ファイギ:
雪は解けなかった。春も来なかった。
今年の春はどうあがいても来そうな気配はない。
いつも顔上げて焚き火を見るなり、火を揉み消したい衝動に駆られる、しかし暗闇でまた火を点け直さなければならない。
冬よ、早く過ぎ去ってくれ。早く過ぎ去ってくれなければ、私たちはこの雪に埋もれてしまう。
だから早く去ってくれ。
2月21日
タルラ、どうかしたのか?
……
なんだ?
ここ数か月ずっと元気がないように見えたからさ。何かあったのか?
何でもない……何でもないさ。
俺はあんたらについて行って間もない、でも彼らが言うには、昔のあんたは……今よりずっと明るかったって聞いたぞ?
おい。彼女が調子乗ってないだけでもありがたいんだ。さっき言ったこと、大尉にでも話してみろ?
あまり言い過ぎるな。
ならやめとくよ。
パトリオット殿は彼の言うほど怖い御仁ではないさ。盾衛兵はみんなこうなんだ、あまり気にしないでくれ。
ただ最近喉の調子が良くないらしく、あまり喋りたがらないんだ……だから君たちに無言の圧力をかけてしまっているのだろう。
私のことは……心配はいらない。
うん……ただ考え事をしていただけだ。私たちの隊もウルサス都市群にますます近づいてきた、だからさらに踏み込んだ議論がたくさん必要になってきたからね。黙って考え込んでいたから君にそういう印象を与えてしまったんじゃないかな。
そうだな、水も食料も少ない上に、人手でも足りてない、このままだともたないもんな。
そうだ、だから、今以上に外部にいる各勢力の動向に注意しなければならない。
一つは、なるべく早く現地の感染者集落と団体に連絡を取ること。
もう一つは、私たちの足取りを捕らえようとする人が必ず現れる……もし一歩間違えて罠にかかってしまえば、全員この雪原とおさらばだ。
なんかヤバそうだな。
もちろんまずい。しかし綿密にこれからのルートを計画すれば、踏み外すことはない。
……だから、損害をできるだけ少なくすることが現状の急務だ。
隊を分散すればより隠密に行動できるようにはなるが、そうすれば通信が問題になってしまう。
あ、そうか、ウルサスから鹵獲してきた通信機も使えそうにないし、あいつらの発信機も手に入れられなかったもんな。
そうすればこちらの連絡員と偵察員が不必要な危険に遭ってしまう。
遊撃隊の暗号を習得するにしても学習コストが高すぎる、かといって連絡網を整えるにしてもプロトタイプ機を入手する必要がある……
タルラ……タルラ!偵察員が襲撃された!
そんなこと、自分でなんとかすれば……
うるさい、前とは状況が違うんだ!敵を判別する前に、倒されてしまったんだよ!
直接発見し正確にこちらの偵察術師を襲撃したんだ、こりゃあただの治安維持隊ができる業じゃないぜ……!
戦友の命に関わることを、疎かにするわけにはいかない。
スノーデビル、現場に案内してくれ。
盾衛兵、おそらくウルサスの集団軍の直属部隊に遭遇したのかもしれない。ついて来てくれ。
分かった!
いいか、先遣隊だったとしても油断するな、処理をあやふやにすれば、たちまち大規模な報復に遭うからな。そんなことは万に一つもあってはならない!
了解!
伝令兵、パトリオット殿に連絡を!
フロストノヴァの姐さんを呼んで――うっ!あっ、ゴフッ……!
コンドラーシャ!!
お前!
スノーデビルの兄ちゃん!
あがっ!!
なっ……!なんだこれは!?は、はやく彼を下ろせ!このクソッたれの槍を抜くんだ!
(……黒い長槍が彼の身体から……生えただと!?)
(馬鹿な、ありえん……なぜここに!?帝国が飼いならした魔物がなぜこんなところに!?)
シュコー……
チッ、クソ……クソォ!
何なんだよあいつ!
血も涙もない殺人鬼め!やれ、やっちまえ!
よせ……!
何のつもりだ!邪魔すんじゃねぇ!
私たちが何に……何に遭遇しているのかがお前には分かっていないんだ!そいつの正体も知らずにみすみす死にに行ってどうする!
シュコー……シュコー……
何ビビってんだ!?人数はこっちのほうが多いんだぞ!
(盾を強く地面に突き立てる)
あ!?
死にたいのか!?
……あれは……
あれは※※のウルサスの皇帝親衛だ!!
……軍の盾衛兵も今ではこうも落ちぶれてしまったとはな。
貴様らに忠告を与える、即刻今ここで自害しろ。
盾衛兵、陣形を保て!ほかの戦士の保護に努めよ!
いいかよく聞け、よく聞いておけ!いかなるスキも奴に見せるな!
シュコー……
空気に恐怖が溢れだしたか。
そちらの感染者はまだ覚悟ができていないようだが。
……俺は……
恐れるな!恐れれば恐れるほど、奴がお前を殺しに来るぞ!
奴はいつでも手が出せるんだ、目をしっかり開け、よそ見するな!!
……
また手ぶらか。この三都市の通信網は遮断すべきだ。使いどころがない。
感染者よ。
ひっ、くっ……!偉そうになんだ!お前は……
現地の駐在軍に投降しろ、あるいは私が貴様らの口と鼻を削ぎ落して持ち帰ってやってもいいが。
そ、削ぐって……口と鼻を削ぎ落すって、それってつまり……
……巫妖……壊顔の巫妖じゃねぇか!あれは……あれはおとぎ話のはずでは……!
こいつが!?こいつがそうなのか?殺した人の顔を持ち帰って、森には名の知れない死体しか残らないっていうあの!?
こいつらは一体何年生きて……あの伝説は……あ……あれは巫妖かもしれねぇぞ!
違う、こいつらは伝説でもおとぎ話に登場する悪魔でもない!こいつらはただの殺し屋で人殺しにすぎない!
巫妖に敵うわけがないだろ!?俺たちはどうしてこいつらと戦わなくちゃいけねぇんだ、俺たちはただの人だ!ただの一般人なのに!
感染者が人と……一般人と自称するか。
フッ……フフ。
お、お前……
た……助け……
逃げるな!
逃亡は許さんぞ!逃げれば、死あるのみだ!
でもあれは、あれは人じゃないんだ!俺たちにどうやって――
ならば逃げたやつから殺していく!
あ!?
お前たちの命はとうの昔にほかの奴と一蓮托生なんだ、防衛線が崩れればみな死ぬ!
奴らはお前たちが想像するほど恐ろしくはない、奴らも突き刺せば血は出る!いくら皇帝親衛だとしてもそう容易く我ら盾衛兵の分厚い防御を突破することはできん……
……しかしお前たちが恐れれば、お前たちが奴らの突破口になってしまう、奴らは真っ先にお前たちから仕留めに来るぞ!
同じくウルサスの強大な武力なる者ども、その盾衛兵が我らに歯向かい、感染者側につくとは、つくづく愚かだ。
誠に不幸な時代だ。
仕掛けてくるぞ!盾衛兵たち、盾を構えよ!!持ちこたえるんだ!
……
……
シュコー……シュコー……
……攻めて……こないだと?
……焦げた匂いがする。
あ……体が温まってきたぞ……?
――まさか、まさか、彼女が帰ってきたのか!
彼女が帰ってきた!帰ってきたぞ!もう怖がるな、彼女が帰ってきたんだ!たとえ巫妖だろうと彼女がすべて灰にしてくれるぞ!
……油断するな!皇帝親衛はそんな容易く……
誰の何を持ち帰るって!?
シュコー……
貴様は我らの同胞を殺した。暴力で問題を解決したいというのであれば、こちらもその暴力をもって――
(タルラの歩く足音)
暴力をもって――
……
見つけたぞ。
(無線音)
3、7、22、36。【暗号】、【暗号】。
……どうしてウルサスの皇帝親衛が……こんなところにいる!
シュコー……
タルラ……お前が先に来るべきじゃなかった。お前は大尉を呼ぶべきだった……!
お前は我々がここに現れた理由が知りたいと。
理由は、お前を探していたのだ、公爵の娘よ。現状を再評価せねば。
雪が地に落ちる音がはっきりと聞こえてくる。
何だと?
公爵の娘よ。肝に銘じておけ、お前はその身分にある以上、もっと文明的な言葉で我々を称するべきだ。
あ?
……誰が誰の娘だって?
事実を否定している節があるな。
私があの蛇の娘とでも!?
憤怒か。懊悩からきた憤怒……それと現実逃避もか。
「皇帝の利刃」め……チッ!貴様が今日ここに来たのは私を嘲笑うためか?それとも私を殺しに来たのか!?
シュコー……
――タルラを守れ!
(お前たち!親衛がいくら強くても相手は一人だ、タルラが攻撃の要と指揮を務め、私たちは守りに徹する、あとはお前たちが支援してくれれば、必ず……)
(……どうしたんだ同胞たち?)
……
(公爵の娘ってどういうことだよ?)
シュコー。
お前は奴らに本当の身分を教えなかったのだな。
それもお前の計画の内というわけか?
……なんだよ……計画って?
我らを侮辱するか!?
挑発するにもまずは相手をよく見てから挑発しろ、殺人鬼め。ここにいるすべての人が目指す目標と私の身分の間には何の関係もない。
挑発という行為は信頼にしか使えない。お前と奴らとの間に信頼関係が存在するというが、甚だ疑わしい。
仮説として……奴らがお前の身分を知ってもなお、お前を信頼してくれるとしよう、現時点でそう仮定するしかない。
ウルサス帝国の裏で屠殺を実行する仮面の悪党にか?貴様らに評価される必要などここにはない。
激しい言言葉遣いだ……それに自信にも満ちている。
それすらもお前の計画の内というのか……であれば、こちらも情勢を再評価せねばならん。
ここらで失礼する。我々と奴らには共通点があることを、どうかお忘れなく。
お前に不信任な態度を抱いてる点は、私とお前の傍にいる者どもの共通点だ。我らの信頼が微々たるものでも、お前は行動を示してそれを勝ち取るべきだ。
……
止まれ。
シュコー……何か疑問でも。
お前は私の同胞を殺した。その上私たちの居場所も知ってる。
ふむ……こちらの伝えたいことを誤解してしまったか。
誰に密告するつもりだ?
シュコー……
それはどの秘密をだ?
戦士たちよ、奴にこちらの居場所を暴露させるわけにはいかない。
(タルラ、親衛に勝てるのか……勝算はあるのか?)
(こうしなければさらに損害を被るだけだ……立て続けに治安維持隊もしくは帝国軍が来れば、甚大な被害になってしまう!)
(皇帝親衛はこちらの行動に反応を出したがっているがそれでも時間が必要だ。)
(迅速に目の前の敵を掌握しなければ、撤退かあるいか深入りするかの選択肢が無くなってしまう。選びたいのであれば、即決即断するしかない!)
それに、注意する必要はあれど、奴を恐れる必要などない。奴はただの恐怖の代言者にすぎない、その恐怖も不公平に対する怒りの前では矮小な存在にすぎないからな!
――ああ、遊撃隊がこんな帝国の殺人マシーンを恐れる理由などない!
感染者の盾と槍が怖気づいてどうする?たったの一人がどうあがいても団結した我らの相手ではない!奴はただの殺人鬼にすぎないのだ!
一人……ではない。
貴様らの背後にもう一人いる。
……
タルラが来た道には、もう一人外套を着た「ヒト」が聳え立っていた。
灰色の空から白い破片がシンシンと降り注ぐ、雪はその人のコートに落ちた瞬間忽然と黒色へと変化し、破裂し、バラバラとなって地面に落ち、泥のように汚れ濁った。
二人いるだと……!?
それがどうした?たったの二人で我ら数十人の相手になるとでも?馬鹿馬鹿しい!
コシチェイの娘よ、お前がある判断を出したと仮定しよう、お前の身分が暴露したからといって奴らがお前を疑うことはないと。
それが本当かどうか実証してやらんでもないぞ。もしお前の判断が誤っていたのであれば、お前の父君が我らに賜った承諾も、すべて取り消しとなる。
なんだ……?
……
訳わからんことを考えてる暇なんてないぞ!
ぼさっとするな!奴らはタルラの命だけを欲しがってるわけではないぞ!
……あ!?
彼女が殺されれば、あの二人の殺人鬼の手から逃れられるとでも思っているのか?
タルラを守れ!
いや……戦士たちを守れ!
まず一つ、奴らを押しのけろ!二つ、撤退ルートを確保せよ!三つ、自分の身は自分で守れ!
深追いは考えるな!生きる力を保て、自分の命を守るんだ!
なぜなら……生きてる限りなんとかなる、死ねばすべてがおしまいだからだ!
だから生き延びろ!
お前は父君が言っていたのと全く異なるな。
……我らを失望させてしまうかもしれないぞ、北原感染者の指導者よ。
私は指導者でもなんでもない。
私はただの……感染者だ。だから貴様らに期待される筋合いなど微塵もない。