
……チェスター叔父さん、どうして出ちゃダメなの?

総裁の指示だ、彼が戻ってくるまで、あちこちには行かすなと。

じゃあお兄ちゃんはいつ戻ってくるの?

総裁は今ちょうど霊山へ向かわれてる途中だ、二日ぐらいしたら戻ってくるよ。

ちょっとした散歩でもダメなの?

屋敷の近くなら構わないが……付添人にも着いて行ってもらうぞ。

エンシア、今のイェラグは情勢が不安定なんだ、これも君のためだよ。

……はぁ。

お兄ちゃん……どうしてもこうしなきゃダメなの?

ドクター、あたしどうすれば……

オーロラ!?

シーッ――すごい厳重な警備だから静かにね、せっかく潜り込んでこれたんだから。

Sharp隊長と一緒にドクターのところに行ったんじゃ?

うん、でもここに来たのは、ドクターからあなたへ伝言があったからなの。

それは本当か?

はい、アークトスは領地内で兵を大量に集結させています、ただ、その部隊の指揮官はアークトスではなく、ドクターです。

アークトスは?

わかっていません……まだ目視で確認しただけですが、あの部隊の指揮権をドクターへ譲ったあと、姿をくらましました。

……あのドクターの部隊はまさか囮か?いや、そんな簡単なものじゃないはずだ。

部隊の規模は?

ペルローチェ家の領地内でアークトスの召集に応えた一族はノーシス様が想定していたのと大差はありませんでした、それを鑑みると――アークトスがあれと同じ規模の部隊をもう一つ集結させてる可能性はないかと。

だが彼は後方で待機するような人間ではない、ほかの部隊が存在する可能性は大いにある。

ペルローチェ家の戦士はもとより山地での行動に長けております、確かに可能性がないとは言い切れませんね。

しかし、囮だろうと主力だろうと、どちらの部隊も放っておくわけにはいかない。

ヴァイスに伝令、戦士たちを山の麓に集結させて、待機させろ。

それからその大部隊を見張るように監視役を送っておけ、君には主にアークトスの行方を探ってもらいたい。

承知しました。

ドクター……あたしが霊山に登ったあと、曼珠院に潜入してお姉ちゃんを探してほしいだって?

うん。

つまりドクターが言うには、今ペルローチェ家とシルバーアッシュ家の間で起こる衝突は不可避なものになった。

でも、もしそれを阻止できる人がいるとすれば、その人は必然的にあなたの姉、当代の巫女、エンヤ・シルバーアッシュしかいないってこと。

でも……

本来なら、ドクターはロドスの内政不干渉の方針に従って、傍観をするつもりだったの。

でも、エンシオディスさんがただの見せかけとして執政権返還を目論んでいたのなら、必然的にイェラグの信仰を眼中に置くことはないってドクターは指摘していたよ。

それにもしシルバーアッシュ家の部隊が本当にペルローチェ家の部隊を倒したら、イェラグを手中に収める彼を阻止してくるのは残りは曼珠院しかいない。

つまりイェラグ人たちの信仰の対象、巫女しかいないって。

ドクター言ってたよ、あなたに巫女を説得して彼女に何かさせたいってわけじゃなく、以前自分に兄妹同士の関係を修復してほしいって頼んできたからとか。

だからドクターはイェラグにきてからなにも手伝ってあげられなかったことにずっと自責していたんだって。

そんなのドクターのせいじゃないって!こっちこそドクターとみんなに謝らなきゃならないよ、本当なら初めての楽しい旅行になるはずだったのに、結局お兄ちゃんのせいでこんなことになって……

あなたのせいでもないよ、クリフハート。

とにかく、ドクターが伝えたいのは、本当なら今回の件については全然気にする必要はなかったんだけど、最初からエンシオディスさんによって巻き込まれたってこと。

それと、あなたはエンシオディスさんの妹だってことも。

だから、ドクターはなにか手を打とうって動き始めたの。

あなたを山に行かせるのは、巫女を守ってほしいためなんだよ。

ドクターは必要な時にあたしにお兄ちゃんを止めてほしいんだね。

あるいは必要な時に巫女を連れて逃げてもらうとかかな。

……
エンシアは無意識に握っていたロープを撫でていた。
これは小さい頃、姉が自分のために編んでくれたものだ。

……

わかった、行くよ。

今回は潜入行動になるから、私やほかのオペレーターたちが一緒に協力するね。

……大丈夫。

もっといい方法を思いついたから。

みんなはあたしを麓まで送ってくれれば大丈夫、あとのことはあたしに任せて。

ドクター、なぜ行軍速度をこんなにも遅くしているんだ?

・私たちを見張ってる人たちにもうちょっと楽しませてあげるためさ。
・今はまだ速度を上げてはいけないからだ。

あのさ、もしかしてグロは今私たちがなにをしようとしてるのかを理解していないわけ?

シルバーアッシュ家の目を惹くためだろ?それにしてもここまで行軍速度を落とす必要はないと思うが。

どうせあなたは一直線に突っ込んでシルバーアッシュ家とドンパチしたいだけなんでしょ。

当然だ。

以前はヴァレスに裏切られたんだ、それもあって今でも胸の中がムシャクシャしているからな。

ドクター、祭典で捕らえられたユカタンの居場所を突き止めました。

ドクターの予想通り、シルバーアッシュ家の領地には連れていかれておらず、山の麓にある村に監禁されておりました。

ご苦労。

ドクター、お前すごいな、こんな短時間でユカタン様が収監されてる場所を突き止めたとは。

フンッ、それぐらいの情報収集、私たちブラウンテイル家にだってできるわよ。

とりあえず、ユカタンの居場所もわかったんだし、私とこの筋肉だるまもそろそろ動いていい頃なんじゃないかしら?

そうだな。

……

黙っちゃってどうしたのよ?

いや、私のことを呼んでいたのか?なにが筋肉だるまだ、違うぞ!

(深呼吸)

グロッ!将軍ッ!フンッ……これで満足?

一応聞くけど、あなた自分の役割は分かってるんでしょうね?

分かっているさ、付近にある列車駅の破壊、ついでにお前の旦那の救出だろ。

分かってんのならいいのよ。

ドクターに代わって言っとくけど、絶対死者は出さないでちょうだいよ。

フンッ、列車駅にいるのは一般人だけだ、このグロがその人たちに手を出すなど絶対にありえん。

しかし、ドクター、もしシルバーアッシュ家の兵が来たら――

なるべく手加減だけはしよう、なるべくな。

クリフハート、探してたのって……登山道具のことだったの?

そうだよ。

まさか、カランド霊山を登るつもり?

うん……君の言う通り、今は霊山どころか、山の麓も人でたくさんかもしれない。

もし正面から登ろうとしても、あのSharp隊長であっても潜入は困難だと思う。

でもあたしにしてみればへっちゃらだけどね~。

麓まで連れてってくれたら、残りはあたしに任せて大丈夫だからね。

でも……そしたら、私もほかの人もあなたを守れなくなっちゃうよ。

大丈夫大丈夫。

あたしだってロドスでたくさん訓練を受けてきたんだから、普通の相手ならあたしでもなんとかなるよ。

でも……
(チェスターとイェティが近寄ってくる)

エンシア、どこに行くつもりだ?

チェスター叔父さん……

山に登りに行くつもりだけど。

どの山だね?

カランド霊山。

あそこはもうじき戦場になる、行ったら怪我じゃ済まされないぞ。

何しに行くんだ?

……

チェスター叔父さん、あたしね、登山にハマったあと、ずっと自分の足でカランド霊山を登ってみたいって思ってきたんだ。

お姉ちゃんが巫女になってあたしたちから離れていった後も、その思いはどんどん強くなってきたの……いつか山頂まで登って、お姉ちゃんは家に連れ戻すって。

だから、今はその絶好のチャンスなんだ。

君にできっこない、エンシア。

……お姉ちゃんを連れ戻せなかったとしても、せめてこんな時だからこそ、お姉ちゃんの傍にいてあげたんだ。

お兄ちゃんは色々しでかしたから、きっとお姉ちゃんも悩んでると思うから。

あたしはお兄ちゃんを止める術はない、ならせめて、あたしはお姉ちゃんの傍にいてあげたい!

……
オラヴィル、君の末の娘だが、随分と大きくなったな。

エンシアお嬢様、申し訳ありません、これは旦那様の命令でございます、あなたの安全のためにも、どうかこの屋敷に留まってくださいませ。

……行かせてあげなさい。

えっ。

チェスター叔父さん!

チェスターさん、それでは旦那様の命令に反します!

ここで起こった責任はすべて私が負う。

しかし……そう言われましても、エンシアお嬢様の安否が……

シルバーアッシュ家の人間は、決して無意味な冒険はしない。

ここは、この子を信じてあげよう。

しかし……わかりました。

さあ、お嬢様とロドスのお客様のために最高の駄獣を用意してあげなさい。

承知致しました。

ありがとう、チェスター叔父さん!

ありがとうございます、チェスターさん。

てっきりあなたは……

礼には及ばないさ。

さあ行きなさい、もう時間がない。

うん!

エンシア。

なに?

気を付けるんだよ。

……うん!
(エンシアが立ち去る)

オラヴィル。

君とエリザベスが逝ってしまったあと、私はずっと後悔していたんだ、あの時は私も君の領地改革に賛同すべきだった、反対するのではなく。

だから、君の息子が君の理想を受け継いだ時、私は何も考えずに彼を支持した。

エンシオディスはよくやっているよ。

エンヤも巫女としてイェラグ人たちから愛されているさ。

エンシアに関しては鉱石病を貰ってしまったが、それでも病状は抑えられてるし、いつも通り元気溌溂でいるよ。

ただ、ついさっき気が付いたんだ。
最後にあの子たちが一緒に集まって、兄妹同士で笑顔を見せてくれたのはいつ頃だったのだろうかって。

……

大長老様、しっかり休まれたほうが……

……

記録によれば、この正殿は三族議会が成立したあと、御三家の人々が協力し合って建てられたものらしい。御三家の存在と協力は現代に作られた御三家制度よりもはるか昔から存在しておった。

それから千年もの時を経て、それまで間に色々あったが、今のような形に収まった。

この椅子も、ここに千年も置かれてきたことじゃろうな。

十数名もの大長老たちはこの椅子に座り、彼らの生涯を渡ってきた。

……数十名もの巫女が、この山の上で次々とその生涯を終えていったのと同じように、ですね。

巫女というのは、最初から曼珠院が信仰を布教するために作られた存在じゃったのだよ。

大長老がこのタイミングで私がとっくに知ってる事実を言及したということは、今までの信仰はすべてウソだったとでも仰いたいのですか?

お前もストレートにものを言うようになったのう、だがむしろその逆じゃよ、エンヤ、いや、巫女よ。

巫女よ、ゴホッゴホッ、わしの名前は知っておるか?

……存じ上げません。

この曼珠院の中で、おそらくもう誰も憶えておらんかもしれんな。

わし自身でさえ、とっくに忘れてしもうてる。

歴代の大長老は、前代の袈裟を受け継いでから、大長老になってしもうた。

いずれお前も人々から名前を忘れられて、巫女としか呼ばれなくなる。

さすれば、大長老も巫女も気付くのじゃ――

人々が信仰しているのは、イェラガンドではないのじゃと。

人はなんだって信仰する、物語ときっかけさえあれば、人々はお前を、わしを、エンシオディスを、山を、水を、ましてや木の葉一枚すらをも信仰するようになる。

何でも信仰するようになったのなら、はたして信仰とは一体何なのだろうか?

そこで大長老たちは答えを導き出した。

人々は、信仰そのものを信仰する。

みな、信仰の対象に自らの選択権を委ねた。

自分たちが排斥する物事の責任もすべて信仰に委ねた。

人々はみな無条件に信仰が指し示した暮らしの形を信仰するようになった、とな。

つまり信仰とは一体何なのか?

信仰とはつまり怠惰であり、逃避であり、退廃であるのじゃ!信仰とは安定、停滞そのものなのじゃ!ゴホッゴホッゴホッゴホッ――

……そろそろお休みになられてください、大長老様。

いいや、巫女、巫女よ!
大長老はガッとエンヤの腕にしがみついた。
エンヤの肌に赤い跡を残すほどの力強さだ、まるで残りある命の力をすべて費やすのではないかと思うほどに。
彼の両目はしっかりと目の前にいる巫女に定まっていたが、まるで別人を見ているかのようでもあった。

信仰は醜い悪しきものなのじゃ!なのに、信仰を壊してくれる者は誰一人おらぬ!

イェラグは千年もの時を渡ってきた、御三家の関係の溝は深くなっていくばかりだというのに、誰も信仰を否定してやれぬ、なぜなら信仰はイェラグがイェラグたらしめる根幹であるからなのじゃ!

信仰はイェラグの民を一つにまとめた、人々も信仰を追い求め、信仰に頼り切るようになった!

それでイェラグは千年も存続し続けることができたのじゃ!

人々はみな安定を、停滞を渇望しておる!

エンシオディスは自分が勝ったと思っているが、勝ってなどいない、勝つことはできぬ。

このイェラグが千年もの時を費やして固めた信仰に勝てるはずがない!

わしはもう朽ち果てる身じゃが、お前はまだ若い、お前はこの曼珠院の巫女であり、いずれこの曼珠院の大長老になる者じゃ。

彼に教えよ、彼に打ち勝てよ、彼に知らしめるのじゃ、信仰の御前で、彼のしてきたことは何の意味の為さないと!
エンヤはしばし沈黙した後、大長老の朽ちた手を自分の腕から払い除けた。
彼女の目には目の前にいるこの老人に対する憐憫が含まれていたが、それよりも確固たる意志を宿していた。

……それにはお応えできません、大長老様。

信仰は停滞を意味し、人々が信仰に頼り切るようになったのは、安定を渇望しているからだとあなたは仰いましたね。

けど私はそうは思いません。

事実として、人は信仰を抱き始めた時から、信仰に頼ってしまうものです。怠惰も、逃避も、退廃も……あなたが言ったそれらついては否定しません。

だからといって、信仰が停滞を意味することにはなりません。

信仰は信仰です、そこにはなにも含まれておらず、信仰の中身はいつだって授けられるものなのです。

信仰が前へ進めば、信仰する人々も前へ進みます。

信仰が止まれば、信仰する人々も自ずと足を止まります。

イェラグの人々があなたの目に停滞へ向かわれているように映るのは、イェラガンドの信仰が曼珠院の手中で千年も停滞し続けてきたからです!

私たちは決められた規則に自らを縛り付け、この雪山の中で千年も暮らしてきました、外の天地を探求することもせず、外の人々とも交流しないまま。

そんな決められた規則は、本当に信仰と言えるのでしょうか?

そうさせてきたのは曼珠院の傲慢によるものなのではないのですか?

傲慢じゃと?いいや、違う、もとからそうであるべきなのじゃ!

……この世にそうであるべきことなどはありません。

もしあるとすれば、それはきっと一度も変化を遂げてこなかったことでしょう。

私たちもそろそろ変化を迎えるべきです、大長老様。

巫女よ、お前では何も変えられまい。

信仰は、ゴホッゴホッ……イェラグをイェラグたらしめている根幹じゃからな……

私もエンシオディスに抗います、しかしあなたが思い描いてる方法では抗いません。

成功できるかどうかも未知数のままです。

しかし、巫女が最初から曼珠院が民衆を信仰へ導く道具として生まれたのなら。

私がその道具の真価を発揮させましょう。

私は巫女ですが、曼珠院の巫女ではありません、私はイェラグの巫女です。

私は私の方法で民を導きます、彼らがより自由に前へ進められるように、探究できるように、冒険に出かけられるように。

ですのであなたは、そろそろお休みください、大長老様。

どなたか、大長老様をご案内してあげなさい。
(エンヤが立ち去る)
エンヤは起き上がり、振り向くこともなく正殿の門へと向かっていく。
彼女の背後には、大長老が椅子に座っていて、彼女の背中を見つめていた。彼は手を伸ばし、何かを掴もうとしていたが、無力にも下ろすことしかできなかった。
彼は何も掴められなかった。
彼は永遠にそこに留まっていく、彼がいつまでも夢見ていたイェラグの雪山で。