
……ものが違うじゃないか。

そう簡単に盗めたら、リャン殿の人を選ぶセンスのほうが心配になりますよ。

ジェンさん、あの龍門からきた人ですが、なにか正体は掴めましたか?

リャン・シュンの親友だ。

そのほかに分かったことは?

まだ把握できていない箇所はあるが、一つはっきりしたことはある、今回の一件とウェイ殿はまったく関わっていないということだ。

……であれば、父が抱いてる最大の懸念はなくなりましたね。

まあ考えてみればそうですね、龍門のウェイ殿の手法であれば……今頃ぼくたちがここで落ち着きながらお茶を飲むことすらできていなかったはずです。

昔からウェイ殿に関する逸話は耳に入れている、だがこっちは一度も龍門でそれを拝められていない、残念だ。

総支配人もウェイ殿に興味がおありなのですね。

若い頃は刀を携えて、世間を渡り歩いてきたからな。ウェイ殿の剣術は卓越しているという話も自然と耳に入ってくる、それだけさ。

そうだったのですね。確かにウェイ殿は剣を佩びていますが……剣術に関しては、ぼくも噂程度に聞いただけにすぎません。

しかしそうしたら、あの龍門人をここに入らせた人はリャン殿ということになりませんか?

ほぼそれで間違いない。

……ふむ。あの龍門人は今の状況における唯一の不確定要素ではありますね、ただ同時にリャン殿にとって唯一の切り札と言ったところでしょうか。

本来ならリャン様とてこちら側の人間のはずだ。であれば彼に選ばれた人も私を騙したり、あんな不当なマネをするべきではない。

リャン殿も苦労されておられる、ご自分の思い通りに行かなくて。もし……はぁ、今更もしもなんて言っても仕方ないですね。

彼女が尚蜀に居座っているからこそ、こんな面倒事が引き起こされているのではないでしょうか?

……三つの山にある十七峰は、神が居座っているのだよ。

大昔、ここ尚蜀にいる人やモノたちはみな夢を見ていた、人だけでなく、万物みな夢の中にいたのだ。万物に霊あればみな神霊なり、言の葉を発すれば霊宿ると言うようにな。

伝説によれば今より千年も昔、炎国の都市は各地に分散していて、今とはまったく異なる姿形をしていた、尚蜀人の先祖たちは同じ夢を見たからこそ、この地に居座ったという。

……尚蜀の伝説はいつ聞いても壮麗ですね。

よそ者からすれば伝説にしか聞こえないかもしれんが、現地の人からすればこれは歴史そのものなのさ。

あの医療会社のオペレーター……クルースでしたっけ?

もしジェンさんが対応してくれなかったら、今頃彼女に追いつかれていたかもしれません、あの時はありがとうございました。

以前はうちの小娘が焦るあまり、危うく事を犯ししてしまいそうになっておったからな、私が手を貸したのはそのお詫びみたいなものだ、礼には及ばんよ。

……ロドスも不確定要素になりますね。ジェンさんはどう見ます?

ただの部外者に過ぎんさ。

それにしては関与し過ぎているようにも思えますが。

そうだな……実際あのような手馴れはそう多くない、彼女が追いかけてる姿を見た時、ある印象を抱いたんだ。

……それは?

歳若くして、すでに百戦錬磨といった印象だ。

ほう?その百戦錬磨という印象は、ジェン総支配人の目から見たものなのですか、それともあの問霜客のジェン・チンイェーの目から見たものでしょうか?

どっちもだ。

……ずっとその偽物の盃を見ていますね。

思い出しているのだよ……この盃の本来の姿をな。

……

……あの頃荒野を抜けていた時、ある盗賊連中に遭遇した。連中は炎国語が話せなかったうえ、どこから湧いてできたのか見当もつかなかった。

ヤツらは車列を爆弾で破壊し、荷物を奪っていったが、鏢局の仲間たちが捕らえてくれた。だが向こうは頭数が多い上に諦めが悪くてな、あれから二百里も追い掛け回されたよ。

あれは雨が降る日だった、あの時は視界もぼやけておったし、明かりもほぼなく、地形を熟知していた盗賊たちはまるで影のように私たちにひっついていた。

反撃なんてできなかったさ、闇討ちが怖かったからな。逃げ出すことも無理だった、逃げ出せない可能性があったからな。

……司歳台は以前秘密裏にある奇妙な品の運送任務を、当時名を馳せていた行裕鏢局に依頼したという話ならぼくも聞いたことがあります。ただその途中で想定外のことに遭い、モノは行方不明になったとか……

あれは私のせいだった。

……なんて言葉をかけたらいいか、ジェンさん。

思ってもいなかったんだ、あの時と同じ盃のためにまさかもう一度あんな気迫に満ちたクロスボウ使いに出会うことになるとは。しかも私の故郷で、この町で、燦燦と明かりに照らされた夜の下で。

本当に……どう言葉で言い表せばいいか。

……あれからジェンさんはどうやって危機を脱したのですか?

それはいつの話だ?

えっと……さっきの話です。父から言われました、ぼくはまだ若いため見識が足りてない、だから年長の方々から色々学ぶようにと。

そちらが話して頂けるのでしたら、是非とも拝聴させて頂きたいです。

あの夜のことか……あれは運がよかっただけさ。

負傷した二人の仲間がいたんだが、踏ん張れずそのまま目を瞑ってしまったよ。

鏢局には“ブツが先、人は後”という掟があるからな、この生業をやる以上、相応の覚悟を決めねばならん。

しかし負傷した人もいなくなり、ブツも手元になければ、むしろ派手に動けるようにはなるがな。

あの日の夜は大雨が降っていた、刀を洗うにはちょうどいい雨だった。

この盃の持ち主を探せばいいのか?

そうだ。

持ち主ってのは、買い手やコレクターのことか?

いいや、それならこの一件もすぐに解決できていたさ。

ほう、そりゃ変な話だな、この盃は確かにビックリするぐらい値段が安かったけどよ、あの闇取引連中から奪ってきた闇市の報告書によれば、こいつは……

正真正銘ただの骨董品だ。

相手は誰なんだい?

……相手の名前はまだ分からん。それだけじゃなく、この持ち主が男なのか女なのか、どういう種族なのか、はたまた歳はいくつなのかすら判明できていない。

おいおい……それじゃどう探せばいいんだ?その人が尚蜀にいることだけは確かなんだろうな?

それだけは確かだ。

なぜ分かる?万が一その人が遠出なんざしたら、俺たちはその分の時間を無駄にしちまわないか?

いいや、あの人はきっとまだ尚蜀にいる。

仮にここを出ようとすれば……必ず私にも知らせが入るからな。

妙な話だ。一方的に監視できてるのに、肝心の人は見つからないと?

……そうだ。

まさかお相手は妖怪か神様の類じゃないだろうな?

会えば分かるさ。

だったら“ここにいた”ぐらいの痕跡はあるはずだろ、最近の役人はそういった人ならざるモノとも関わらなきゃならないのか?

まあいいさ、そっちが言わないのならこっちも聞かないでおこう、ただ手がかりはこれぽっち……尚蜀はこのデカさだ、もっとないのか?

その人はほとんどの時間を三つの山の山頂のどれかに潜んでいる。

根拠は?

ある。掴めない人でな、極稀だが山の中腹にある酒屋で酒を買うことがある、不定期ではあるが。

だが山を下りたことや、移動都市に現れたことは一度も確認できていない。であれば山に籠ってると推理したほうが自然だろう。

なるほど。山三つとそこにある十七の峰、またひとっ走りしなきゃならなさそうだ。

噂によればその人は吉日と美景と、東屋に籠っての詩作を好むとのことだ。

噂?

噂というわけでもないのだがな……

知り合いなのか?

……とは言えんな。

だが今のところは運を試すしかないもの事実だ、また苦労をかけるな。

期限は?

なるべく早く見つけてもらえると助かる。君も見れば分かる通り、この件に関わってる人は多い、このまま引き摺れば、余計事態が複雑になってしまう。

……それとこの盃だが。盗まれることがある以上、私のところに置いておこう、そのほうが安全だ。

さすがはリャン様だ。俺に遠路はるばるこの盃を送らせておいて、おまけにそいつの持ち主まで探させようとしてるのに、そいつを俺に預けてくれないとはな?

そんなに人を困らせることがお好きなら、今度から直接龍門で依頼してくれませんかね?

これも君を信用してのことだ。

……まあこいつも人に狙われているんだ、それを俺が持ってたとしても、面倒になるのは目に見えてはいるな。

それと行裕旅館の件だが……

目下調査中だ。だが今は捜索に専念してくれ、もし必要があれば、護衛を手配してもいいぞ。

いやいい、ボディーガードなんざ抱えてたら、かえって目立って余計面倒臭いことになる、お前も分かってるだろ。

……だが本当に一人で大丈夫なのか?

リャン様がこれ以上俺に隠し事していないのであれば大丈夫さ。

だたの人探しだろ、龍門でおっかない外国の密輸入業者を調査するんじゃあるまいし、心配することなんかないだろ?

……ならせめてシェン殿に一声かけたほうがいいだろう。彼は長年渡り場で船渡り師を務めている、尚蜀において、どこに行こうが彼の助けは役に立つだずだ。

わかった。

その前に一つ聞きたいんだが……

尚蜀の十七峰に、攥江峰って峰はあるか?

な、なんなのよコイツ、しつこいったらありゃしないわ!

君が最後の手掛かりだからね、そう簡単に逃せないってば。

君の子分たちならもうみんなどっか行っちゃったよ、こんな繁華街じゃ、刃物を振り回すのも不便なんじゃないかな?

……フンッ。

あの龍門人からいくら貰ったのよ、用心棒さん?

ことの経緯は全部把握してるわけじゃないんだけど、少なくともリーさんは私たちの重要なパートナーのうちの一人ってだけだよ。

パートナー?商売してるような話に聞こえるけど、そう簡単に信用しちゃっていいのかしら?どうやってあの人はアンタたちを騙していないって言えるの?

私はロドスを信じてる、だから彼のことも信じる、それだけのことだよ。

……へぇ?じゃあお互いどう足掻いても納得いきそうにないわね?

そうだね。

けどジェンさんが君に言ってたよ、もうこれ以上事態をごちゃごちゃにするなって。

……!

へぇ……その反応、リーさんの予測通りって感じかな?やっぱり君は支配人とグルなんだね?

なっ……カマをかけたわね!?たかがどこぞの馬の骨のよそ者のくせに、よくもアタシをおちょくってくれたわね!

いいわよ、どうしても痛い目に遭いたいようね!

……本気出しちゃう感じかな?

いいよ、こっちも聞きたいことがあるから――リーさんに関することとかね。

あのドゥお嬢様は……

私の娘だ。出来の悪い娘ゆえ、お恥ずかしいばかりだよ。

……いえ、ジェンさんの家庭事情でしたら、ぼくも口を挟むべきではありませんでした。

ジェンさんは地元で旅館を何軒開いているのですか?

ふふ……今まで稼いできた蓄えは全部この商売につぎ込んでいるのだよ、幸運なことに、ここ最近は古いよしみからも面倒を見てもらっている。昔積み上げてきた人脈も、ようやく使いどころが見つかったよ。

はぁ、世間を渡り歩くに人脈は不可欠だが、結局のところは自分の実力が要となる。だが商売は違う、商いを起こしたければ実力が、規模を大きくしたければ人脈が欠かせなくなる。

……だからこんな取るに足らないことを、公子殿が知る必要はないさ。

そんなことはないですよ、父もずっと言ってました、ぼくたちみたいな若造に足りないのは堪え性でも信念でもなく、周りの暮らしに対する理解なんだと。

宙ぶらりんな暮らしを過ごしても、それは生きてるとは言えんからな。

サ将軍はいい父親だ。だが父親がどう思ってるかは重要ではない、重要なのは……自分がどう思っているかだよ。

……

気にするな、若者にとって勢いってのは大事さ。不平不満に思っても、好奇心に駆り立てられても、血気盛んになったっていいんだ。

むしろ若者は早い段階で気勢を失うべきではない、私はそう思っておるよ。

ありがとうございます。

はぁ……まあなにもお前だけに聞かせてるわけではないのだよ、言うは簡単やるは困難、私自身にも聞かせてやらないとな。

うちの娘ときたら……考えただけで頭が痛くなる。
(戦闘音)

――ハッ!

おっ、やるねぇ。

……こっちはアンタに触れられてすらいないのよ、とぼけないでちょうだい。

なんでおっぱじめたら人が変わったようになるのかなぁ……ウユウ君もそんな感じだし、君たち炎国人ってみんなそうなの?

アタシはただ流血沙汰を避けたいだけよ。

君から見たら、私たちは物を盗んだ泥棒なんでしょ、泥棒を相手するにしては優しすぎない?

うるさい。

今度は引っかからないんだね。

フッ……それならお互いもっとおっぴろげて話でもしましょうよ、どうかしら?

いいよ、私はどっちでもいいけど。でも言っておくけど、私はリーさんを庇うつもりはないからね。

問題ないわ、あんたもあの胡散臭いもじゃもじゃヘアした男も、ロクな連中じゃないんだし。さっさと話してちょうだい、そのほうがお互いのためよ。

それでアンタは何者なの?

ロドスアイランドのオペレーター、コードネームはクルースだよ。

……あのウユウってのもコードネームなわけ?

そんな感じかな。まだ正式に入職はしていないけどね。

名は隠して、うわべだけヘラヘラして、ホント胡散臭すぎてこっちまで匂ってくるわ。

えっ……そんなこと初めて言われたんだけど……

アタシたちはあの龍門人から盃を取り戻せって依頼されてるの。

炎国語が奥深いのは知ってるし、私もまだ全部習得できたわけじゃないけど、その“取り戻す”って言葉、使うにしてはちょっと都合よすぎない?

私はリーさんのこと信用してるけど、仮になんか揉め事とか誤解があったとしても、真っ先に手を出す必要はないんじゃないかな?

ここは炎国のど真ん中でしょ、シラクーザとかボリバルみたいな場所じゃないんだからさ……暴力で訴えるのはよくないよ。

もちろん手を出したのには理由があったからよ……それにしても、本当に何も知らないわけ?

あらら……今度はこっちがカマをかけられる番なのかな?

……

本当に知らないのなら……首を突っ込まないほうが身のためよ。こっちはもうすでにあの龍門人と話はついてるの、それでもそっちが独断専行するのなら、アンタのせいで全部台無しになるんだからね。

……よく言うね。

よく言える理由をこっちは持ってるんだから当然よ。

アンタが信じるか信じないかはともかく、もうここまで話してしまった以上、教えてやるわ――

――梁府に忍び込んだ人はアタシじゃない。

けど君はその人が誰なのか知ってるんでしょ。

たぶんね。

リーさんと話はついてるって言うのなら……しばらくの間停戦協定でも結ぶ?私たちにそれらしい説明をするって、約束してくれるのならいいよ?

……説明すればいいんでしょ?

あの龍門人はリャン様に依頼されて、龍門からあの盃を持ってきたって言うけど――

――鏢局の依頼人は、そのリャンですら歯向かえないような人ってことは教えてやるわ。

……え?

そこにある因縁諸々は、もうわけわかんないぐらい絡まってるんだから、教えてちょうだいなんて言わないでよね。
(町の青年が駆け寄ってくる)

お嬢!
(ウユウが駆け寄ってくる)

恩人様!ご無事ですか!?

この野郎、てめぇも俺たちの邪魔しに来やがったのか!?

まだなにも言ってないが!?

んなもん知るか!やれ!

……フッ。話もこれぐらいにしておこうかしらね、今日は先に失礼させてもらうわ。

アンタたち、行くわよ、そいつはもう放っておきなさい!

――おう!
(町の青年が立ち去る)

ちょっと、やるって言ったくせにやらないなんて、なんで毎回そう意地悪してくるんだ!

――待って!

アンタの腕と冴えた脳みそに見込んで、一つだけ忠告してあげる――

――山湍澗の流れ、浪は急し水は深し!これ以上関わらないことね!
(ドゥ嬢が立ち去る)

恩人様。

……私なら大丈夫、心配しないで。

ドゥお嬢様、大丈夫ですか?

あの二人ってあの龍門人の一味ですよね?直接真相を教えてやればよかったじゃないですか?

こっちにも考えがあるのよ。

はあ……

……ジェンはこの件をアタシに振ろうとしてるけど、そう簡単にはやらせないわよ。

すでにあの龍門人とも話はついてる。鏢局の旗もずっと雨風に晒され続けてきたんだし、そろそろ替え時が来たわ。