(爆発音)
ごふッ……
……
ここまでよ、パディア。
ま……だ……
パディア、だよね?
銃騎士のほとんどはすでに使節区域に配置された。君の任務は達成したよ。
……
(パディアが倒れる)
よく分からないんだけどさ、大聖堂で一番強いのが誰なのかを知らないアンドーンじゃないんでしょ……こんなことして意味なんかあるの?
……あいつはただ猊下に会えればそれでいいのよ。
え?もしかしてレミュアンが言ってたアレ、本当に聞き入れたの?
あれとこれは別。
あいつはあいつのケリをつけられるけど。
それで私があいつを許すとは限らないわ。
そうだね。じゃあもう行く?
……先にパディアを落ち着いた場所に寝かせてからね。
わかった。
我々は如何にして啓示と直面すればいいのだろうか?神秘的で計り知れず、口出しするべきでないあのひと時を。朦朧としていて、今にも爆ぜてしまいそうな衝動を。そして原因も分からず、言葉では言い表せられない直感を……
啓示は一体我々をどこに導いてくれるのだろうか?我々にどんな選択を迫るのか?それとも、これは生存による疲弊から来た、単なる幻想にすぎないのか?
だが啓示が啓示と称されるのは、我々がそれを信じようとしているから、あるいは信じるべきだと思わされているからである。
たとえ我々が、その内にはなんら超常的なナニかがあるわけではないと知っていたとしても、我々が冷淡にもソレを理論的にあるいは客観的に解析できたとしても……
嘆かわしいことに、現世の人々は相も変わらずその“啓示”から聖霊の光を見出そうとしているのであろうな。
そのような過酷な現実と直面した際、臆病者は啓示の曖昧さを責めることができ、敬虔なる者は己の悟りが不十分だと懺悔することができる。何はともあれ、少なくとも何もかもが己に落ち度があると決めつけずに済む。
(アンドーンが姿を現す)
来たんだね、アンドーン。
驚きはしないのだな。
これが何らかの導きによるものだとは思ったりはしないよ。日常が私に授けた最たる教訓は、人々はいずれ必ず相まみえる、本意だろうが不本意だろうが、とね。
だが所詮、各々は目的を抱いていたからこそ相まみえる。
至高なる法の守護者、監督者、そして実行者。
犠牲と結束の美徳を持ったエヴァンジェリスタの名を受け継いだ第十一世の聖徒、ラテラーノ聖跡の頂に立つ教皇猊下よ。
信じてもいない辞礼をわざわざ読み上げる必要などあるものかね?
あの女の子は君たちのところには残らなかったのだね。
あの子はまだ幼い、色々と経験してあげる必要がある。
それに比べて私たちは老いたな、権謀術数と軋轢を熟達してしまうほどに。
どうするつもりなんだい、まさかその歳月がもたらした賜物をあの子に使うつもりではないだろうな?
私はまだいち少女の道を遮るほどボケてはおらんよ。
あの子が“奇跡”を引き起こしたとしてもか?
いいや、奇跡はラテラーノのもの、ラテラーノだけのものだ。その恩寵がここに降臨された、それだけのことよ。
歴史は好きかね?私はかなり好きでね、歴史が歴史となるためには通常ならば、一つの原点を必要とする。そこに少しだけ変数を加え、それから波風を引き起こすようにかき混ぜれば――その波風は歴史となる。
最初にその原点に何を投げ入れようと、歴史がそんなことを気にするはずもない。
私も同じさ。
セシリアという名の少女はその子が行きたがっているところに行き、やりたいことをすれば、いつかセシリアという名は大いに異彩を放つかもしれないし――無名のまま終えるかもしれない。
だがそれは、君にも私にも関係のないことだ。
互いにとってなんら関係はない、まずはそういう私と君の共通認識として解釈しても構わないかい?
……まるで孫娘の門出を見守る優しいお爺さん、といった風に自分を語るのだな。
いいじゃないか、各々必要なものは得られたのだから。君は奇跡の解釈を得た、その代わりとして、セシリアはここを離れる自由を得た。
到底取引とは呼べそうにないけどね、あの子はもとから選べる立場にはなかったのだから。
あの子に手を上げるなんてことは最初から微塵も考えてはいないよ。数千年も聳え立ってきたラテラーノがするようなことではないし、そんなことはしない、ましてやたかが一人の混血児で動揺することもない。
君の前任者と後継者たちも同じようなことを考えていると願うばかりだな、あの消された名前たちが無駄に終わらないことも。
あれもこれもと贅沢に選ぶことはできないよ、アンドーン。罪は永遠に罪のままだ。ただ時間によって薄れていくだけさ。
それがかつて罪だったと、全員が忘れてしまうほどの薄さにな。
私が先達の落ち度を責めることなどできんよ。だが、それを隠すためにその罪を受け入れることもしないさ。
君が口にしたその“共通認識”があれば、なんだろ?
フッ、だからね、老いるとは実に退屈なことだ。経験は私たちを怯えさせ、後先のことで優柔不断にさせてしまう。
老人に可能性なんてないよ、アンドーン。私たちはすでに敷かれた道を辿るだけだ。
敷かれた道、か……
君だって同じだよ、アンドーン。君が今までどう歩んできたかは知っている。
どう歩んできた、か……
そうだな、かつての私はその歩みの中で……純粋な祈りや、悪辣な呪いの言葉を耳にしてきた。
豪華な宮殿に足を踏み入れたこともあったよ、出て行く際は血の足跡を残すことにはなったがね。
恥知らずな罪人たちが泣きながら許しを乞うところも見てきたし、無辜な子どもたちのために簡素な棺に蓋をすることもしてやった。
いつだってこうだった。彼らの叫びはいつだって静まってしまい、涙は干からびていた。そして私は、いつだって彼らの傍に寄り添い、慰めようとしていた。
守り、信じ続ければ、救いはいずれ必ず訪れる、私はそう彼らに説いた。
だが、結局は何も起こらなかった。ほんの僅かに一瞥してもらうこともなく。
一度も嵐に荒らされたことがないラテラーノが、柔らかな肘掛け椅子に腰を落とす聖人たちが、無知蒙昧を美徳とするサンクタが、どうやって俗世には苦難と呼ばれる境遇があることを知れるのだろうか?
あの望み無き懺悔を、あの枯れ果てた慰めを、あの深く重い沈黙を。
その沈黙がいかにして私の心を押しつぶしてきたか、君に分かるか?
だから私は答えを求めに尋ねて来た。
我々に救いが訪れることは決してない、そうなのだろ?
“救い”か、よく信徒たちが口にしているところを耳にするよ、冥冥の内にある約束、溺れる者たちが身を休むための小舟のようだ。
ああ、我らの偉大なるラテラーノ、黄金に輝き、優雅なる荘厳さを放ち、そこの空気にはいつだってハーブと砂糖の匂いが漂っている。
そのすべては法に従ったがための“見返り”、“救われた証”だ。
だが楽園を楽園たらしめているのは、外の荒野があまりにも冷酷であることに他ならない。
ならここはそんな荒野に輝ける一つ星、寒空の下のかがり火になれたはずだ!
……なれないとは言わせないぞ、ラテラーノは聖書に描かれてる得体のない幻などではない、ラテラーノは今もここにある……この世に存在している!ラテラーノは人々を救えたはずだ!
救えないさ。
何をもって救えないと?
私たちが“私たち”でいるからだよ、私たちがラテラーノのサンクタでいるがために。
そして“彼ら”は“私たち”ではない。“彼ら”は隠し、幻滅し、頼り、失望し、藻掻き、恨むからだ。
彼らは己のために敵を作り出す。滅びの灼熱を心に潜ませ、欲望と恥じらいを合わさって一つのケダモノを作り出す。
なぜこの大地にある無数の都市と王国が戦火に悩まされ、たちまち滅びても、奇跡なるラテラーノだけは永久に存続できたと思う?
アンドーン、彼らは地獄なのだよ。
そこで君は、“私たち”から遠ざかることを選んだ、私たちを構築する美徳から遠ざかり、執拗にもコップ一杯の水で地獄の炎をかき消すことができると、残燭が荒野の夜を照らしてくれると思い込んでいる。
それなのになぜ私から答えを得る必要などあるのかね?君はとっくに自分のために絶望を選んだではないか。
……私がラテラーノを訪れたのは、今までの間で三度のみだ。多くの場合は、この大地の隅々を渡り歩いてきた。
色んな人を見てきたよ。みな心に陰を落としていた、ラテラーノの教皇がわざわざ教えるまでもない。しかしそれに比例して、私の目が盲いてしまうほど輝かしい光も抱いていた。忘れようもない。
忘れられるものか。
私はその光に身を燃やしたよ。その炎は燃えだした瞬間にかき消される定めにあるかもしれないが、それでもその炎を見た後、永久に輝き続けているラテラーノに戻ることなどできなくなったよ。
永久に輝ける光というのは冷たくて手が届かない存在だ。ラテラーノの光は選ばれた人のためだけに輝ける、ラテラーノの強さは栄光を形作るためだけに現れる。
であれば、私は凍え死にゆく者たちのために、彼らの足元にあるかがり火になろう。
瞬く間にかき消されてしまうようなかがり火だったとしても。
アンドーン、かがり火というのは瞬く間に吹き消される定めにある。永久の光を炎に変えれば、その炎もいずれは吹き消される。その時になれば、遥かなる光すら存在しなくなってしまう。
もし天に吊るされている双月を打ち砕けば、寒空の下に人々は目印を失ってしまい、光は目を閉じた時にしか現れない幻想と偽りに化してしまう。そんな永遠の夜に良心があるなど、君は本気で思っているのかい?
君は楽園の狭苦しさを憎んでいるんだね。
しかしそんな狭苦しい楽園でも、この大地で存続することがどれだけ難しいのか、君にわかるかい?
君は楽園の狭苦しさを酷く憎んでいるが、そんな楽園の中にも本物の暮らしを過ごしている人たちがいることを考えたことがあるか。君は何をもって楽園を自身の薪にして、消えて無くなる定めにあるかがり火を燃やそうとしているのだね?
この大地は美善を受け入れるにはあまりにも酷なのかもしれない。そんな美善を保つために、ラテラーノ人が、無数のラテラーノ人が、何代にも渡って続いてきたラテラーノ人たちが、どれだけの代償を払ってきた分かるかね?
アンドーンよ、君は何様のつもりで、軽はずみな一言半句でそのすべてを否定できるというだね?
……屁理屈を。
ラテラーノには本物の暮らしを過ごしている者たちがいると言ったな、ならラテラーノの外で過ごしている者たちの暮らしは……偽物だとでも言いたいのか!?
彼らは苦境の中でも心に希望を抱き、敬虔に信条と戒律を信仰し、いつかこの暮らしぶりは変わると信じ、払った代償から報いを得られると期待し続けてきた……
粗塩を売ってる雑貨屋のバロンのおば様、波がさえずる小さな教会で補祭を務めているランディ、鐘に紐を結ぶサグレィ……
その者たちが信じる期待に、なんの違いがあるのというのだ?
教えてくれ、歴史を背負い、楽園を守護する、偉大で栄光あるエヴァンジェリスタ11世よ。
……なぜサルペトラ町は滅ばざるを得なかったのだ?
答え。
そして問い。
私が欲していた答えはこれだったのだな。
私が問いたかったのはこれだったのだな。
……
ナニかが緩んできた。
ずっと長い間……私を縛り続けてきたナニかが。
ナニかが叫んでいる……藻掻いている。
なのに私は気が楽になった感じがした。
まるでほのかな日差しを浴びているような。
銃声が同時に何発か鳴り響いた。
法というのはサンクタの骨肉に深く切り刻まれている。
僭越な真似をすれば必ず対価がついてくるものだ。
そんなことは知っている。
足元にはどこまでも続いている深淵。
私はそこをいつまでも歩んできた。
(爆発音)
巨大な力が私を壁へと嵌めこみ、レリーフ彫刻が骨を叩き、聖像が背後で砕けて崩壊した。
間違いない、守護銃の威力だ。
エヴァンジェリスタ11世、彼の老衰しきった身体は歳不相応に強かに見えた。
だが……
私は懸命に瞼を上げる、土煙の中で彼の姿を探す。
その老人はやはり大聖堂の中心に立っていたが、もはやその顔に笑みはなかった。
私がここに辿りついた時よりも、彼は幾分か老けているように見えた。
けどヘイローは、彼の頭上にあるヘイローだけは、依然と輝きを放っている――
「骨肉にある法を犯せば、悲惨な対価を払わなければならない。」
……対……価……?
それからして、私は気付いてしまった。
私の頭上にあるヘイローは、まったく翳りを見せなかったのだ。
……なるほど。
お互いに無事でいたことは、奇跡と言えよう。まずは無事を祝おうじゃないか。
……対価を払う覚悟ならすでにできている。
君は敬虔な信徒だったね、アンドーン、だからこそ君はラテラーノから出て行ったのだろう。
ラテラーノにおいて、私たちは信仰など“しておらん”のだ、そうだろ?なんせ私たちは信仰の一部なのだから。
サンクタは、この光の輪が頭上で光を放った瞬間から、アレに内包される仕組みにあるのだよ。
アレ……?私たちが……サンクタが堅く信じ続けてきた法とは……一体なんなんだ?
堕天とは……一体……
ラテラーノの悠久な歴史の中で、代々の教皇には法を解釈する権限を持っていた、さらには戒律、そして規律を生み出し、その上に成り立つすべてを構築しる権限を持っていた。
法があってこそのラテラーノなのだよ。
規律を、戒律を、法を背けば、堕天を迎える、これを知らないサンクタはいない。
堕天したサンクタは二度とサンクタと繋がることはなく、守護銃もまたその者たちを排斥するようになる。
堕天したサンクタはもはやサンクタではなくなるのだよ。
……ではサンクタとは“なんだ”?
サンクタがサンクタに銃を向けることはできない、これは戒律であり、本能でもある。人が崖に立ち、そこからさらに一歩踏む出すことができないようにな。
まあ当然だが、そこから飛び下りることができる人もいる。君ならよく分かっているはずだ。
……
……私とあの子はどう違うのだ?
私は戒律を本能と、戒律は解釈と言った。お利口な君なら、この中にある矛盾が分かるはずだ。
……法が不変なら、変化を遂げる歴史にその“解釈”を加えたところで“本能”になるはずがない。
その通りだ。けど前提条件が間違っているね。法なら不変だ……ただ“解釈”がそこまで“変化を遂げることはない”のだよ。
解釈は偶然による賜物ではない、アンドーン、この意味が分かるかね?
……「老人に可能性はない」、君はさっきそう言った。
私や君よりも法のほうがよっぽどご年配だ。
法は教皇によって解釈されず、己によって解釈される。なぜそんなことが法にできると思う?
周りにあるものをよく見てみなさい――これはすまない、一部はもう粉々になってしまっているな――この建物、聖像、鮮やかなガラス、輝かしいドームと壁画……
なにか錯覚を覚えないかい?
“啓示”のことはまだ憶えているかね?
……たとえ我々が、その内にはなんら超常的なナニかがあるわけではないと知っていたとしても、我々が冷淡にもソレを理論的にあるいは客観的に解析できたとしても……
嘆かわしいことに、現世の人々はいつまで経ってもソレに聖霊なる光を被せようとする。
……
法はこれまでもこれからも、たった一つしか存在しておらん。
――我々を存続させるという法だ。
……“我々”とは、なんだ?
ついてきたまえ。
私はこの老人についていき、奥深くへと進んだ。
大聖堂の地下には聖人たちが埋葬されている、誰だってそんなことは知っている。
彼らはこのラテラーノの悠久な歴史において最も博識で傑出した者たちだ。大理石で作られた彼らの高潔な石像の両目は空洞となっており、なんら道行く者たちに関心を寄せない。
下へ。
歴代教皇の偉業を記した石碑がズラリと陳列されている。
彼らの中には自惚れた者がいれば、謙遜な者や高尚な者もいる、あるいはただのイカレた者もいるかもしれない。だがラテラーノに泥を塗った者は誰一人としていない。そんな彼らも、今ではただ沈黙しているだけだ。
下へ。
初代の聖徒たちがここで永眠している。
彼らはサンクタを混沌から引きずりだしてくれた存在だ、この世すべての美徳をその身に備えた彼らと違って、後世の者たちはその者たちの真似事をしているだけにすぎない。そんな彼らの奇跡を記したプレートも冷たく仄暗い。
下へ。
もはや自分が今どこにいるのか分からなくなってきた。
どんな書籍や経典にも記されてこなかったものたちが私の目に入ってくる、もう理解できない領域だ。
これはラテラーノのものではない。
低く唸り声が空間中に鳴り響く。
この私が恐れを感じ始めるなど……
これは私が求めていた答えではない、コレは人の力で創り上げられるものではない……
コレが解釈と弁論、あるいは改革などで揺れ動くこともない……
信じるか信じないか、なぜ信じどう信じるかの争いをしている場合でもない……
コレは反駁しえない存在だ。
ソレはそういった方法で。
存在していたのだ。
ラテラーノとはなんだ?
サンクタとはなんだ?
なるほど、そういうことか。
私たちを私たちたらしめているのは、ただただ――
ソレが私たちを繋ぎ。
ソレが私たちを形作り。
ソレが一切の基準になっていたからなのだな。
我々が歩む道、そのすべては法によって導かれる。
我々が歩んできた道、その始まりは違えどゴールは同じだ。
ソレの許しがあって我々は進み続けられているのだ。
ソレが正しいと判断した道を。