アンダンテが全力を尽くしてハイビスカスのために人の波を防ごうとするが、一人の力だけではあまりにも弱々しく、防ぎきることはできない。
やがて人の波はアンダンテを呑み込んでいき、ハイビスカスを逃さんとばかりに囲っていった。

二度も言わせるな、さっさと消えろ!

一体何を言ってるんですか!?彼女はあなたたちを助けるためにやってきたんですよ、どうしてそんな仕打ちをするんです!?

お前には関係ない、アンダンテ!この魔族を守ってやりたければ、さっさとアーベントロートから追い出すんだな!

なっ――一体何が起こってるの?

クライデさんですか!?ハイビスカスさんが危険です!囲まれて襲われそうなんです!

どいて、どいてください――道を開けてください!
(クライデが人混みを押しのけハイビスカスの前に立つ)

なんだお前は!どっから湧いてきやがった!

ははぁ~、思い出したぞ、この前アーベントロートに流れ着いたあのガキだな?余計なことに手出しするんじゃない、さっさと爺さんのお世話に戻んな!

ハイビスカスさんはみんなを助けるために来てくれたのに、どうしてこんなことをするんですか!

お前にゃ分からねえさ、俺たちはこの魔族から自分たちの家々を守ってやってるんだよ!いいからそこをどけ!

ハイビスカスさんはみんなが思ってるような人じゃありません!

ハイビスカスさんはただ鉱石病を治療しに来てくれただけです!彼女は全身全霊で取り組んでくれているのに、なぜそれが分からないのですか!

鉱石病の治療だと?じゃあそいつは誰かを治してもらったのか?いないだろ!

いいんです、クライデさん。ここはヴィシェハイムですから、皆さんが手荒な真似をすることはないとおも――

ハッ、そいつはどうかな!?
(アーツがチェロを破壊する)

ち、チェロが!?

何を考えてるんですか!?

原因は私にあるはずです!なぜ彼にアーツを向けるのですか!やめてください、彼はまったく関係ありません!

いやちがっ……そんなつもりは――

もういい!さっさと消えろ!さもなければお前たちもそのチェロと同じように、身体に穴が開くことになるぞ!
(フルートの音)

笛の音?誰だ!?

次から次へと邪魔しに来やがって……誰だ!さっさと出てこい!

……

なんだ――動悸が、急に激しく……

※リターニアスラング※、なんであいつがここで出て来るんだよ……
(怪しい感染者が走り去る)

おいお前ら、なんで逃げるんだよ?逃げんなって……

聞こえていないのか?あの音色だよ……
(物好きな感染者が走り去る)

……そんな、まさか、まさかあのお方が――ウソだ……

どうかお許しを……お許しください……私はただ酔っていただけで、決して貴方様に不敬を働く意志などは……

――ありません!ありませんからァ!
(酔いどれ感染者が走り去る)

皆さん……逃げて行っちゃいました。

はっ!?そうだクライデさん!大丈夫ですか?お怪我のほうは!?

ボクなら平気だよ、でもチェロが……

チェロ……表板の損傷がひどいですね、これ……直せるんですか?

どうだろう……

助けて頂き本当にありがとうございます。
(エーベンホルツが近寄ってくる)

礼には及ばないさ。

お初お目にかかる――わけでもないのだが、まあ、しっかりと初対面の挨拶を交わせていなかったからな、ここで改めてご挨拶を申し上げる。

正直言って、さっきは本当に危なかったぞ。アーベントロートはヴィシェハイムの一画ではあるが、保安官が来たがらないせいでここの治安はあまり良くはないんだ。

危険な目に遭ってしまっても、すぐ誰かに助けてもらえるとは限らない場所だぞ。

本当にありがとうございました。あの、お名前を伺っても?

エーベンホルツだ、そう呼んでくれ。

では、エーベンホルツさん、皆さんが言っていた予言とやらだけど、聞いたことはありますか?

まったくない。私もつい先ほどあの者たちの口から聞いたばかりでな。

つまり、予言はまだホッホガルテン区には伝わっていない、と……

ホッホガルテン?

ヴィシェハイムの貴族の方はみんなホッホガルテンにお住まいになられているはずですよね?

私をヤツらと一括りにしないで頂きたい。

え?でもエーベンホルツさんはヴィシェハイムの貴族なんじゃ……

ヴィシェハイムの者ではないのだよ、私は。

それと、あまり勝手に貴族の身分を推し量るものじゃない、はっきり言って失礼だぞ。

……

ではあなたもわざわざアーベントロートまでやってきて、ツェルニーさんのコンサートに参加する感染者の方なのですか?

いや、私は非感染者だ。

しかし、コンサートに参加される方たちは全員感染者と聞きましたが――

話はこれぐらいにしてもらえないか?

あっ、すみません。もしかして急いでました?

ああ、大急ぎだ。

本来ならクライデと一緒にツェルニー殿のお宅まで行って、今日の練習成果を見てもらうはずだったんだが、結果こんな目に遭ってしまった。

本当にごめんなさい、巻き込んでしまって……

じゃあその、事務所に戻らせて頂きますね……
(ハイビスカスが立ち去る)

……

さあ、悲しんでる暇はないぞ、まずはツェルニー殿のところまで向かわなくてはな。貴殿は彼のお気に入りなんだ、きっと新しいチェロを用意してくれるさ。

エーベン……

あっいや、そういう意味で言ったわけじゃないんだ……

……ううん、ありがとう。

しかし奇妙なことも起こるものだ、その“陛下の予言”とやらだが、まったく聞き覚えがない。

(まさか……ゲルトルート殿の仕業なのか?)

ボクならちょっとだけ聞いたことがあるよ……全部しっかり聞いたわけじゃないんだけど、サルカズのことは確か言われていなかったような……

ふむ……まあいい、とりあえず今はコンサートのほうに集中しておこう。

まったく度し難い連中だ。そんなに“先の陛下”が好きなら、女帝の声の前で“先の陛下”“先の陛下”と喚いていればいいじゃないか。そっちのほうがよほど見物だ。

ともかく、はやくツェルニー殿のところまで急ぐぞ。

でも、チェロが……

言っただろ、きっと新しいのを用意してくれるさ。

そもそも、貴殿は何も悪くないんだ。もしツェルニーがチェロのことでケチ付けてきたら、私が弁解してやる、いいな?

うん。

チェロが壊れた?

まさか……君たちもあの奏者二人と同じことをしでかしたのか!?

違うんだ、実は――

君は静かにしたまえ。クライデ君、一体何があったのだ?

……

ツェルニーさんのお宅に向かう途中、ハイビスカスさんと会ったんです。

ハイビスカスに?

すごい人たちに囲まれてて、アーベントロートに災いをもたらす魔族みたいな酷いことを言われてて、それで……

そんなもの出鱈目に決まっているだろ。

助けようとしたんですけど……アーツでチェロを壊されてしまって……

街中でアーツだと!?一体何を考えているんだ、その連中は!

それで?君がその連中を退けたのか?

いえ、ボクもハイビスカスさんも囲まれてしまっていたんで、エーベンホルツがその……アーツで撃退してくれたんです。

エーベンホルツが?

はい。

そうか、事情は分かった。

だが、チェロが壊れてしまったことはどうにもならないな……まともなチェロはあの一丁だけだったんだ。

本当にごめんなさい……

謝らなくていい、君は何も悪くないのだから。むしろ謝るべきなのはこちらのほうだ、あのアーベントロートの愚か者たちに代わって謝らせてくれ、申し訳ないことをした。

とにかくその壊れたチェロはここに置いていきなさい。まだ代用できるチェロがないか、探してみよう。
(ツェルニーがチェロ探しから戻ってくる)

探してはみたんだが、この量産品のものしかなかった。

すまないが、今はこれで我慢してくれ。予定通り、君たちの練習成果をチェックさせてもらう。

よし、では始めてくれ。

……

ど、どうだろうか……?

……

進歩はしている。

まったくの新しい曲、そして練習時間はたったの一日だけ、君たちからすれば酷なものだっただろう、私も厳しくし過ぎた面もある。

だがそれ以前に、まったく一つたりとも問題を解決できていない。

一つも解決できていないだと?そんなことは――

……

まずはエーベンホルツ。テンポに追いついてくるようにはなったが、それでも自分のパートでまた元に戻っている、まるで何かを見せびらかしているような印象だ、そのせいで結局はまたクライデ君が君に合わせざるを得なくなっている。

曲すらしっかりと把握できていないのに、何を見せびらかすものがあるというのだ?

……

トリルについてはしっかりと表現できている。だがそこでブレスの息継ぎができていなくてはまったくの無意味だ。

クライデ君、君はしっかりと安定しているな。あとはしっかりと練習を重ねれば問題はないだろう。

とはいえ、『朝と夕暮れ』は二重奏の曲だ、片方がもう片方の足を引っ張るなど言語道断。

正直に言って、今すぐにでもプログラムからこの曲を下ろしたい気分だ。

あの、ツェルニーさん、そのぉ……

なんだね?はっきりしなさい。

その、もう一度エーベンホルツに吹かせてもらえませんか?今度はツェルニーさんのピアノ伴奏と一緒に。

いいのかね?

私は彼に合わせるつもりは毛頭ないぞ?恥をかいても悪く思わないことだな。

はい、彼ならきっとできます。ご心配なく。

……

(小声)頑張ってね、ここが勝負の決め所だよ。

(頷く)

準備はできたか?

(深呼吸)

ああ。

――どうだ!

どうですか、ツェルニーさん?

さっきと同じように、見せびらかしているだけだった。フルートをなんだと思っているのだ?君を目立たせるためのおもちゃではないのだぞ。

……

だがしかし。

君に合わせるつもりは毛頭ないと言ったが、今回は比較的安定してフルートのパートをやりきってくれた

これで一つはっきりしたことがある。クライデ君は君の癖に合わせていたんだ、君の実力にではなく。

まだまだ一人前とは到底言えたものではないが、最低限の要求にギリギリ達したことにはなる。

じゃあ……?

合格だ。

やったぁ!

(大きく一息を吐く)

喜ぶにはまだ早いぞ、今日のチェックはあくまで合格ラインの確認だ。

これからは遂次、君たちの練習成果をチェックしておく。もし開演前になってもまだ今のような水準のままだったら、コンサート出演の話は無しだ、分かったな?

はい、ありがとうございます!絶対ご期待にお応えしますので!

それと、クライデ君が今使ってるそれは緊急時用の量産品に過ぎない、まともに作られたものに変えておきなさい。

でもツェルニーさんがくれた最初のチェロはもう……

心配するな、私がいるじゃないか。

ほう?君が?

明日一緒にチェロを見に行こう、一番いいものを買ってやる。

つまりどういうことよ?

だから先の陛下、陛下の予言のことを言っているんだ!

予言ですって!?こりゃ大変なことになったわ……その、歩きながら教えてちょうだい、一字一句はっきりとね……