
おお、戻ったか。

……

君の協力と貢献に感謝するよ。分かるさ、君にとって、信仰を背くことはとても苦痛なことだ。

だがより良い世界はすぐ目の前だ。これは妄言でも何でもないぞ、救済は実在するのだよ。

改めて感謝を申し上げよう。

カルメン様の思索に果てはない、騙したって無意味だわ。すぐにでもバレるでしょう。

あなたもティアゴさんに感謝しなさいな。私たちがウソを吐いたことで、彼はきっと裁判所の手によって死ぬのだから。

……私は一度も海の使者をこの目で見たことはない、だが海の使者は決して同族の要求を拒まないと、そう聞かされている。

なぜなら同族の選択は必ず一族のためのものであり、同族の考えとは一族そのものの考えだ。彼の死もまたその一環なのだよ、それを肝に銘じておこう。

ティアゴさんには申し訳ないことをしてしまったわね。

でも……

あぁ、心配しているのだね。それは杞憂というものだよ。

私たちの預言者、アマヤさんは、本当に帰ってこれるのかしら?

彼女はただ我々よりも先んじて海へ帰られただけだ。道と、使者と、眠れる都市の痕跡を探すためにね。

戻ること、それは同胞の救済は意味する。だが彼女はそのまま行かれてしまわれた、つまり未来のために備えをしに行ったことに過ぎない。

彼女のことなら心配はいらないさ。アマヤ嬢はあまり裁判所に注目を買われたくないのだよ、どこに行こうがね。我々はそれさえ知っておけばいい。

……じゃあ、あの捕らえたイベリア人だけど、どうするの?

……

彼の女主人はどうやらカルメンと協力を得たらしい。であれば彼も敵だ。

あはは……できればボクと先生の関係をそんな言葉で表さないでもらいたいね。

君はずっと我々を調べていた、そうだね?

君に我々の真理を伝えるためにかなり時間を費やしてしまったものだよ。我々とて君を傷つけたくはないのだ、理解してくれるかい?

君たちの偽善だったらすでに理解してるつもりだよ。

……偽善?あぁ……君はまだ道徳を、この世の道徳を語っているのだね。

シーボーンや恐魚が何なのかはまず置いといて……ボクが見てきたのは、イベリアと裁判所に心底不満を抱いていて、色んな言い訳をしながらそれらに危害を加えてる悪いヤツらだけだよ。

確かにボクはイベリア人さ、ずっとイベリアで育ってきたわけじゃないけど……

でも色んな場所、色んな出来事を見てきたから分かるよ。君たちみたいな人はたくさん見てきた、それによく自分たちだけは特別だと思い込んでいる。

もし君たちの神の言ってること、えーっと、進化は崇高だとか、命の究極系どうたらとかが本当だって言うのなら――

――君たちの神も君たちみたいな人には見向きもしないだろうね。

あなたに何が――!

……いいや、君の言う通りだ。だから使者は繋がりを絶ち、預言者たるアマヤ嬢だけが海の言葉を耳にでき、我々にそれを伝えてくれている。

(やっぱりアマヤさんも一味だったか……チッ、もっとはやく確証を得ていればよかったのに。)

(しかし……)
(ティアゴが近寄ってくる)

……

……状況はどうだね?

テメェらのその、溟痕か?まったく町の中心に近づけられていねえよ。

あの黒いバケモノは飛べるし、しかもおっかねえ熱気みたいなもんを口から吐き出してきやがる。焼かれる速さに対して溟痕の広がるスピードがまったく追いついちゃいねえ。

このままだと、懲罰軍を足止めしてる恐魚も全滅して、グラン・ファロは裁判所に掌握されちまうだろうな。

そしたら俺たちはみんな首チョンパだ。

いいや、ティアゴ。

君がその……自らを犠牲にしてまで敵の足を引き留めてくれている同胞を語った時、君は悲しまなかった。

言い換えると、君は怠っているのだよ、一族のための犠牲になることを。

テメェにそんなことを言われる筋合いはねえ、俺たちはただ利害が一致してるだけだろ。海の抱擁になんざ興味はねえ、こんなクソジジイになんの価値があるってんだ。

……相変わらず頑なだな、下等生物め……

そりゃお互い様だ。

そんでお前、若いの。だから言っただろ、余計なことに首を突っ込むなって。

ティアゴさん、あなたは……

知り合いかい?

……

えっと……

いいや、こいつはいつも礼拝堂にいるよそ者だ。町長を務めてたら、イヤでも目に付くってもんさ。

余計なことに首を突っ込みやがって。

……

はぁ、もういい。

そろそろこっちも動いたほうがいいんじゃねえのか?まさか裁判所とあのバケモノを飼ってる女に町を丸焦げにされるまで待つもりか?

そんなことはさせないさ。しかし君、かなりこの町を拘っているようだね、なぜなんだい?

グラン・ファロは俺たち何世代もの人間が建て直してきたイベリアの悲願の縮図なんだよ。テメェんとこに加わった町の連中に訊いてみるといいさ、そうすれば分かる。

裁判所はもうたくさん壊してきた、それのお返しをしてやる。

私はスカジ、イシャマラなんかじゃない。

ではイシャマラという発音は何を意味しているのだ?

それは……
スカジは知っていたが、答えられなかった。
グレイディーアから気にすることはないと言われ、彼女はそれを信じた。
だがこれはただの逃げである。彼女はその名が何を意味してるのかを知っていたから。
それは深淵からの唸り。血肉は岩壁を伝って堕ちていくも、ただ意識だけが上へ登っていき、やがて海を飛び出す。
あの全滅戦争の後、自分の体内に残った……“ナニか”を意味していたのだ。

(回想)

私には、お前と同じ血が流れている。

お前は、我らの匂いを嗅ぎ取る。我らが、お前の匂いを嗅ぎ取るように。

お前たちは、我らを探し出し、我らを殺した……

我らの理解が及ばなかった時、我らもお前たちを殺した。

我らは海に餌をやる。我らの死体は海を育てる。

Ishar-mla、我らの故郷は同じなのだ。
(回想終了)

審問官ッ!なぜ貴様はこの者共と組したのだッ!?

えっ、えっ?

即刻我が船から降りよ!さもなくば貴様も、この狩りの獲物にしてくれる!

お待ちくださいな、船長さん。

どうしてあなたは……その名を知っているのかしら?

我らの身体を変えるこの血肉を食らい、三桁もの数の生存者をこの手で殺めてきたからだ。

だが私が今聞いているのは、貴様の体内に流れているヤツらの血だ、こちらにも匂ってきているぞ。貴様の血はきっとほかの者よりも格段と特殊なはずだ。

何を訳の分からないことを――

私の腕を見ろ。
下を向くスカジ。
船長の片腕はすでにシーボーンのそれとなっていた。生えたばかりの水かきは透き通っており、伸びきった触手もうねうねと蠢いている。
彼はナニかを必死に抑え込んでいるようだった。その腕は船長の身体を貪っているのが見て取れる。

この腕は私に貴様を解放させ、貴様に打ち明け、私に貴様の思考を聞かせようと、強く求めている。

即刻我が船から消えよ、さもなくば貴様ら諸共ここで殺す。貴様を殺さねば私はヒトとしての理性を保てないのだ――即刻去れッ!

――私たちは多大な犠牲を強いられてやっとここまで辿り着いた。もしあなたにまだイベリアの英雄たる自覚を持っているのなら、私たちに協力すべきよ!

……よく考えてみろ、小さき審問官よ。

私がここで苦しみ藻掻いて来た時間はとうに祖国で戦へ赴いてきた歳月を超えているのだ。それを貴様に分かるか?

一年間の幽閉でさえも人を狂わせられる。我々が何年、波と戯れてきたか、貴様に分かるか?

……それは……

七か八年前、私はこの手で最後にこの船に残った船員を殺して海へ投げ捨てた。ヒトとしての意識を保って死ねたのがヤツで最後だった。

それ以外のイベリアで最も優秀な水兵も、戦士も、頑なに信念を抱いて来た科学者たちも、みな自殺という形で、この船で己の命に幕を引いた。

私が何を経てきたかなど貴様に理解できるはずもない。私の左腕は私の夢を奪った、寝る必要がなくなったのだ。どれだけ惨い苦しみか貴様に分かるものか。

その悠久とも呼べる長い苦しみの中で、私の唯一できることと言えば、大なり小なりのバケモノを殺し、時間をかけて私の船をキレイにすることだけだ。

私はガルシアと二人でここに残る、貴様らはとっとと帰るがいい。

私は貴様らのものでも、海のものでもない。私は我がイベリア、“阿呆船”だけのものだ。
グレイディーアが足を止めた。
なぜここはこんなにも清潔に保たれているのかを考えると同時に、気配が変化したことに気が付く。
シーボーン。無論、ここにもシーボーンはいるとも。
しかし、この混ざり気のある匂いはなんだ?そして終始感じている、この漠然とした予感はどこから来ているのだ?
そう考えるも彼女は進むしかない。脳裏に記憶した道を辿り、この船の奥深くへ足を運んでいく。
だが突如と、彼女は歩みを止めたのだ。

……この六十有余年、一度も岸へ止まらなかった原始的な輸送船にいては、少々目立ちすぎるのではなくて?

深海の司教さん。
(アマヤが姿を現す)

一目で見破られるなんて、もしかして姿を見せる場所が悪かったのでしょうか?

あなたがわたくしたちの後をついて来たのに何を言いますか。

いいえ、後先の順番を言うのであれば、先のこの船に上がったのは私のほうですよ。

海は私に言葉をかけ、私を受け入れ、私に手を貸してくれましたからね。最初から私にとって、この船に辿りつくことはそう難しい話ではなかったのです。

……

私を殺したいという衝動を抑えましたか……素晴らしい自制心です。

この船はあなたの広大なる計画の要として見ているから、抑えられたのでしょうか?

目的はなんです?

……クイントゥスを殺したのはあなたですね。

あなた方のような下らない実験のゴミでも、まさか仲間のために復讐心を燃やすとは思いませんでしたわ。あら、御免あそばせ、ゴミは失礼過ぎましたわね。

いいえ、それは誤解です。

クイントゥスは少々成就に拘りし過ぎていました。それにあの気性じゃ、失敗は目に見えていました。彼もまだまだヒトだったということですね。

しかし恥じることもありません。私たちのやり方で思考するも、それだけでは永遠に私たちのなりたい姿にはなれませんので。

“ただ血肉と精神の変化こそが真実である”。違いますか、狩人さん?

……

敵対は無用ですよ、私は何もしませんから。

結末はすでに命が誕生したその時から決しています、何者にも代えられない事実でしょう。

そんな下らない話をするためだけに、わざわざ海を泳いできたのですか?

それについては……

……まだあなたが知る必要はありません。
(恐魚達が姿を現す)

そんな下等生物を仕向けてもわたくしを止められなくてよ?
アマヤは艶やかに微笑んだだけで、返事はない。青白い光が彼女の足元から浮かび上がり、そしてすぐさま廊下全体を覆った。
“溟痕”だ。

……グラン・ファロにあった溟痕はあなたの仕業でしたか。

違いますよ。どうしてあなたたちはいつも深海教会に罪を着せようとしているのですか?起こった現象の背後にどういった真実が隠れているのか、それを一考したほうがよろしいと思いますよ?

この子達は遠い昔からすでにグラン・ファロに存在しているのです。私はただ……その子らの存在を見つけただけ。

フンッ、どっちにしろ知ったことではありませんわ。

ここは海の真っただ中、肉眼に映らない接触はとめどなく。あなたたちはエーギルに戻ろうと考えていますが、この船ではなんの役にも立たないでしょう。

しかし、本当にエーギルへ戻るおつもりで?ほんの少しでも、使者たちの言葉に……耳を傾けるつもりはないのでしょうか?

どうやらあなたもあの愚かな司祭とは違わないわね。真っ当に戦ったことすらないから、狩人に対してそんな戯言が言えるのでしょう。

いいえ。なにも狩人全員が、傲慢さを受け入れたりはしないものですよ。

……

またお会いしましょう、グレイディーアさん。少々残念に思いますが、まあこれも仕方のないこと。突破口、見つけるといいですね。

それはどういう意味?

ここへ留まるか、あるいは去るか……エーギルへ帰れるかどうかを決めるのは私ではないってことです。

わたくしの前から逃れられるとでも?

あら、そうですか?

(甲高い叫び声)――!!

……

クイントゥスの傍には確か使者がいましたよね。あなたはその使者と殺し合い、そして言葉を交わした。

あなたたちは歩みを止めるも、海は決して止まったりはしない。

進化を止めたいとお思いなら、エーギルもまだまだおツムが足りませんね。
(アマヤが立ち去る)

待ちなさい!

Gla-dia……

言葉すら発せられない獲物というものは、もはや畜生同然ね。

さっさと死んでくださいな、こっちはあの司教に用があるので。

――聞こえたか、ガルシアよ?獲物が鳴き声を上げた、我らを呼んでいるのだ。
副官ガルシアと呼ばれるバケモノは軽く頷き、その頭に被っている冠が滑り落ちそうになりながらも、爪を使って正そうとする。

ヤツは鳴き声を上げた――貴様ら、まだほかにも仲間がいるなッ!?

カジキね……

きっとナニかを見つけたんだわ。ここの匂いは尋常じゃない、海風に惑わされていたからでしょうね。

ヤツが薄汚いエーギル人たちに怯えて逃げ出さないか心配していたのだが、まだここに残っていて嬉しく思うぞ。私たちはもうすでに数か月も狩り続けてきたが、これ以上船体に傷を付けられても困る。

狩りって……あのシーボーンを狩ること?

シーボーン?……(かすれた笑い声)そうだな。

狩って生きる、この地に住まう人々が古来よりやってきたことだ。

次の鐘の音が鳴った時にさっさと姿を消すがいい、さもなくば貴様らもまとめて狩り尽くしてやろう。




