人の長がイェラガンドの前に跪き、最高の敬意を表しながらこう訊ねた。
「この地はもはや主を持たない地ではなくなりました。」
「この地にいるすべての人々があなたを崇拝し、あなたを敬拝しています、あなたは私たち全員を導かれるお方です。」
「ですので、どうか私たちに教えてください、私たちの名はなんと言うのでしょう?」
イェラガンドは答えた。
「あなたたちの名はすでに考えておいた。今日から、この地をイェラグと名付ける。そしてあなたたちは、イェラグ人だ。」
――『イェラガンド』二ページ目

……

…………

アークトス様。

――!ここに、なにかご用でしょうか?

そう緊張なさらず、アークトス様、取って食ったりはしませんから。

いやしかし、これはあなた様が初めて参加される聖猟でございます。私だけではありません、ここにいる戦士たちをご覧ください、みな巫女様の御前で自分をよく見せたいと思ってるために強張っているのですよ!

……イェラガンドの戦士たちと共に聖猟に赴くことは、巫女として当然のことだと思いますが。

おっしゃる通りでございます!

私の話はよしとして、狩猟が開始してからずっと、アークトス様はなにか考えてらっしゃるようにお見受けします、もしなにか気になることがございましたら、なんなりとお聞きください。

……はは、やはり巫女様には誤魔化せませんな、見苦しいとこをお見せしました。

もしよければですが、私のことは一人の友として扱っても構いませんよ。

そしたら、私もそちらを友として扱いますので。

巫女様……

私は当然、心中で巫女様を一人の友として扱って頂いております。
で

したら、もっと友人らしく言葉を交わそうじゃありませんか。

……

わかりました、ではお言葉に甘えて。

巫女様、権限返還についてあなたの観点を教えて頂けますか?

……随分と直球なことを聞きますね。

友同士であれば、包み隠さず話し合われるのは当然ではありませんか。

このペルローチェ家は戦闘にかかれば、ブラウンテイルとシルバーアッシュに負けることはありません、しかし陰謀ともなれば、あの両家には敵いますまい。

回りくどいことや遠回りなことに長けた両家と違い、私の風格は剛直なものですので。

言い得て妙ですね……

しかし、我が友よ、先にどうかお許しください。

あなたのその問いに答える前に、まず一つ確認したいことがあります。

なんなりと。

アークトス様、あなたはとても勇敢で、敬虔深い戦士です。

あなたが率直で爽快な性格をしておりますが、だからといってなにも思考を巡らせていないわけではないのでしょう。

友の間に隠し事は不要とおっしゃいましたので、私もそれに倣いましょう。

――なぜあなたはずっと、エンシオディスの開放政策をあれほどまで頑なに反対しておられたのですか?

……私が荒っぽい人間なのはご存じでしょう、巫女様。

いくらエンシオディスが上辺だけのことを言おうが、どれだけ人々を寄せ付けようが、私が求めているのはそんな法螺吹きや、キレイごとなどではありません。

私が見ているのはヤツの行いだけです、ヤツが何をもたらしてくるか。

だが目に入ってくるのはどれも我が家を土足で踏みにじってくる信仰心のない外国人や、発展という大義名分を掲げながら山や川に対して行われる破壊行為、そしてヤツの領地で働いていくうちに徐々に信仰心が薄れていくイェラグ人だけでした。

……

……ヤツは便利なモノをもたらし、それで大金を稼いで多くの家を建ててくれたのはわかります。

しかし誰もがヤツを真似てしまって、発展のために信仰を捨ててしまえば、この地は一体どうなってしまうのでしょう?

イェラガンド様がペルローチェ家をイェラグの守護の座に置いて頂いた以上、このアークトスは断じて許しません、如何なる方法でこの地を破壊する行為とその輩を!

……アークトス様が抱いてる考えはわかりました。

ではさきほど尋ねてくれたあなたの問いに答えましょう。

エンシオディス様は彼の主要領地をほぼすべて私に手渡してくれました、あまりにも突然の出来事、こちらもビックリしてしまったぐらいです。

巫女様も事前に知らされていなかったのですか?

ええ、それまでの間、彼があんな考えを抱いていたとは知る由もありませんでした。

しかし――

……

エンシオディス様がどういうお考えからあの譲渡を言い出したかはさておいて、結果から言えば、私は悪いことではないと思っています。

それはつまり……

私は曼珠院にいた時、毎日たくさんの人々がイェラガンドへ祈りを捧げる光景を見てきました。

ある点に関して私のほうがエンシオディス様よりもはっきりと分かっております、それはつまり――イェラグはまだ信仰を捨ててなどいないという点です。

ああいった決断を下された以上、これから起こる多くのことは一個人が勝手に決めていいことではなくなると私は考えます。

予想外の出来事はいつだって起こりえます、違いますか?

もしエンシオディス様がそんなことも予想できていなかったのなら、それは彼の落ち度です。

……わかりました、ほかはどうであれ、あなたのその言葉を信じましょう。

……

正直に申し上げますと、さきほどあなたが話されてから話し終えるまで、私は巫女様とではなく、まるでほかの誰かと話してるような感覚でした。

ただ、きっと私も勘違いなのでしょう。

……

アークトス様はそのように感じておられていたのですね、悲しく思います。

確かに私はシルバーアッシュの名を持つ者、この点に関しては否定のしようがありません。

……

ただ、巫女になってから私は俗世を離れました。この名字だってもはや意味はなしておりません、エンシオディス様が失わせてくれたのですから。

巫女様……
(獣の泣き声)

獣たちも堪えられなくなったといった様相ですな……

全員狩りの準備に取り掛かれ!

巫女様の肖像画、巫女様の刺繍、巫女様の彫像、なんでもございますよ!

イェラグ人の信仰の象徴です、さあ悩む必要はない、今すぐイェラガンドの祝福を我が家へ届けてあげましょう!

・すごい人の数だな……
・……
・Sharpのほうは順調にいってるか心配だ。

よっ!

・(名状しがたい叫び声を出す。)
・手冷たッ!
・(無意識にやり返す。)

うわっ、逆にビックリしちゃったわ……

目が覚めた?

キャッ、あなたの手も冷たいわね……

ボーっとしてどうしたのよ、見かけたと思ったら微動だにしないんだもの。

あっ、もしかして本当にビックリさせちゃった?

・まあね。
・……
・ビックリしたよ!

うふふ、その割にはなんともないじゃない!

さっきから何を見てたの?聖猟の儀はもう見た?今回はあの巫女様が直々に狩りに参加されるものだから、みんなワクワクしてるのよ!

・祭典の由来はなんなんだ?
・君はあんまり盛り上がってないようだな。
・なんかおすすめの娯楽はないか?

イェラガンドが初めて降臨した日がこの日だって記述を曼珠院が数百年前に古文書で発見したから、この日をイェラグ最大の祝日に定めたの。

祭典の内容だけど……

まあ見ての通り、普通の人からすればお祭りって程度ね。

ただ巫女にとっては、やらなきゃならない仕事――聖猟でイェティから戦利品を獲って魔を祓うという大事な仕事があるの。

はぁ、あなたってば誰かに鋭いって言われたことがないのかしら……

私はこういう時期になったら院内からお暇をもらえるのよ。

ただ仕事に追われる巫女のことを考えるとどうしてもね、あの神事は私じゃまったく手伝ってやれないから、なんだか申し訳ない気持ちになっちゃって……

それに……

いや、今日は祝日なんだから、辛気臭いことは考えないようにしましょう。

あら、それなら私に任せなさい。

娯楽ねぇ……たぶんそんな多くはないと思うわよ、ここのマーケット以外だと、ほとんどはイェラガンド関連のものだから。

けど、これを機にイェラガンドについて見聞を深めたいと言うのなら、いいチャンスかもね。

毎年この時期になると、大学院で学んだり教えたりしてる僧侶たちが曼珠院に来て、ここにいる人たちのためにお説教してくれたり、イェラガンドの歴史を話してくれるの。

ほら。

千年前、ご先祖たちはとても厳しい冬を迎えました、イェラガンドの怒りに触れてしまい、イェラグから庇護が消えてしまったがためです。

そこでイェラガンドの怒りを鎮めるために、毎年曼珠院は最も純潔な魂を持つ少女を選び、天道を歩ませ、イェラガンドの依代たる鈴を山の頂に掛け、自分の魂を捧げるようにしたのです。

そして百人目の少女の懇願により、イェラガンドはついにイェラグの民を許してくださり、厳しい冬も終わりを迎えました。

イェラグの初代巫女もこうして誕生したのです。

歴史について語ってるわね……そうだ、曼珠院の経典の中で、これとは別バージョンの話を見つけたから教えてあげるわ。

別バージョン?
イェラガンドの怒りを鎮めるために、イェラグは毎年一人の少女を巫女に選び、カランド山の頂に向かわせ、死ぬまで祈祷をさせいたわ。
なぜならイェラガンドは過去にも少女の姿で現れたと言われていて、そのため人々は少女の純粋な魂ならあのお方のお傍まで近づくことができ、あのお方に声を届けさせられると信じていたから。
しかし百年近くこの儀式を続けた中、徐々にこの報われない儀式に耐えられなくなる人々が現れた。
そして娘を巫女に選ばれた一族の長によって、曼珠院への反乱が勃発してしまったわ。
その結果、曼珠院の多くの建物と、古代から残されて書物が破壊されてしまったの。それによって曼珠院が保有していた過去の知恵もこの時期を境に断絶してしまったの。
ただ面白いことに、そんな反乱の年にも関わらず巫女はカランド山に登ったことにより、イェラガンドの力は数百年の眠りを経て回復を遂げたの。巫女の祈りによって、あのお方が目を覚まされたのよ。
目を覚まされた兆しはとてもはっきりとしたものだったから、イェラグの民ならすぐに察知したわ。そして曼珠院への反乱も半分過ぎたところで、ようやく終わりを迎えた。

・こっちのほうがリアリティあるな。
・まるでその場にいたかのような語り口だな。

そうでしょ、でもこっちのほうが残酷なのよね。

いやいや、そんなことないわ。この話は巻物で偶然見つけたの、あの時を生きてた人が書いた記録かもしれないし、ただのデタラメかもしれない。

なんせイェラグの雪山は、人を食らうからね。

旦那様!前方から多数の獣たちが……!

それに異常に獰猛化している上に、今ちょうど最前線にいる私たちの戦士が攻撃を受けています!

獣ごときに恐れるな!

お前たちはここで巫女様を守れ、陣形が乱れないように維持しろ。ヴァイス、お前も残るんだ。

ほかの者は私と来い、前線にいる者たちを支援するぞ!

アークトス様、お待ちください!

巫女様?

私も一緒に行きます。

しかし、巫女様の安全が……

ヴァレスの言う通り、巫女様の安全が最優先です、あなたはどうかここでお待ちださい、我らペルローチェ家の勇士たちが必ず巫女様をお守り致しますのでご安心を!

しかし私は……

お待ち、アークトス!

……ラタトス?なぜここにいる、ほか両家は別行動のはずだろ?

エンシオディスならもう先に行ってるわよ。ただちょーっとなにか違和感を覚えるのよね、本当はこちらの人間をそちらに送ってアンタに伝えようと思ってたけど……もうその必要はないみたい。

どういう意味だ?

つまり前方に現れた獣は今までとは違うと、ラタトス様はそうおっしゃりたいのですね?

さすが巫女様、ご明察でございます。

なぜああなったかは知りませんが……イヤな予感がするんです。ただのショーに嫌気を差して、またどっかの誰かさんが聖猟みたいな神聖な儀式で下手な真似をしなければいいんですけれど。

……

とにかく気を付けるに越したことはありません。今回の聖猟は……巫女様自ら臨まれておられますので、どちらにしろ例年通りにはいきません。

……

そこまで慎重になる必要はないでしょう、ラタトス様。

しかし気を付けるべきなのも確かです、私が今ここで各勇士と共に狩りに臨んでる以上、危機を目の前にして蔑ろにする道理はありません。

お二方、急を要する状況ですので移動しながら話しましょう。

……承知いたしました!

そのようにお考えおられるのなら、イェラグにとっては幸福というもの!これ以上巫女様を阻むのも不敬だ、ヴァレス、案内しろ!

はっ!
(ヴァレスが立ち去る)

……

(どうしてまだ出てこないのよ、メンヒ……!巫女が参加されてる聖猟よ、今彼女の目の前で獲物を仕留める絶好のチャンスじゃない!)

(けど万が一……巫女様を傷つけてしまう万が一もある……)

(……ああもういい、いざとなったら私が担げばいいわ!あのラタトスだろうと私を取って食ったりはしないでしょうし……)

(絶対にこのチャンスをものにするのよ、メンヒ!)
(獣の吠える声と攻撃を防ぐ音)

この獣たち、なんでまったく怯まないんだ!?

いつもと状況がおかしいぞ……

今回は巫女様が参加されてるから、てっきり獣たちも多少怯えると思ってたのにこれかよ。

やっぱ巫女様も大したことないんだな……

おい今なんと言った!お前ごときが巫女様を決めつけられるとでも思っているのか!?

もし今の話がアークトス様に聞かれてみろ、どうなるか自分でよく考えるんだな!

わかったわかった、わかりましたよ!アークトス様に聞かれたら、こっぴどく叱れるに決まってるだろ……

分かってるのならそれでいいんだ……おい待て、お前の後ろだ、気を付けろ――
(獣の吠える声と攻撃を防ぐ音)

――!

ひれ伏せなさい!
冷ややかな叫び声よりもはやく吹雪を打ち破ったのは弧を描く銀色の光だった。
獣たちが冷たい光を放つ牙を突き刺そうとしたその時、熱くて獣臭い血液が戦士の顔を塗りたくった。
イェラグの巫女はゆっくりと弓を引き手を下ろし、騒動の中を歩んでいく。ブラウンテイルとペルローチェがその両脇に追随し、その情景はまるで経典に描かれてるそれそのものだった。
「彼女こそが地上におけるイェラガンドの代行者、山々の巓に降りられたイェラガンドの無上なる化身なり。」
少女が歩みだす。
その歩みと共に、山を覆い尽くすほどの吹雪が鎮まっていく。

お怪我はありませんか?

……巫女、巫女様……

危機はまだ終わっていません、さあ立ち上がりなさい、若い戦士さん。

イェラガンドの戦士たちよ、武器を掲げなさい!私と共にこの獣たちを退け、我々に与えられたイェラガンドの試練を乗り越えるのです!

……

……はい!

み……巫女様のために!

巫女様のために!