
……お若いの。

ん?

尚蜀知府のリャン様が住まう梁府に行きたいのだが、行き先はわかるか?

あー……ちょうどこの近くにあるぞ、この先を右に曲がって歩いたら石門が見えて、そこを左に曲がったら梁府だ。

そこは広いのか?

さあ、俺入ったことないし。

けど外から見る限り……ほかの場所とあんま大差なかったかな、逆にちょっと寂れた感じがしたけど。

その石門にはなんと書かれているのだ?

それも憶えちゃいないなぁ。

……どうも、助かるよ。
(通りすがりの老人が歩き始める)

おい、爺さん。

そろそろ日が暮れるし、俺が道案内でもしようか?事故にでも遭ったらまずいしさ。

……構わん。

まだ目はいいほうだ。
(戦闘音)

――くっ!

(足が……石に嵌ってしまった!?)

そこまでだ。

三十三回も技を受け止めたか、大したものだ。

……そちらはちっとも本気を出していないようですが。

お前がもし軍に身を投じてくれるのなら、きっと功績を上げられただろうよ。

あはは……確かに勾呉を出た時にそれも考えたことはありますよ、しかし飯はひと口ずつと言ったものです、それよりもまずはロドスから受けたご恩を返さねばなりますまい。

……義理人情に厚いとなれば、なおさら残念だ。

だが今のお前はもはや先へは進めん。

……文字通りの意味でですね。

(足を折ればこの石から脱出する可能性はあるだろうか……試してみるしかないな……)

ジェン・チンイエー、いま助太刀に参るぞ!

させません!

――!
(ウユウがタイゴウに攻撃を仕掛ける)

うぐッ……ハァハァ……

……なんと……

……

私はこの乱闘騒ぎをただの茶番だと思い、あまり心には置かなかったが。

それは間違いだった、今お前がそう教えてくれたな。
(戦闘音)

……

……口数が減ったな。

以前のお前も、えらく口数が少なかった。

……

ジェンが黙ったらそれは本気を出したことを意味する。それに全力を出したジェンに敵うヤツはそうそういない。

……話はそれだけか?

ただの独り言だ、気にするな。

……フー。
(雨音)

……雨……?
(歩荷が何かを弾く)

――!

なに!?

(瞬時にショウが持っていた武器を折っただと!?誰も反応できなかった――一体どうやって?)

――誰だ!?

……笠を被り蓑を纏い、雨を指して剣と為すか。

あっぱれ。
(水夫が近寄ってくる)

……もうそこまでにしてくれ。両者とも武器を下ろすんだ。

少しは落ち着いてくれないか?

……
(回想)

先ほどは腕の立つ人たちがいたからこそよかったものの、仮に彼らが本気を出せば、勝つのはその人たちのほうだ。
(回想終了)

お前は最初からあの龍門人に付き添っていた水夫……

……やはりリャンは最初から両成敗するつもりだったのだな。

司歳台も礼部も彼に欺かれたか。

はぁ……リャン様にも立場がありますから、自分からは動けないんです、今回の司歳台の判断は少しだけ強引過ぎるとは思いませんか?

司歳台が強引なのは今に始まったことではないだろ。

……

俺の息子が死んだのはお前らのせいでもあるんだ、それを忘れるな。

それで殺し合う必要なんてないだろ。

ふんッ、他人事にまで口を挟んでくるとは、ずいぶんと偉く出たもんだな?

……

あはは……一人だけいつも笠を被ってておかしいとは思っていたんですよね。

ただ……

シェン・ロウ、これは朝廷司歳台の管轄にある公務だ、邪魔するでない。

私はただの通りすがりの水夫、良心が訴えてくるもんですから、こうやって争いを止めに入っただけじゃないですか――

――あとついでに山頂の様子の確認も兼ねてな。リャン様からわざわざそう申し付けられたんです。

数年前、大炎の辺境にある水路で水賊どもが出現し、朝廷は躊躇なくそれを解決すべく人を派遣した。そこへとある天師を筆頭に、数名おられる朝廷のやり手どもを率いて、敵地へ赴いたと聞く。

そこで敵に悟られないよう、天師たちはあえて水賊のフリをしてヤツらの巣窟に忍び込み、そして一網打尽した。

――だが巣窟から出てきたその後、賊を退けようとやってきた船上暮らしの人々とばったり遭ってしまい、誤解を招いてしまったらしいな。

はぁ……

だが実際にそんな者たちなどおらず、ただ水面に築かれた水賊の巣窟に漂ってきた小船だったとの話だ。

やめてくれやめてくれ、恥ずかしいったらありゃしない……お頭もお頭だ、もう歳を食ってるくせに、無鉄砲に突っ込んでいくからあんなことになったんだ。

百姓が知るのは天師が引率したことのみ、だがそのほかの者たちこそが当事者であり真相を知る者たちだったことは知る由もなかった。

禁軍教頭はお前を高く買っているぞ。

ほう、あのお嬢さんのことか、若くして実力もあるものだから、もうすでに同期の訓練補佐として務めていると聞きましたよ、先は明るいな……

だが今日は別に昔話をしにきたわけじゃないんです。

シェン殿、あなたのことは尊敬している、鏢局の人間としてな。初対面だったとしても、シェン殿の指示に従うほどだ。

だが今回ばかりは、公私共々の恨みを清算してるところだ、シェン殿が一声かければ止められるほど……簡単なものではない。

だがこちらもリャン様との約束がある、こちらもそれなりにその約束は果たさねばならん。

ことが収まった後に粛政院がどう裁定を下そうが、私はその責任を負おう、だが今はカッとならずに一旦武器を鞘に納められよ。

それは無理な話だな。

……リャンから指示されたのなら、ただ単に様子見に来ただけではないのだろう。

……

司歳台の公務に首を突っ込むつもりか?

……司歳台はただ単にハク天師に手を出させようと企んでいるだけなんですよね、なら私がその勤めを果たしても同じかと思いますが?

……

……シェン殿、私もご助力致します。

和を以て財を生ず、ですからね。

……お前のその恩人様とやらはどちらに?

先に行かれております。

なら上々だ――

――!

……!

な……なに?あそこにある山と庵は……一体どうやって現れてきた?

……

あれが……ずっと探していた……

これ以上事態が飛躍しないでくれると助かるんだが……

……さもないと荒っぽいことをしなきゃならなくなる。

……ご自分がなにを言ってるのか分かっているのですか?

オメーらの手が必要なんだ、若い秉燭役さんよ。利害ならアタシらは一致してるはずだ。

自分で自分を殺すと?

アタシゃまだそんな狂っちゃいねーよ、だが……状況が状況なんでな。

アレの意志はあなた方の意志でもあるはず。

それは違うな。

アタシはただそろそろ偉大なる我に反旗を翻したくなっちまったってだけだ。

……なにをデタラメなことを。

なにか方法はあるんですか?

アタシを信じてくれるのか?

ぼくはただあなたの考えに耳を傾けるだけです。信じるかどうかは、司歳台が決断します。

……雅ですねリャン様、こんな時期にもなってまだ山間で雪を鑑賞されるなんて。

座ってくれ。

私が来るのを分かっていたのですね。

こうして来てくれたからな。

いつから司歳台がそちらに?

一年前だ。

どういった用件で?

とある盃を探してくれと。

探すだけだったのですか?

あの時はな。

一年前、炎国はあることに気づいたんです。

ヴィクトリアで起こった事変、揺れ動くウルサス、そして失われたリターニア女皇の声。

天下はいずれ乱れると、そのため炎国は準備に迫られました。

朝廷は連日に開いた会を経て、“二十八策”を決議されたんです。炎国だけの安寧を守るだけでなく、大地の隅々に住まう命をも守るための策を。

ただ、公開された二十八策のほかにも、二つの策が未だ隠されていて、早急に炎国がそれを見定めなければなりません。

……へぇ。

その二つの策ってのはどういうものなんだ?

北は魔物が、南からは海が、そして歳獣という水面下の災い。

……司歳台は終始、巨獣問題を最優先に解決しなければならないと主張し続けているのですね。

だが礼部は違う、全部が全部そう思っているわけではないのだろ。

リャン様の仰る通りです、あの十二人の中には有用な才があるだけでなく……大きな功績を持った者だって少なくありません。

しかし当初、司歳台が設立されたのはまさに巨獣を解決するためにあった。

だとしてもあれこれ彼らの言う通りに従うわけにはいきません。司歳台が設立された当初の管轄は、まだ礼部にありましたから。

ただあの碁盤で起こった失敗により、司歳台の地位を高めてしまいましたけどね。

……

はぁ……千年も前に残された憂いは今日に至る、確かにいい加減片付けるべきだとは思いますよ。

しかし決定権はすでに司歳台が握ってるわけではない、礼部だってそうだ。

……現朝廷の太傅が?

太傅様があの大罪人に会ったんです。

……なるほどな。

どうやらアタシは確かに寝ぼけていたらしい……あのクソジジイ、まさか太傅だったとはな。

あんなひ弱でアーツも使えない感じだったから、てっきり暇を持て余していたそこら辺の爺さんかと思っていたぜ。

……太傅様は天下に起こりうる様々な事象の調停に務められております。

アタシはてっきりその爺さんをからかったことでオメーが怒り出すのかと思っていたぞ。

怒る?

あなたはいたずらっ子が空を指して雨が降り出すとついたウソにわざわざ怒り出すのですか?

……

(あの人……なかなか言うな……)

(あのニェンが黙っちゃったところなんて私初めて見たよ。)

太傅様は司歳台にある極秘任務を与えたんです。表で礼部とどんな摩擦を起こそうと、必ずそれを完遂するようにと。

……へぇ、そりゃなんだ?

三つあります。

寒くなってきましたね。

山の気温はすぐ下がるからな。

ここの茶館から見える景色は最悪ですね、こんなんじゃ観光客が寄ってきませんよ。

……それはなぜなんだ?

夕日が見えないじゃないですか。

言われてみれば確かにな。

リャン様は司歳台に代わってこんなにたくさん仕事して、さぞお疲れでしょう?

ネイ殿を誤魔化すことが一番大変だったけどな。

……三年前、私が尚蜀へ送られたのは、ここに定住したと思われるリンを礼部に代わって監視するためだったんです。

そこで尚蜀の知府を務められていたのがあなたでした、知府ですのでほかの同僚よりは幾分か実権を握っていたと思います。

最初はあなたのことをてっきりとどうしようもない粗忽者だと思っていたんですよ。

……それはまた見苦しいところを見せてしまったな。

……リャン様、これまでの間、あなたは一体なんのためにこれほど頑張ってきてのですか?

私にはずっとある不変の思いを抱いているのだ。

この世とこの世にいる人々が安寧でいられるようにという思いだ。

……それは礼部と司歳台を欺くことも惜しまずに、ですか?

民の安寧より重要なものなどあるか?

礼部だって相応の準備ができてるのはあなただってご存じのはず。

春雷とは本来、冬が去って春が来た証だ。そんな春雷で三山十七峰からまた一峰減らされることなど、私は望んじゃいない。

……やはりリャン様はリャン様ですね。

けどそんなあなたでもやはり私に会いたくはなかったと。

そんなことはないさ。

ないわけがありません。顔にはっきりと出ておりますよ。

役人である以上、公務が優先なのだ。

だがしかし……

……ん?

もしネイ殿がネイ殿として会って来てくれれば、このリャンが喜ばないはずはない。

……

リャン様って……素直な時も……あるんですね。
リャンが茶杯を上げる。
杯の中に茶はなかったが、それなりに茶を嗜んでいたのだろう。

……三つ?

一つ目、盃を取り戻すこと。なぜかは知りませんが、あの人は太傅様に盃の在処と大方の位置情報をすべて教えてくれたんです。

罠だって考えたことはなかったのかよ?

二つ目、非公開にしてる二つの極秘策に取って代われるさらに妥当な案を探ること、この事態を最小限に抑えるために。

へぇ……まあ毎度天下百姓に関わる大事になれば、炎国はそりゃ慎重にならざるを得ないもんな。

そして三つ目は……

言いなよ。

……十二人いる分身のうちのいずれかの三人が集った場合、太傅様自らが書かれた告諭書を渡すこと。

……告諭書?

はい。

ですから、シーはどこです?

うぅ……アタシなんで……

ん?

……

だ、誰よアンタ……

……あなたのことを忘れてたわ。

まあいいわ、気絶させられたほうが悪いんだもの。

――!

と、父さんは!?ショウは!?それとあのデカブツは――

探しても無駄よ。

どうせ見つからないから。

……ここは……

む……

瞬時に天地が様変わりしていくとは……

あの突如と現れた女……一体何者だ?

ガウ……

ちょっとちょっと、またこれか!?

え……画の中にいるって?

アンタなに言ってるの?

だから話しても分からないって言ったのよ。

ちょ、ちょっと、どこ行くのよ?

山頂。

山頂って、忘水坪ならそこに――

――なにあの庵……いつからあんなところに……?

ずっとそこにあったわよ。

グギャァ――!

キャッ!

フンッ。
(シーが器倀を何らかの力で消し去る)

……こんな模造品を作り出すなんて、私のことをバカにしてるのかしら?

オメーってば本当に口では容赦しねーな。

職務があるので。

……一つ疑問があるんだ、先に言っておくがただの疑問だからな。

もしアタシがオメーの言うことを聞かなかったら、司歳台はどうするつもりなんだ?

千年前にやったことをもう一度やればいいだけの話です。

何より今のぼくたちは強くなり、あなた方は弱まりました、形勢が逆転しましたからね。

……ほう。

司歳台の方針は簡単です、今を苦労してでも必ず千年の憂いを絶つ。

アタシらの利害は一致してるって、アタシさっき言ったんだけどな。

それはあなた自身に退路を敷いてるだけじゃないですか。

ぼくがあなたを信じたとして、あなたがそんな荒唐無稽なことができるなんてどうやって信じればいいんです?

もしできなかった場合、あなたの存在がどれくらい不必要な危害を生み出すか理解してるんですか?それを司歳台はもっと“妥当”な方法で解決できるのでしょうか?

あなたがぼくを説得することなんて無理ですよ。

……やっぱ話がまとまらないな。

オメーはどう思う?

……私?私に聞くぐらいならあんたが探してるあの人に聞いてみたらどうかしら。

あなたがあの……

……なるほど、そういうことか。

これが彼の大考ってやつなのね?

なにを言ってるんです?

なにも分かっていないのはあなたのほうよ、ガキ。

三百年も引き籠っていないのなら、そんな目で私を見ないでちょうだい。

……

し、シーさん、落ち着いて……

……フンッ。

あなた方はあの盃がどういうモノなのか知っているんですね。

それを渡してください。

……そちらがリャンにそれを頼んで、リャンはそれを俺に頼み込んできた。盃が欲しいのなら、俺らじゃなくリャンに聞いてください。

頭が冴えてるリーさんなら、事の重大さは理解してるはずです。

リャンにだってあいつなりの理由があるはずですよ。

……もしネイ・ジシュンが真っ当な釈明ができなかった場合は、リャンさんがご自身の独断の責任を果たしてもらうことになりますよ。

……うぅん。

そんないちいち急かすなって、ガキンチョ、そんなに欲しいってんなら……

……ちょっと待て。

司歳台はなんでそんなにこの盃を欲しがっているんだ?

どうせあの将棋狂いの仕業でしょ、閉じ込められて暇していたから――

――いや……あいつはこんなことをするようなヤツじゃないわ。

あいつは本当にまだ京に幽閉されているの……?あいつに一体なにが?

……

ついこの間司歳台がその幽閉場所である寺に行った時、ある死体を発見したんです。

国が認めた名棋士が面会した後、原因不明のまま心肺は停止し、吐血した姿で死んでいました。現場に駆け付けた頃には棋盤の天元、つまり棋盤の真ん中には黒い碁石が置かれていたただけで、ほかにはなにも発見していませんでした。

……あいつに会うのは禁忌だってさっき言ってたんじゃ?

それをきっかけに司歳台が調査に動き出したんです。

あの盃は、紛れもなく彼の陰謀を暴くための重要な手がかりのうちの一つです。そしてお二方、ニェンさん、そしてシーさんには……

是非とも司歳台まで一度お越し頂きたい。

……あはは、こりゃ面倒臭いことになっちゃったね……

チッ。

まさかあいつに一歩先手を取られただと?

一歩どころなわけないでしょ?

どうりであの爺さんがあんな焦っていたわけね。

それで……リンさんはどこに?

司歳台の記述によれば、ほかの歳獣とはいまいちな関係にある彼ですが、唯一リンとシュウの二人は詩を詠うほど仲がいいと書かれています。

もし彼女が姿を見せないのであれば、司歳台も相応の――

……うぅん……

私に用かな?
彼女は夕日を眺めていた。
太古とそのほかの時代を渡って。
実際には、時間とは場なのだ。
逍遥たる者でしか、その場に足を踏み入れられないのだ。

ふわぁ~……あぁ……この景色。

尽きる日に流れゆく水……落雪と空に留まる月。

そして落日に焼かれる雲、なんて艶やかで愛らしいんだろうね。

こんな美しい景色が広がっているのに、どうしてよりによってそんな興冷めするような話をするのかな?

……いつの間に……

……おや、貴君は貴君の父君が若かりし頃にとてもよく似ているね。でも……

こんな赤く燃えている雲が目に入ってもそれを無視するなんてね?

そんなにこの世界に興味がないのかな?

夕日を讃えたいのは分かるがそれはまた後にしてくれ。

こっちが手間をかけてシーを連れ出して会いにきてやったのは、姉貴の詩を聞くためなんかじゃないんだぜ。

……

……久しぶりだね、ニェンちゃん、シーちゃん。

それとそちらの方も。

……俺?

あ?リーと会ったことがあるのか?

いいや。

その前に……

――

こんな三流な手段を使うだなんて、ちょっとは品格を失ったんじゃない?

……お前には敵わないな。

だがお前が一目で見破られるとは予想外だった。

誰の道を歩いているんだと思っているのかな?

……まあ、こっちは別にお前を誤魔化そうとするつもりもなかったんだ。

それに、白昼夢を見たのはあの男であって、あの男を夢で見たのは俺だったってだけだからな。

こういう小細工はお前から学んだんだぞ?

我醒めては未だ我であり、蝶の夢は所詮蝶なり。

彼が目を覚めても、彼のままでいられるのだろうか?

どうだろうな。

そっちがそれを決められたことではないけどね。

容赦がないな、リン。

そっちにその本領があれば、なにも兄さんと一緒にごねて、彼みたいな一般人をイジメる必要なんてないじゃないか。

違う価値観同士が合うわけないだろ。

ん?じゃあ私と君なら同じ価値観だってこと?それは初耳だね?

あんなに酒を飲み交わしたってのに、お前ってば血も涙もないんだな。

まあそれもそうか、だってお前捨てたんだもんな……俺がお前にやったあの盃を。

……そんな捨てただなんて、ちょっと月を眺めて詠ってた時、つい失くしてしまっただけさ。

こっちこそ失望したよ。あの時から兄さんはとっくに……一手打っていたんだね。

フッ……はは……

なにを笑ってるの?

思い上がってるニェンを、怯えているシーを、他人事のように振舞ってるお前を笑っているんだ。それと独り善がりな俺自身のこともな。

……兄さんは本当に……

本当に取って代わるつもりなの?

……

あれ?俺がどうかしましたか?そんなジッと見つめちゃってどうしたんです?

なんでもない、ちょっとくだらない小細工を見破ってやっただけだよ。

それで私に何の用かな?

ただ単にリン姉に会いに来たって言っちゃダメなのか?

……あんた、眠ってたの?

ん?

眠ってたのって聞いてるんだけど?

なんでそんなことが――

……酔ったら普通は眠ってしまうでしょ?

それがどうしたの?

……

……

なんで眠れるの?

なんでって聞かれてもねぇ……あ、そうか。

……シーちゃんは眠れていないんだね、可哀そうな妹よ。

悪夢を見るのが怖いから?

……あれが悪夢って呼べたらね。

……うん……こうして顔を合わせたのは随分と久しぶりになる。

シーちゃんはずっとそれに悩まされていたんだね。画はどうしたの?シーちゃんの画でも夢を遮ることはできなかったのかな?

いいや……それとも、画はすべてが偽りだって、ようやく気付き始めたのかな?

なっ……

……!ちょっと、勝手に私の画を弄らないで!

麓にいたあの一般人たちも姉貴のせいで画の中に取り込んじまったな。

なんだ……拙山枯水、ちっとも彩がないじゃないか。

つまらない画だね。

ガウ……?

でもこのかわいい落書きたちは結構いいかも。

餌とかは必要なのかな?

アタシらがここに来た理由は知ってるはずだろ。

……ニェンちゃん。

ニェンちゃんからしたら、私たちは最後にどういう道を取ればいいんだろうね?

……

二人してアタシをジッと見るんじゃねーよ、今考えてるだろうが……

……でもまあ、今のところは分からねぇや。

分からない、か……そうだね……分からない。

答えとしてはまあまあかな。

シーちゃん、さっきの画だけど、生気がまったく感じられなかったし、保身に回ってるような感じがするから、捨てちゃったほうがいいよ。

……あんたにそれを決めつけられる筋合いはない。

当初君たち一人一人に真名を与えた彼女が君たちにどんな期待を抱いていたかを忘れちゃいけないよ。

……いつの話よ。

さっきはなにを……

なんでないさ、ちょっと隙を見てこの俗世から離れていただけだよ。

太傅から私に渡すものがあるんじゃなかったのかな。

……それとこれとは別の話です。すでに告諭書に目を通したとはいえ、それでも大人しく司歳台までご同行してもらいますからね。

彼を、あの将棋狂いを……見つけ出すため、というかな。

……そうです。

これを受け取ってください。

ん?手紙?

太傅の告諭書とはまた……別のものらしいね。

この筆跡は……あの人の……

太傅は絶対こんな草書で告諭書を偽るような人じゃない、だって生真面目なんだもの……彼からほかになにか言われてない?

それを届けろと言われただけです。

朝廷からの直々の手紙か……久しぶりに受け取ったよ。

……ふふ。

アタシらに手紙だと?人間もいつの間にかえらく度胸がついたじゃねーか?そんな度胸を持ってるヤツなんててっきり真龍とその側近ぐらいかと思ってたぜ。

内容も見てみるといいよ。

あ?
三度は無い

……!

……三度は無い、ねぇ。

なるほど、こりゃ確かに“三度は無い”って言えたもんだぜ。

文字が讖になってる……?これ絶対あの太傅の爺さんが書いたものじゃないわ!

この筆跡は多分だがジィエのものかもしれねぇな、でも彼女はもう……もしかして字を真似たヤツがいるのか?でもなんでわざわざ太傅の“告諭書”を?

……あの将棋狂いの仕業ね。どうやらこの数年で色々と“学んだ”らしい。

彼の独断専行で本来なら炎国の怒りを買うハメになるはずだったんだけど……この告諭書も、彼にとっての一駒ってことだったってことかな?それにしても太傅はなぜ彼の代わりにこれを送ってきたのだろうか……

ちょっと……!

もしかして……太傅が後手に回ってしまった?

ちょっと!話ならもうそこまでにしてよ!
無言になった三人。
悠久な時を過ごしてきた彼女らでさえも、この時ばかりは無言になった。
風は古より今に至れり、此の時すでに此の刻に非ず。

……あ、あれは……

そ、そんなのありえない……あいつはもうこんなことまで出来るようになったの……?

アタシに聞くなよ……

しかしまあ……こいつは一応影みたいなもんなんだが……それでもこんな感じで睨まれたくはないぜ。

……

なんだシー、ビビってんのか?

……あんたひらめきが多いんでしょ?なんとかしなさいよ。

おい、リン姉。

アタシらで一緒に――なにしてんだ?

前回酔っ払った時、ここに酒を置いていたのを急に思い出してね……あったあった。

……これは湖松酒かな?うん……香りは悪くない。

なに呑気に酒なんか探してるのよ、早くなんとかして!

なんとかって?なにを?

こいつをなんとかする方法を――

――自分をなんとかする方法なんて、わざわざ私が言うまでじゃないでしょ?

それは……

……おい姉貴、もしかして今回は傍観するつもりなんじゃねーだろうな?

まさか。

……また会ったね。

今回は私が君を夢で見ているのかな、それとも君が私を夢で見ているのかな?

……
リンは尻尾で酒を巻き上げ、あのすべての元凶と彷彿させる盃に注いだ。
そして天に向かって盃を上げる。

一杯どうだい?

いや、結構だ。

それとほかの者たちも、――ここに招待しよう。

……!一体なにが?

ここはどこだ?

この感じ、なんだかシーさんの画の中にいるような……

それより……あなたは誰ですか?
帳のような黒夜。
一人の人影が、室内で座っている。
彼の背後には、掛け軸がかけられている。
その題目は『天圓地方』。

もしお手すきなら……

一局、俺と差してくれないか?