばっかりだった。一度も彼から私に計画のことを聞いてはくれなかったさ。

タルラ、たとえ彼が君を嘲笑っていたとしても君を反対していたとしても――あっ、他人を嘲笑うような人には思えないけど――あなたはずっと彼の答えを待ち続けている。そうなんでしょ?

凍原を出たければ、遊撃隊なしではダメだからね。頑張って説得するよ。

彼が凍原にいる感染者の希望だから?

君がそう言うとは思わなかったよ。君なら……そう言わないはずだったかな?

あなたの考えてることが知りたいだけよ。

……彼こそが凍原感染者の団結の象徴、だと思ってる。

あの象徴だけは次の代に引き継ぐことはできないからね。

起きろ!いつまで寝ぼけてるつもりだ?

寒いんだよ、この白兎が……!

お前がか細い火の苗だからといって、こんな寒さも耐えられないとは言わせないぞ。

あのウルサス人の武器を凍らすときに言ってることと違うじゃないか。

兄弟たち、撤退するぞ!奴らに追わせてやれ!採掘場の守備軍を片っ端からおびき出すんだ!

盾衛兵たちの支援が来るまでの辛抱だ!諦めるな!

――早く。早く行くんだ。早く。遊撃隊がすでに挟撃し始めた。

なんで分かる――ちょっと待て。

あの変な源石の装飾品の数々は、遊撃隊が設置したのか?

私の父のために設置したものだ。

ウルサス軍がもう追ってこなくなったぞ。あれを恐れているのか。

ちょっと待て、あれって……サルカズのものじゃないか?

あの人のサルカズの儀式だ。あの二つは、現時点で手元にある材料で造れる一番良質なものなんだ。

パトリオットは……パトリオットはここにいるのか?

お前も言ってただろう、私たちの隊が襲撃されたのは予想外だったと。あの連隊を殲滅すると言ったからには、我々の小隊だけでは敵わないのも当然だ。

……敵が怖気づいてきたな。

私の父が戦うところを見るの初めてか、タルラ……?

あれは……あいつは……あいつだ……なんで言わなかったんだ……なんであいつがここにいるって言わなかったんだ!

撤退!撤退だ!!奴らは放っておけ、もう構うな!

待て!あいつが隊の後方から来ただと?じゃあ俺たちの目の前にいるのはなんだ?

おい?おい!?応答しろ!応答しろ!!
駐留軍が彼に猛攻撃を仕掛けるまで、大衆の面前に聳え立つ高大なサルカズはビクとも動かず、また一言も声を発しなかった。
しかしタルラにはまるで凍原の北風に慟哭が混ざったように聞こえた、それはこの大地の震えであり、かの邪悪はこのウェンディゴを目前に徐々に委縮していった。
パトリオットは仁王立ちし、凍原に向かってその手に持つ戟を突き出した。
ただ生きる命を貪ることしか知らない陰鬱とした天空に突如と大きな空洞が空いたのだった。