選抜会では君たち二人を落すことにしたが、状況が変わった。『朝と夕暮れ』の第一候補として君たちを推薦しよう。
状況が変わったとは?
君たちの前任者二人が急遽コンサートに参加できなくなってしまってな、だから君たちに呼んだのだ。
コンサートに参加できなくなったって……何があったんだ?
昨日午後、酒場で大飲み食いをしてしまったようでな。
本来なら気にするようなことでもないのだが、どういうわけかあの貴重な奏者二人が酒場で喧嘩し始めたのだ、それもほんの些細なことで。
その結果、フルート奏者は腕を骨折、チェロ奏者に至ってはもっと酷い、尾てい骨を折ったそうだ、おかげで座ることもできないらしい。立ちながらチェロを弾くと本人はベッドに寝ながら言っていたが、まるで話にならん!
えっ?
どうした?何やら驚いているようだが。
予想外には……思っている。
予想外?
しかしまあ、選抜会の二日目にああいったことが起これば、どうしても君を疑わざるを得ない、あの荒事が偶発的でなければな。
私を疑っているだと?
いや待ってくれ、私はなんの関係もないぞ。
先日はああいった態度を取ってしまったが、それでも私は暴力ではなく、音楽で貴殿の心を突き動かしたいと今でも思っているんだ。
聞こえだけはいいな。
だが、クライデ君を支援してやれるほどの資金があるのならば、君にとってもう二三人雇って揉め事を起こすのも容易なことではないのかね?
エーベンホルツは絶対にそんなことをしませんよ、ツェルニーさん、ボクが保証します。
保証か、そう言う君は昨日からずっと彼を監視していたのかね?
――はい。
ほう、では何を監視していたのだ?
それは……
“監視”などではない、ずっと傍にして相談してくれていたんだ、どうすれば貴殿に許してもらえるのかと。
まあ、結局何も出なかったが。
クライデ君、彼の言ってることは本当か?
本当です。
(首を振る)
なら、今回だけはクライデ君を信じよう。
ありがとうございます!
じゃあ……
喜ぶにはまだ早い。
あくまで君たちはただの代わりだ、まだまだ私の要求に実力は達していない。
特にエーベンホルツ君、君はダメだ。
一日の練習時間を二人に与えるから、今晩また私の家に来なさい、チェックしよう。
私の要求に最低限満たさなかった場合、入選はないものだと思え。その際は『朝と夕暮れ』もプログラムから削除する、分かったか?
承知した、必ずご期待にお応えしよう。
それとクライデ君、チェロを持っていなかったはずだね?なら一先ずはこれを持っていきなさい。
えっ……いいんですか?
無論だ。
もし今晩、私の要求に満たしたのなら、このチェロは君のものだ。
――ありがとうございます、ツェルニーさん!
では今晩までにしっかり練習するように。私も自分も頭を整理したいから先に帰っていなさ――
(ドアのノック音)
ウルスラか?また鍵を忘れたのか?
ロドスのオペレーターのハイビスカスと申します、ツェルニーさん。
ハイビスカスさんだ!もしかしてお爺ちゃんに何かあったんじゃ――
(クライデが扉に駆け寄って扉を開ける)
初めまして、ツェルニーさん、お会いできて光栄です。
こちらこそ、お初お目にかかります。
この二人との話ならもう済んでおります、もし彼らに用があるのならご遠慮なくお連れください。
ハイビスカスさん、お爺ちゃんがどうかしたんですか?
大丈夫、心配しないで。お爺さんならすでに治療を経て、容態も安定していますよ。
実を言うとツェルニーさんにご用があって参った次第です、クライデさんではなく。
私に?
ツェルニーさんの最近の容態について少々把握しておきたくて……お時間のほうはよろしいですか?
それを聞いてどうするのです?
最近アーベントロート区に住んでいる感染者の間で、症状が改善してる異常現象が発生しているんです……私がここへ来たのも、その調査のためでして。
ツェルニーさんはアーベントロート区のことをよくご存じだと伺っております、差し支えなければ区全体の状況を教えて頂ければと思いまして……
私でしたらずっと健康そのものです、ただ生憎ほかの者のことに関してはよく分かっております。
しかし告別コンサートを開かれる予定ですよね?普通ならそれは――
申し訳ありませんが、今すぐお引き取り願いますか?一人で静かにしたいものなので。
(ドアのノック音)
今度は誰だね?
先生、ドアを開けてくれませんか?鍵を忘れてしまったもので。
……
クライデ君、すまないがまたドアを開けてくれないか?
(クライデが扉に近寄り扉を開ける)
うわっ、お婆さん、すごい荷物だね。
いいのよいいのよ、お構いなく、これぐらいは持てるから。
遠慮しなくたっていいよ、キッチンまで運んであげるね!
あちらの方は……?
ウルスラ、私の遠縁だ。ずっと世話になっている。
(ウルスラが近寄ってくる)
まあまあ、こんなお客さんが来て頂いたことなんていつぶりかしら……
あら、そちらの方はもしかして貴族様でいらっしゃいます?これはこれは……お恥ずかしいところをお見せしました。
お気になさらず。エーベンホルツだ、そう呼んでくれて構わない。
オッホッホ、“鍵盤”なんてそんなご冗談を。返せる口もございませんよ。
冗談ではないさ、エーベンホルツで構わない。
よろしいのですか?
もちろんだ。
ではご無礼をば。
初めまして、ウルスラさん!
ひぃッ、なんでサルカズがここに――
はっ!?あたしはなんてことを……大変失礼しました、つい口に出てしまっただけで、何も他意はございません、どうかお気になさらずに……
いいんですよ、ウルスラさん、慣れてますから。
いえいえ、そういう訳にもいきませんとも、ともかく……大変失礼致しました。
お気になさらず。ところでウルスラさん、ツェルニーさんの病態についてお伺いしてもよろしいですか?
お医者様でいらして?
ロドスのオペレーターの、ハイビスカスと申します。
じゃああのアンダンテちゃんのご同僚かしら?
はい、私はヴィシェハイムへの出張人員で、アンダンテは現地のオペレーターでして。
なるほど、それなら安心しました。
ツェルニーさんやあたしのお薬はいつもアンダンテちゃんが配ってくれてるものですし、アーベントロートに住んでるほとんどの人間もロドスさんからお薬を貰っています。ロドスさんには色々とお世話になっておりますよ。
ツェルニーさんの容態については……
オホン。
先生、相手はお医者様でいらっしゃるのですよ?先生のお身体に心配をかけてくれてるのはいいことじゃないですか。
頼んではいない!
先生が頼まないと、お医者様も診てやれないではありませんか。
……
去年から今年の春までずっと容態が悪いままだったじゃないですか。さもなくば告別コンサートなんて開けるはずもございません。
けどまあ不思議なものね、昨日から容態が急に良くなられたように見えるだなんて。
ほかに何か分かることはありますか?
うーん、そうねぇ……
そこまでにしないか、ウルスラ!
はいはい、そこまで仰るのなら。
大変参考になりました、ウルスラさん、ありがとうございます。
もしツェルニーさんのご容態に変化がありましたら、いつでもお声がけくださいね。
オッホッホ、そんなこと言わずとも、何かあればこっちからロドスさんに助けを求めちゃいますよ。
歓談は終わりか?
終わりましたよ――
――あらいけない、ジャガイモスープを作るはずだったのに、肝心なジャガイモを買い忘れていただなんて……すぐバザールに行かなくちゃ。
(ウルスラが立ち去る)
ツェルニーさ……
(鬼神の如き目つき)
――う、ウルスラさん、バザールまでご一緒しますよ!その、献立を色々と教えてほしいかな~って!
(ハイビスカスが走り去る)
では、では皆も後にした事だ、私も失礼して……
待て。
つ、ツェルニー、さん……?
……鍵。
鍵……ああ!鍵!ウルスラさああああん、鍵、鍵忘れちゃってるよォ!
(クライデとエーベンホルツが走り去る)
ハァ、ハァ……
まさかあんなに足が速いご婦人だったとは、危うく見失うところだったぞ……
先ほどは本当に助かったよ、場を取り持ってくれて。
ううん、君があんなことをする人間じゃないのは分かっていたからさ。
……
鍵も届けたことだ、そろそろ区内のどこかで練習しよう。
ほかの人と同じように、街中で弾いちゃダメなの?
私たちのこれは練習であって、大道芸じゃない。街中ではうるさ過ぎて集中できないだろ。
うっ、そうだね。
貴殿の家で練習するのはどうだ?ちょうど祖父も引っ越したのだろう?毎日ホッホガルテン区から通うのはさすがに疲れる。
もし家で練習するのなら、ベッドを用意してくれないか?どうせなら泊まり込みで練習したいのだが……
ボクなら全然大歓迎だよ!でもボロボロな家だからさ、あんまり慣れないんじゃないかな……
すぐに慣れるさ、心配するな。
ここがボクの家だよ。
……
どうしたの?
どうしたって……
(な、なんて狭い部屋なんだ!窓からは隙間風、木材も腐っているし、まるで防音措置がなっていない……)
いや、何でもない。いい家じゃないか、うん、素敵な家だ。
――待て、シングルベッドしか見当たらないぞ、貴殿の祖父はどこで寝ているんだ?
お爺ちゃんならベッドで寝るよ?ボクは地べた。
地べたって……絨毯一枚だけじゃないか?
絨毯も中々悪くないよ?それにもう慣れちゃったし。
もし泊まるんだったら、君はベッドで寝なよ、ボクは地べたでいいから。
……
と、とにかく、まずは練習しよう。
ダメだ、やはりここのトリルでどうしてもつっかかってしまう。
大丈夫、もう一回上の段の最後の一小節からやり直そう。
またここのトリルで……
テンポ落そうか?
いやいい、所詮はただの装飾記号だ。勢いでどうにかなる。
――またここだ!
もうそのトリルは単音で持って行ったらどうかな?ボクがテンポを落すからさ。
楽譜に書かれてる以上は従わなきゃならないだろ!
でもそのトリルのせいで、前の一段でブレスが不安定になってるから変えたほうがいいよ。
……そうしよう。
うん!今回は完璧だね!
だがあのトリルを無視してしまった、きっと夜にはツェルニーにバレてしまう。
大丈夫だよ、時間ならまだあるんだから。
そうは言うが、貴殿はもう完璧だ、練習する必要はないだろ。あとは私が一人で練習しておく。
そんなことないよ、ボクだって納得できてない箇所なんかたくさんあるよ?
そうなのか?
ほらこことか、強弱が連続してる。さっきはできなかった。
……ホントだ。
それに無理して弾いてるところも結構あったからさ、完璧には程遠いよ。
……もう完璧に掴んだと思っていたぞ、正直言ってヒヤヒヤした。
アハハ、こんな短時間で掴めるわけがないよ、何事もゆっくり時間をかけないとね。
そうだな。
少し休憩しよう、細かい調整はまた後だ。
高い山嶺を超えて、悪魔が黄昏に踏み入る。
血に潜む病は隠れ、徐に死の蔓延を招き入る。
影から蟲は這い出て、意のままに滅びの前奏を吐き出す。
そしてフィナーレの合奏は止み、最後の太陽も災いに攫われていくだろう。
このように改変致しましたが、如何でしょう?
前のバージョンと大して変わっておらぬではないか。こんな預言で本当にロドスを追い出せるとでも?
預言だけでは当然足り得ません。しかし陛下の御名と、それを口実に引き起こした些細な騒動を加えれば……成功する可能性は大いに跳ね上がるかと思います、失敗してもデメリットはございません。
アーベントロート区の範囲内に、その予言を留める保証はあるのか?
それについてはご安心を。以前小規模に流布した予言に拡散された形跡は見られませんでした。何より、あそこは感染者居住区域でございますので――
ならばそうするとよい。