
ダメだ。

三連符のところ……いや、曲全体がダメだ。

以前はただ目立ちたがって吹いていたと思っていたのだが、ここ数回の練習を聞いてやっと分かった。君はただ目立ちたがろうとしているわけではない、わざと難所を派手に吹いているな?逆にそれほど技量を要しないパートはそれで誤魔化してる。

本来なら、君はもうすでにこの曲は熟達しているはずだ、なのになぜあえて簡単なパートをそう誤魔化している?

誤魔化すもなにも……単調なパートは反復練習してるだけだが?これで満足か?

なんだ、ムキにでもなったか?

先ほどから目立とうとしているだの誤魔化しているだの……こじ付けはよして頂きたい。

ただ繰り返し同じ曲を吹いてもなんの面白みもないだろ。

今私の言ってることが分からなくとも結構だが、私のコンサートに出る以上、私がダメだと言えばダメなものはダメだ。

とにかくひたすら練習を重ねなさい、私が言ったことの意味を理解するまでな。

ちょうどよかった、私も知りたがっていたのだよ、私は一体どんなありもしないモノから逃げているのかとな。

では第十七小節から始める、アインス、ツヴァイ、ドライ、フィーア……

……

どうした?

……先ほどの箇所だが、どういう感情で吹いていた?

感情も何も……ただ吹いていただけだが?

いいや、そんなことはない。

私に腹を立てながら吹いていたな、エーベンホルツ?

……わざわざ貴殿に言われるまでもない。

では単刀直入に言おう、今日で一番の出来だったぞ。

冗談じゃない。

君に冗談を言う私か?

……

君はずっと私に盾突いていた、違うかね?

それでいいのだよ。私もこの曲を作成した際は、常に私に盾突いている人物を思い描いていたものだからな。

……

だんまりか……まだムキになっているようだな。

それとも、もはや私に構いたくなくなるほど、言いたいことで頭がいっぱいになってしまったのかな?

そんなことじゃない、ただ……

ただ?

(深呼吸)

――私に、思うところがあると思っていたんだ。

……確かに君には色々と思うところはあるさ。

それは……私が貴族だからか?

それも理由の一つだが、一番ではない。

確かに貴族は気に入らんが、だからといってヤツらが産み出した音楽をも疎むことはしない。

貴族どもが私を穢れた者と見なす傍ら、家で私の曲を使って練習に励んでいるのと同じように。

生まれが良く、世間の苦痛のなんたるかをすら知らぬ温室育ちの幸運児とて、音楽に敬意と探究心を持てば、あるいは生の喜びを理解してくれるやもしれんからな。

だが君の演奏は、目立つために張り切ったかと思えば違う箇所で手を抜き始める、まるで……

出来ないのではなく、やりたくないのだと、そういう印象を抱かせる。不真面目に仕事を片付けている傍らに、見えないところで内職に勤しむ者のように。

あえて言おう、それは音楽に対する冒涜だ。そんな態度が許されるはずもない。

だが、君はそれををわざとやっているわけではなかったのだと、私に証明してくれた。

少なくとも、君にはそのあやふやな状態から抜け出せる実力が備わっている。

もしや以前、凄腕ではあるが、学生に対してまったく責任を負わないような教師に師事していたのではないか?

……その通り、私の音楽教師はまさにそういう人だった。

ヤツのおかげで、私はどの楽器もそれなりに扱えるようにはなったが、心底嫌いな人だったよ。

であれば、その教師の音楽もおそらくは尋常ならざるものであっただろうな。

まさに貴殿の言う通りだ、だがもうヤツのことは思い出したくもない、ヤツの話はこれぐらいにしてくれ。

そうか。

では本題に戻ろう、君には今日の感覚を確実に掴んでもらう。

一気にこの曲を吹き続けろと言っているわけではないが、今日のリズムと感情表現、そして諸々の段落と連続してる箇所を必ず身体に叩きこめ、いいね?

分かった。

よし、では今日のレッスンはここまでとする、君も疲れただろう。

私はまだ夜にコンサート会場に行って、スポンサーの方と顔を合わせなくてはならなくてな、遅れてはならないからここで切り上げてもらう。

では引き続き精進するように。ウルスラに頼んで君とクライデ君に何か飲み物を届けよう。

ウルスラ――

ウルスラ、どこに行ったんだ?
(クライデが近寄ってくる)

クライデ君?ウルスラを見なかったかね?

ウルスラさんならロドスに行ってお薬をもらいに行きましたよ、もう出かけてから30分以上は経ちますけど。

そんなに経つのか?あの事務所はそう遠くにはなかったはずだが……

私はロドスに行って様子を見てこよう、今日はもうとりあえず帰りたまえ。

あっ、ボクもちょうどお爺ちゃんのお見舞いに行こうと思っていたので、ご一緒しますよ。

エーベンホルツは?

まあ、別にやることもないしな。

エーベンホルツさん、クライデさん、それにツェルニーさんまで!

ちょうどよかった、今からご飯なんですが、ご一緒にいかがですか?

ハイビスカス殿、ウルスラを見かけませんでしたか?

ウルスラさんなら厨房でお手伝いして頂いてますが――

あら先生~、いらっしゃったのですね。

薬を貰いに来ただけだろ、なぜ厨房の手伝いなんかしているのだ?

いやね、最初は先生のお薬を貰おうと思っていたんですけれど、ハイビスカスちゃんがこれから夕食を作るって言い出したものですから、アンダンテちゃんも出掛けちゃってるところだったし、ついね。先生の夕食もここで作っちゃおうと思いまして。

エーベンホルツさんとクライデさんもいらしたことですし、もっとたくさん作らないといけませんね。

お爺ちゃんの分もお願いします。

お爺さんならずっと寝ているので、ご飯は一緒に食べれないんじゃないかと……

ずっと寝てるって……容態が悪化したんですか?

いえ、ただの薬の副反応だと思いますよ、こういうことはよくありますからね。しばらくしたら元気になりますよ。

そっか……

ハイビスカスちゃん、このリンゴに似た果物だけれど、何かしら?

身体にいい芋ですよ、まだ味付けしてませんから、私が調理しておきますね……

この後コンサート会場でスポンサーと顔合わせするんじゃなかったのか?

腹を空かせたまま向かうわけにもいかないだろ。

ツェルニーさんのスポンサーってことは、その人も音楽に精通してるんですか?

……

音楽に精通してる、か……フッ、生憎その真逆な人だよ。

え?

最初はそのスポンサーも私と同じ道を進む同志だと思っていたんだが、すぐに察したよ、彼女はまったく違う人種だとな。

確か、あの『朝と夕暮れ』を作曲した方が貴殿の知己だったのでは?曲が完成する前に亡くなられてしまったと聞くが。

ああ、その通りだ。

今こうして冷静になってみると、もしかすれば、私がずっと君に思うところがあったのは、その曲の来歴と関係していたからなのかもしれない。

以前までは私も多かれ少なかれ不快に思っていたものだよ、君があんな風に『朝と夕暮れ』を表現するものからな。

だが今、ようやく君に突破口が見えた、私も心の中で抱えていた重りをようやく降ろせる。

貴殿が数時間に渡って私をしごき上げてくれたおかげでもあるさ、さもないと――

いちいち言葉に針を仕込むのも君の癖なのか?

……まあな。

まあいい、気にはしないさ。

音楽を奏でる者にとって、何よりも重要なのが正直さだ、それが私の持論でな。

言葉の針を仕込むにしろ、たとえ骨に刻み込むほどの深い憎悪を抱いていたとしても、必ず適切な技法でそれを表現できるはずだ、無意味な感情などはないでね。

最後のおかずも出来上がったことですし、頂きましょう!

ウルスラさんがいなかったら、こんな大量には作れませんでしたよ、本当に感謝してます。

こうしてテーブルを囲ってると、なんだか家族みたいですね。

(小声)家族か……

家族で思い出したのだけれど、本艦にいるラヴァちゃんはどうしているのかしら……

どなたなんですか、そのラヴァちゃんって?

私の妹なんです、感染者でして。いつも心配させられてばかりなんですけど、とってもいい子なんですよ。

妹さんのことになるとすぐ目つきが変わりましたね。

えっ、そうですか?あはは……

ラヴァちゃんったら、本人はちゃんと分かっているのに、人から良くされたらいっつも口には出さないし、なんなら調子を崩しちゃうんですよ。

あの子は感染者なんですけど、私と違って自分のアーツを磨き上げることがすごく好きでして、だから飲食のほうではいつも私が見てあげてるんです。

よく寝食を忘れちゃうぐらい練習に没頭しちゃいますから、毎回私から注意してあげないと――

あっ、ごめんなさい、ラヴァちゃんのことになると口が止まらなくて……

ささ、冷めないうちに先に食べちゃってください!私はクライデさんのお爺さんにお薬を交換してから食べますね。
(ハイビスカスが立ち去る)

妹が大好きなんだな。

だって姉妹だもん。

先生にも兄弟とかがいたら、今よりも楽しく暮らせていたんじゃないかって、いつも思っちゃうのよね……

やめないかウルスラ!

あらごめんなさいね、ウフフ。

ハイビスカスさーん、まだですかー?

もうすぐ終わります――
(ハイビスカスが駆け寄ってくる)

今交換し終えました!待っててくれてありがとうございます!

――じゃあ、頂きましょうか!

ほいよ、揚げザワークラウトね、落さないようにな。

ありがとうございます。

やっとまともな飯にありつける……

ちょっと待て、なぜあの健康食とやらを持ち帰ろうとしているのだ貴殿は!?

確かに味は変だったけど、食べないと勿体ないじゃん……

私は絶対に食わんぞ!食うなら自分で食ってくれ!!

先生、スープのおかわりは如何です?

いや、結構だ……もう腹いっぱいなのでな。

ウルスラ、厨房で手伝っていたんだろ?彼女が変な料理を作ってて気づかなかったのか?

他人様の料理なんですから、指摘するにも失礼じゃないですか。

それに、味はああでしたけど身体にいいのは本当じゃありませんか、あたしには見たら分かりますからね。

なんならウチもハイビスカスちゃんの製法でレシピを変えてみようかしら……
(ツェルニーが立ち去る)

ちょっと先生、冗談ですよ、席を立たないでください――
(アンダンテが戻ってくる)

ただいま戻りましたー!

お帰りなさい、ご飯は食べました?よかったら――

――いえありがとうございます!外でもう食べちゃったんで!

えー、アンダンテさんの分まで残しておいたのに……

でもありがとうございます、私の代わりに色々と調査してくれて。ほら、今はしばらく外には出歩けない身ですから。

いいんですよ、私もアーベントロートの一員ですから。好転する異常現象を解明できれば、こっちも万々歳ですし。

サンプルは揃いましたし、これからは集めたデータの分析作業ですね……

コンサート会場の仕上がり具合だが、想像以上によくできているな。

恐縮です。

なんせツェルニー殿の告別コンサートですからね、豪華に仕上げて当然ですよ。

音楽機材のことを言っているんだ。

あっ、そうでしたか……まあ、ゲルトルート様が機材方面に莫大なコストをかけて頂けましたからね。こちらも会場と機材に関するツェルニー殿と奏者たちのご意見を可能な限り満たしておきましたので、ご満足頂けるかと。

では、一通りチェックを済ませたことですし……

休憩室のチェックはまだだが?

そうだ休憩室、これは失礼しました。

ではこちらへどうぞ。

あれ、おかしいな、ドアが開きませんね。

中に人がいるんじゃないのか?

ええ、中に人がございますよ。

ゲルトルート様ですか?

今回のコンサートはとても重要な行事だからね、こうして直々に会場の取り付けを検査しにきたのよ。

ゲルトルート様のお手を煩わせてしまって、誠に申し訳ございません!こちらの配慮が至らないばかりに……

構わないわ。

ツェルニー殿もそちらのいらっしゃるのですか?声が聞こえましたよ。

ああ、私だ。中で何をしている?

休憩室内部の取り付けをチェックしてまして。

ツェルニー殿と奏者たちの大まかな要求は満たしておりますけど、私からすればまだまだ杜撰な箇所が多々ありましてね。

(ため息)

鏡には水垢、タンスの取っ手には錆がついていて、絨毯からは何箇所も小さな穴が見つかっております。些細なことではありますけれど……

今回のコンサートにそんな大がかりな内装は必要ない、物は使えるものでいい、最初からそう言ったではないか。

それはなりません。私はあなたのスポンサーです、あなたとあなたの手下たちがきちんと演奏して頂かなければ、こちらの名声にも影響が出てしまいます。

何度言えば分かるのだ、彼らは自ら私のコンサートに志願した奏者たちだ、私の手下などではない!

ツェルニー殿が招待した方たちからすれば、どれも同じですよ。

……もう好きにしろ。

今ドアを開けますので、ご自身からも中身のチェックをお願い致します。

いや結構だ、もう君が見てくれているだろ。

本当にチェックしなくてもよろしいのですか?

内装など微塵も興味はない。いい加減君も本音を言ったらどうなのだ?

そちらだって私の顔を見たくはないのだろう。お互いほどほどの距離感でいたほうが、今後の関係のためにもなる、違うか?

(小声)ツェルニー殿、少々お言葉遣いが……

いい、私はずっと彼女とこうして話してきたのだ。

ではお構いなく。こちらで引き続きこの部屋のチェックを済ませておきますので。

私はただ当日のコンサートで心置きなく演奏して頂くために、こういった雑務をこなしているだけですよ。決して邪魔立てするつもりではございませんとも。