……支配人は見なかったか?
見てねぇな。
どういうことだ、どこの店に行っても支配人が見当たらないぞ、もう開き直って、田舎で余生を過ごしに帰っちまったのか?
そうかもな。
……どうしたんだリュウジ、気分でも悪いのか?
わ、悪いわけあるか。
こちとらピンピンしてるぞ?
(走る足音と土が崩れる音)
――その技、土木関連のアーツか?
然り。
そちらもそれなりの技を身につけているが、生憎使い方を知らぬようで残念だ。
さっき砂を飛ばして俺の天秤棒をズラしただろ、一体どういう掌法を使ってやがるんだ?
……私の一撃を食らってもなお、その天秤棒はほんの僅かに亀裂を生じさせただけであった、逆に聞こう、それはただの天秤棒ではないな?
……そこら辺に売ってる竹製の天秤棒ってだけさ。
なら私が使っている掌法も他愛ないものに過ぎぬ。
……お前、名はなんて言うんだ?
タイゴウ。
そうか、なら大したものだ。
最後にお前みたいなやり手と一手交えられたのは幸運だったよ。
お前確か役所の者だろ、教えてくれ、お前らが何をやっているのかを、この盃でなにを企んでいるんだ?
天下万世の安寧のために動いている。
……はは、そりゃご立派なもんだな!
ただ残念、こいつはやっぱりお前らには渡せられねぇよ。
お前に逃げ場はもうない。
それはどうかな。
――逃げるつもりか!?
歩荷は一歩後ろへ跳ねた。
山を上り下りして十年、数千万歩のうちの一歩。
線が途切れた凧のように、風が起きれば身も動く。
……む、まだなにか隠し持っていたのか?
山の上じゃ、お前は俺に追いつけやしねぇよ。
タイゴウ、あのガキに伝えておきな、取江峰の頂、忘水坪だ。
忘れるんじゃないぞ。
(歩荷が立ち去る)
……
(サガクが駆け寄ってくる)
……タイゴウさん!
逃げられましたか?
身を捨てて追いかけていれば逃げられることはなかったはずだ。ただ……
彼は盃を脅しにして、なんとしてでもジェンさんと会おうとしているんですね。
峰の頂にある忘水坪、そこで両者が相見えれば、必ずどちらかが死んでしまう。
……もう余地はないんですか?
先ほど手合わせして分かった、もはや余地などは残されていないだろう。
……山頂にある忘水坪でしたね。
ぼくたちが先手を取らないと。
(サガクとタイゴウが走り去る)
……あの歩荷といざこざを抱えなくて助かったよ、あの実力、十数年前を最後に見たワイを思い出しちまうな。
……
あの二人のことは知っているんですよね。
……言ったでしょ、父さんは朝廷から極秘命令を受けているって、だからあの二人は、朝廷から遣わされたトランスポーターよ。
正体もご存じなんですか?
あのデカブツが粛政院の大官僚だってことぐらいしか知らないけどね。
……なるほど。
ロドスに厄介事を持ち込みたくはないんだが……でもこりゃ、彼らの力を借りなきゃどうにもならなさそうだ……
はぁ、しかしこりゃまた厄介なことになりましたね。
なにが?
彼らの会話は聞き取れませんでしたけど、ただ慌てて向かった方向を見るに、おそらく山頂に向かっていったんでしょう。
俺とロドスの人が落ち合う場所も、山頂なんです。ってことは、どういう場面になるかは、もう誰にも予想できなくなったってことです。
じゃあ一足先に山頂で待ち伏せておくのはどう?
やめましょう、どいつもこいつもやり手です、自分から痛い目見るハメになりますよ。
じゃあどうすれば――
――ちょっと待って!はやくこっちに来て隠れなさい、頭下げて!
うおっとっと。
あれは支配人?
なんで父さんがこんなところに……?しかもあれ……
お嬢さん、顔色が真っ青ですよ。
あれって……父さんが持ってるあれは刀?
いやでも、もうずっと……刀なんか持ったことないのに……なんで……
支配人は剣客だったんですか?
……昔はね。
なら今もそうみたいですよ。
まずい状況になったな。
……
俺たちも行きましょう。
上へ登れば登るほど、道も狭くなりますんで。
もうすぐだ。
……この道が最後って感じかな?
ああ、最後だ。
この村を出て西へ少しだけ進めば、長い階段の山道が見えてくる。
そこを登れば、忘水坪だ。
ん?
……おや。
……
……こんな場所で会うなんて奇遇だね。
そうですね。
なにしてるの?
盃を追ってるんです。
この上にあるの?
……もう隠しても意味はないですね、そうですよ。
しかもその盃は今部外者に取られているんです。
……あの盃って一体なんなの?
それを教えたら、クルースさんはぼくたちと一緒に盃を奪い返してくれるんですか?
君たちの目的は“奪い返す”だけじゃないはずでしょ、明らかにそれを利用してなにかしようとしているんだもん。
そうだねぇ、本当は君たちもリーさんと同じく、その盃の持ち主を探しているんじゃないのかな。
……
だったらその人を探すだけで、ほかにあれもこれもと手を出す必要はないと思うけど?
クルースさんのそれは質問ですか、それとも……詰問ですか?
詰問なわけないじゃん。
この盃は、とある大罪人が作ったものなんです。
罪人?
天下の大罪を犯した罪人。
これは朝廷の秘聞だ、探りは結構。
じゃあ君たちはその天下の大罪人が作ったものを利用して、私達ロドスのオペレーターと関わってる何かをしようとしてるってことだね。
それが何なのか教えてくれなきゃ、こっちだって手の貸しようがないよ?
(ウユウが近寄ってくる)
恩人様の言う通りです。
身分は違えど、頼み事に口ごもる理由はございません。曰く、人心推し量り難し、真心を見せて頂けなければ、なにかとこの件もやりづらいと思いますよ。
ウユウ君、てっきり道に迷っちゃったのかと思ったよ。
あはは、いや~まさに迷っていました。
……あなたはまだ彼女たちを自分たちの“オペレーター”として見ているんですね。
そうだよ。
……
少年は沈黙してしまった。
最年少の司歳台の秉燭役として、彼は利害を秤にかけて選択を出さなければならない。
これはなにも天下を驚かせるほどの秘密でもない。
だた彼はどんな些細なミスも起こしたくはなかっただけだったのだ。
……その盃にはとある凶獣が宿っているんです、当然ですが、宿っているのは彼の意識的な部分だけですが。
公子。
分かっています、ただもし今後司歳台から判断が下された場合、タイゴウさんは法に則りぼくを処罰してください、情けは無用です。
……
宿っている?
今いる巨獣学学者たちの普遍的な認識として、大地を跋扈するためにとある手段で肉体を顕現させることを除けば、この古の巨大生物たちは、ほかにも物品に宿るといった手法を持ち合わせているんです。
古代の書籍にはよくこう書かれていいます、“獣、厚土とともに行く”と、あの生物種たちの特性をよく言い表している文言です。
……えっと、それの物品ってのはなんでもオッケーなの?
よく見かけるのは武器や兵器類ですかね。古代サルカズの刀剣にしかり、あるいは現代工業から生み出されたアーツロッドしかり、事例は見当たります。
ただ具体的な原理については、未だ不明なままなんです。
じゃあその盃もそうなの?
この盃が至った場所では、どこも器倀が発生しました。まだ不確定ではありますが、それなりに容疑をかける理由はあるかと。
この盃は生きています、だがまだ活動はしていません。盃の周囲にあるものは元来命を持っていませんが、盃のせいで命を吹き込まれた。理由としては十分です。
この盃は長い間所在が分からずにいましたが、ぼくたちもある偶然によってなんとか盃の在処を特定できたんです。
だからその罪人を探し出そうとしているんだね。
……いいえ。
さきほども言ったように、その罪人はこの盃の制作者に過ぎず、持ち主は別にいます。
その持ち主ってどんな人なの?
詩人です。
……リャン様。
ネイ殿か。
今日は風が強い上に、日もはやく落ちるようになってきましたね。
そうでもないさ、いつの間にかもうこんな時間になってしまった。
山一つを登るに、どれだけの時間がかかるんでしょうね?
……
昔、ここ尚蜀にある山々に人の力は及んでおりませんでした。
蜀道の難しきところは、青天に上るところにあり、とまで言わしめておりましたからね。
……でも今はもう違う。
ですがいくら違っていようと、いつまでも変わらないものというのは存在します。
三山十七峰、どこを探しても見つかりはしなかった。それなのにまだお探しになるおつもりですか?
ああ。
悪事に働くことも惜しまず、私や人々を欺いてでも探すおつもりなんですか?
そうだ。
それはなぜなんです?
どんな道理や理由があろうと、規則は規則であり、罪は罪であることが分からないのですか?
もしこの件でどんな些細なミスを起こしてしまったら、前途は真っ暗どころか、あなたが真っ先にその罪を背負うことになることが分からいのですか?
……
私ならあなたの言うことはなんだって聞きます……それも分からないのですか?
……分かっている。
だからこそ、なおさら君に伝えるわけにはいかない。
……なぜです?
なぜならこのリャンは一都市の知府であり、その都市の安否しか考慮していないからだ。そこに住まう人々にどんな些細な危害や損害が起きようものなら、それは私の過失だ。
上の齟齬について、このリャンにできることと言えば……せいぜいそれに尽力することだけだ。
……初めて尚蜀に来た時に会ったあなたは保守に固執しておりましたが、それでも剛直で信念を曲げず、正しき気風を纏っておりました。私たち二人が一緒にいれば、どんな苦難も乗り越えられると、私はずっと信じておりました。
でも今は……
……あなたに失望せざるを得ません。
…その言葉は……
このリャンの友人であるネイ殿から忠告としてかけてくれた言葉なのか……
……それとも朝廷の二品欽差大臣、礼部左侍朗のネイ・ジシュンとして、このリャンにかけた皮肉の言葉なのか?