4:32p.m. 天気/曇り
リターニア北部荒原 火山地帯7号サンプリングポイント
……ご安心ください、本任務は順調に終わりを迎えています、エイヤフィヤトラさんはとても疲労してるようには見えますが、健康状態は基本的に安定しています。
本調査の具体的な結果はまだ不明です、エイヤフィヤトラさんが言うには、微小でありながらも、突破しづらい進展があった模様です。
帰路の際も、彼女の安全確保は俺が……
バティさん?
あ……ああ!エイヤフィヤトラさん、な、なんかご用ですか?
その……一番近い左前方にあるサンプリングポイントが少しズレたようで、それなのかリアルタイムデータの背景ノイズにも波が突然現れたので……
代わりに様子を見に行って頂けないでしょうか?
す、すいませんでした!
え?
俺がさっきちょっとイジっちゃったからなんです!本当にすいませんでした、わわわわざとデータが見たかったわけじゃ――
えーっと……バティさんがデータを見ていたからなんですね?
ゲホッ、ゲホゲホ……
そうでしたか……なら大丈夫です。てっきり風が強すぎて影響が出ちゃったのかと思ってました、でしたらほかの設備もチャックしなくて大丈夫そうですね。
ふぃ……え?まったく怒ってない?
エイヤさんは俺がデータを盗み見したことを責めないんですか?
……責める?よ、よく聞き取れませんでしたが……なぜ私は不思議に思っていないのかって聞いているのでしょうか?
不思議というのでしたら、確かにありますよ、まさかバティさんもこの研究データに興味を示されていたとは思いもしませんでしたので。
あはは……まあそりゃね。俺みたいな学のない人が見るのは変ですもんね……
そんなことないですよ。
火山分野の研究はあまり人気がないんですよ、ほとんどの場合こうして荒野に赴いて、一日中座って観察して、データ分析に没頭するだけですからね……普通の方からすれば退屈でしょう?
退屈なら、この世界で生きてる大半の人たちの生活は退屈そのものですよ。
毎日起きて、食べて、昼間にせっせと働いて、夜になれば寝るだけ。
それに比べて、エイヤフィヤトラさんみたいな学者さんたちは、生涯新鮮な刺激と触れ合えるじゃないですか。ウチらに比べたらよっぽど有意義ですよ!
……
……え、エイヤさんが笑った!ちょっと話が滑稽すぎましたかね?
いえいえ。ただバティさんのさっきの言い回しが、学校の昔の知り合いに少し似ていただけだったので。
あはは、まあ、俺も昔は大学の連中とつるんでいたことがありましたのでね。
え?バティさんはずっと警備関連の仕事をしていたんじゃないんですか?
まあ、昔のことですよ。あん時の俺は……ある若い教員の世話になってたんです、それからやっと仕事のチャンスを掴めたんですよ。
彼にはとてもお世話になりました、そのおかげで研究とはとても有意義なものなんだって認識できましたし……まあ、なんつーか、それだけじゃないんですよ。うん、それだけじゃないんだ。
……ケルシー医師との前回の相談を経て、バティさんは今ロドスに在籍していることを知りました、なのでもう一つお願いしたいことがあります……
ノーマンお嬢さんについてです……彼女も今はエイヤフィヤトラというコードネームを使用してロドスに在籍しています。
彼女は私の恩師のたった一人の娘なのです……
なのでどうかバティさんには可能な限りその子をサポートして頂きたいのです。
身の回りの世話だけでなく、確かに彼女の鉱石病は相当危険なステージまで到達していますが……
彼女の研究作業にもどうかサポートして頂きたいのです。
どうか彼女の進捗状況に目を配って頂き、必要な時には私にご連絡くださいませ。
カーンさん……
ケルシー先生が出発する前にの俺にこの手紙を渡してくれた、でも彼女だってわかっているはずだ、あんたの委託がなくとも、俺が必ずエイヤフィヤトラさんを守ってやるさ。
そう言えば、エイヤさんが初めて火山調査に行ったのってもう数年前でしたよね?
はい、初めての調査は……確かもう三年も前になりますね。
いや~、あの時のエイヤフィヤトラさんはまだまだ子供でしたね!
(小声)今の研究機構ってどこもそんなにブラックなのか?
全部聞こえていますよバティさん、あいにく今は補聴器の調子が良かったので。
あ、いやロドスのことじゃないですよ、ご、誤解しないでください!
冗談ですよ……ヴィルヘルム大学はそんなんじゃないですよ、当初学校側も私が研究に参与するには早すぎるって反対されていましたからね。
ただ、お父さんとお母さんが残した資料の内容の一部は、私にしか読めないものがあったので。
私はプロジェクトを中断してほしくなかったんです……お父さんとお母さんもきっと同じ思いだったと思います。だから自ら二人の跡を継いでこれからのフィールドワークへの参加に志願したんです。
お父さんお母さんって……あ!すいません、エイヤフィヤトラのお父さんとお母さんはもう……
いいんですよバティさん、もう遠い昔のことですから。
それって……やっぱり火山が原因なんですか?
はい……火山は危険ですからね。お母さんにも小さい頃から聞かされてきました。
――炎だけでも簡単に家を一棟丸ごと呑み込めちゃうんですよ。火山というのは、エネルギーがお腹の中で満ち満ちている巨大な怪物ですからね。
その怪物は何も考えていないのかもしれません、でもソレが口を開いた途端、思うがままの呼吸あるいは咳をしただけで――大地を変えてしまいますからね。
おかしな話なんですけど、小さい頃の私は、お父さんとお母さんの仕事をよく理解できていませんでした。あの頃は、お父さんもお母さんも巨大な怪物に立ち向かう勇者なんだって思っていたんですよ。
いや、あながち勇者で間違いないんじゃないですか?危険と知りながら、それでも臆せず立ち向かっていった。とてつもない勇気が必要になりますよ!
……それでも怖かったんです。
私が初めて火山を見た時……目は今のようじゃなかったんです。まだはっきりと目が見えましたし。耳だってまだはっきりと聞こえていました。
今でもあの煮えたぎる赤色と、耳元で轟く巨大な鳴り響きを憶えています……まるで怪物が大地の束縛から逃れるように、吠えながら目の前に這い上がってきたんです。
どんな本で書かれていた描写とも、絵に描かれていた姿とも違っていました……あれは紛れもなく生きる怪物そのものでした。
足が……足がビクとも動いてくれなかったんです。一歩も動けませんでした。呼吸も忘れてしまったかのように、我慢の限界まで止まっていました、咳も涙がにじみ出てしまうほどに。
その瞬間、私は理解したんです。
理解……した?
はい、たくさんのことを理解しました。
なぜ毎回調査に向かい前日、お母さんが私の小さなベッドに潜り込んでまで、私をギュッと抱きしめてくれたのかを。
なぜ毎回の調査から帰ってきた後、お父さんが資料を整理してる傍ら、いつも私の頭を撫でてくれて、いつも「本当に良かった」って言っていたのかを。
きっと……二人はいつもこういった恐怖を抱きながら立ち向かってきたんでしょうね。
はぁ。そんなことに遭っても、エイヤさんはこうして乗り越えてきた、大変立派なもんですよ。
俺もたくさんそういった類の悲劇は耳にしたことがありますよ、愛する子供が濁流に飲み込まれてしまったことで、その子の両親は川を恨むようになり、さっさと引っ越していったとかね。
似たような話ですか……確か当時も誰かから聞いたことがあります。
お父さんとお母さんが事故に遭った翌日、たくさんのおじさんおばさんやお兄さんお姉さんが私の元を訪ねてきました、特に私が火山調査のチームに加入したいって言った後に。
みんなの気持ちはわかりますし感謝もしてますよ。みんなきっと私が恨みによって、変なことをしでかすんじゃないかって心配していたんでしょうね。
そのほとんどの人は重荷なんか背負わなくていい、普通に勉強していいんだよって思っていたんだと思います。でも私にはできませんでした。
じゃあエイヤさんは……ちっとも憎んでいないんですか?
……ノーマン教授の事故発生後、私はずっと懸命に事故の原因を探ってきました……
あのトップクラスの火山学者と、アーツに精通した彼女の旦那さんが、あんなありふれた火山災害で死ぬわけがないと私はどうしても信じられませんでした。
お二人の研究はとっくに人目に付きすぎていたんです。行く道の先に待っているのは真実だけではありませんでした。
この成果を徹頭徹尾利用しとうと目論む者や、これらの結果を永遠に火山の火砕流に葬ろうと目論む者がいたのです。
……アデルはまだ幼い、この子がこの研究の背後に潜んでいる危険を理解しているかは私にはまだわかりません。暗い雲が寄り集まる前に、この子は鉱石病にすら犯されてしまう不幸に見舞われてしまいました。
しかし私はロドスを信じています、ケルシー医師が私を信じてくれているように。
もしも可能であれば、アデルにはこれ以上進まないでほしいのです……しかしケルシー医師は、この子の今後の成長を見届けてやれとおっしゃいました。
私は忙しさのあまり仕事から脱することが叶いません、なのでケルシー医師に君の元を訪ねて頂いたのです、バティさん。
どうか私の代わりにこの子の面倒を見てやって頂きたい……
何もかも取返しがつかなくなる前に、あの暗い雲が背を覗くもとで、可能な限りこの子を守ってやってほしい、彼女の心が外にある深く重い傷を負わせないでやってほしいのです。
だとしても、火山はあなたの両親を奪ってしまった、それに……あなたの病をも……
うーん……
本当に恨みがあるのかどうかと言われましたら……少なからずありますよ。
いや、違いますね。恨みというよりかは、悲しみのほうが正しいでしょうね。
お父さんや……お母さんには当然会いたいですよ。二人が事故に遭ったって知った時は、ウソにしか聞こえませんでした。
お父さんのアーツはあんなにすごかったのに……お母さんだって今まであれだけたくさんのフィールドワークを完成させていたのに。
それから数日は何も考えられず眠りについては、夢の中でいつも想像していた火山が現れて、大声で泣き叫びながら目を覚ましていました……私は全然バティさんが言ってたようなすごい人じゃありませんよ。
いやいやいや!そんなに誰だってそうですよ!それに当時のエイヤフィヤトラさんはまだ幼かったんですし!
そう考えると、考察作業をする傍ら、泣きじゃくる小さな女の子の世話しなければならなかった、当時の考察チームのお兄さんお姉さん方は大変苦労されたでしょうね。
うーん……やっぱり機会がある時にもう二三通感謝の手紙を送ったほうがいいですね。
あはは……
でもこの壊れちゃった情緒も、初めて火山を見て以降、ようやく徐々に回復できました。
え?でも確かエイヤさんはさっきまで怖かったって……
はい、怖かったのは怖かったですよ。でも恐怖以外に、穏やかな気持ちにもなれたんです。よくわかんないですよね?
穏やかな気持ちですか?確かに……よくわかんないです。
当時はお父さんとお母さんを片時も忘れられませんでした。そして急に思いついたんです、二人が見た火山と、私が見た火山は一緒なのかなって?
過去の学者たちも、同じような火山を見たのかなって?数百年も昔だったとしても――たとえ同じ地点じゃなくとも、あの赤いマグマはきっとあの時と同じように滾ってるんだって。
それに私が病に罹らなくとも、事故に遭わなくとも、自分の生涯を費やしてソレを研究して、ソレを理解しようとしても、私は前に立ちはだかる永遠の怪物を、どれほど理解できるのでしょうか?
「どうして両親はこの道を選んだんだろ?」とか、「どうして両親は死んでしまったのだろ?」とか。
この問いの答えなんて……目の前にあるこの永遠の問いと比べたら、急にそんなに重要じゃなくなるんです。
私に残された時間はもう少ししかありません。私には、退けるための言い訳も、悲しむためや恐怖するための言い訳もないんです。
エイヤさん……
きっと、お父さんもお母さんも同じことを考えていたんでしょう。
私は二人が残してくれた資料を手に取り、二人が歩いた道を進みました。まだ二人が、この世にいるのかのように。二人は今でも私の前に立ち、私を前へと導いてくれているんです。
もしも……いつか私もこの世を去らなければならない時が来ても、私が残した成果を継承してくれて、前へ前へと進み続けてくれる人が現れてくれるはずですよ?
本当にすごいな、途切れることもなく一代また一代へと伝わる、、それもまた別の永遠みたいですね。
うーん……永遠ですか?私は別に……ゴホッゴホッゴホッ……
おっと、また風が強くなったんでしょうかね?
エイヤフィヤトラさんはこっちに座ってください、風で身体を冷やしちゃマズイですからね。
ゴホッゴホッ……ありがとうございます。うん、これで大分よくなりました。
今日だけでもこんなにたくさん話しちゃいましたね……バティさんも誤解してるんじゃないでしょうか……実は私、そんなに勇敢でもないんですよ。
私はいつも……いつも数年前に行ったフィールドワークのことを思い出すんです。
あの時の私は今より大分マシでした、身体は相変わらず強くはありませんでしたが、それでも今みたいなあちこちぶつかったり、人に迷惑をかけるようなことはなかったんですよ。
いやいや、全然迷惑だなんて思ってませんよ、エイヤさんは今でも十分立派ですよ、今までこっちのほうがエイヤさんのお世話になってるぐらいですし。
さむっ……か、風が強いですね……
うぅ……服も全部着込んだのに……まだ手足がブルブル震えていますぅ。
あ、さっき言おうと思ったんですけど、今エイヤフィヤトラさん寒く感じているんですよね、でも俺たちがエイヤフィヤトラさんに近づく時熱いなってなったんですけど。
それは私のアーツによるもので……多分すごく寒く感じているせいで、無意識にアーツを使っちゃっていたのかもしれません。
ごめんなさいバティさん、火傷しちゃうかもしれませんので、ちょっと私から離れたほうがいいと思いますよ。
いや、大丈夫ですよ、それで寒さが和らぐのでしたら、温度がちょっと高くても問題ないです、俺のことなら気にしないでください。
……こんなものこれといって役には立ちませんけどね。ただの無意識的な反応で、良くて心理的な慰めにしかなりません、結局こうして惨めにブルブル震えていますし。
こんなアーツを持ちながら、それにキャプリニーなのに、なんでこいつは寒がっているんだって思ってるんじゃないですか?
本当は……私、昔はまったく寒がりじゃなかったんです。
エイヤさん……
大丈夫ですよ、つ、次は、もっと服を持ってこればいいだけの話ですから!
そうですね、次はもっと服をたくさん持って行きましょう……
それに補聴器もちゃんと調整しませんと、いつも話半分で聞こえなくなっちゃうと、バティさんも困っちゃいますもんね?
その……エイヤさん……そのですね、えっと、足なんですけど……
え?私の足がどうかしましたか?
あ……勝手に動いてる……
あはは、リズムでも取ってるんじゃないですか?きっとあいつのせいですよ、ずっと遠くで座って、好き放題鼻歌を歌ってましたから。
ん?
♪雪がシンシンと
♪何もかもが、どんどん静まり返る
♪俺はこの舞と、さらには遠くのあの山々を愛している
♪俺の希望と渇望は
♪この自由な大地にあり
♪誰にも止められやしない
聞こえるような……聞こえないような……
うーん……小さい頃に聞いたことがある歌です。いつの間にか、頭の中で流れてたんでしょうね。
い、一緒に歌っちゃった……
でも今のエイヤさんを見てると、なんだか落ち着くな。
カーンさん、そちらからお願いされた件についてです――
今の彼女は危険と、争いの渦中にあって、彼女の心がダメージを負うのではないかと心配されているようですね、そのため私にノーマンお嬢さんを――エイヤフィヤトラさんの面倒をもっと見てやって欲しいとお願いされたのでしょう。
心配なのは理解できます、しかし同時に指摘もさせてください――
その心配は、エイヤフィヤトラさんにとって、ただの杞憂でしょう。
彼女の心はすでにマグマの試練を経て、この世でもっとも固く純粋なものとなりました。
だから、後をついてくるあの暗い雲がいたとしても彼女は決して怯むことはないでしょう。