
いない?

ええ、すでに出かけてからしばらく経ちまして……

どちらに出かけられたのですか?

ガス中毒を起こした感染者のために、アーベントロートの外にある病院と交渉しに行ったんじゃないかしら……
(ツェルニーが戻ってくる)

先生!お帰りになったのですね!どうでしたか、病院のほうは――

なんとか一番大きい二軒が受け入れてくれるように契約を結んだが、ほかは……まるで話を聞いてくれなかった。

そんな!ロドスと提携を結んでいるのに!

ああ、君もいたのか。

無駄だ。ロドスと提携を結んだ契約内容は鉱石病が起こした症状の対応に限る、ガス中毒で倒れた感染者を受け入れない理由など向こうからすれば余りあるほどだ。

ともあれ、二軒も交渉できたのですから、収容するには十分のはずですよね?

フンッ、ああ十分さ!私が持ってるすべての版権を担保にしたんだからな、ヤツらの背後にいる財団なら当然それで十分だと思うさ!

まさか――ご自分の版権をあの財団に譲渡したんですか!?

そうだ、昔所持していた版権だけはない、明日のコンサートで録音したパブリッシュも一緒にな。

これで私はまたゼロから……ゴホッ、ゴホッ。

ゴホッ……ゴホッ!
(ツェルニーが倒れる)

先生、どうされましたか!?先生!

目が覚めました?

うっ……ああ。

ツェルニーさん、出かける際に防護措置をしませんでしたね?

あのオリジムシが出す臭気の対策のことか?一分一秒でもはやく病院との契約を結ばねばならなかったのだ、そんなこと考える暇もないさ。

もう今日みたいな無鉄砲な行動は控えてくださいね。

それを聞くに、どうやら私はまだこの世に居続けられるみたいだな?

……私がいますから。

ふむ、いざ体調を崩すと、医者も少しは目障りではなくなるものだな。

感謝するよ、ハイビスカス殿。

然るべきことをしたまでですよ。

それよりもエーベンホルツ、さっきから黙ってどうしたのだ?まさかアーベントロートにいては身の危険を覚えたから、逃げるつもりでいるのか?

言っておくが、ここまで来た以上、コンサートは何があっても開催させてもらうぞ、逃げたら承知しないからな。

逃げたら承知しない……

私は……

(小声)今の容態じゃ受け入れられないんじゃないのか?

(小声)少しは様子を見ておきましょう……

どうやら辞退するつもりはないらしいな?

辞退するつもりはない……

エーベンホルツ、君はいざ緊張すると他人の言葉を繰り返してしまう癖がある、まあ最初から分かっていたことだが。

言いたいことがあるのなら直に言いたまえ。むしろ見てみたいものだよ、こんな体たらくになってしまった私にまだ受け入れられないものがあるのかどうかをな。

ゴホッ――ゴホッゴホッ!

ツェルニーさん、お水を!
(ハイビスカスがコップに水を入れる)

ゴホッゴホッ――ゲルトルートめ!
(ツェルニーがコップを叩き割る)

それに君もだ、一体なにを考えている!あんな計画に賛同しただなんて!君に見込みを感じていた私が愚かだったよ、陰謀に加わって、音楽であんなものを表現しようなどと!

そんなつもりは――

ないとでも言いたいのか?ならなぜ最初からあのイカレた女について行った!

ツェルニー殿、確か以前、たとえ骨に刻み込むほどの深い憎悪を抱いていたとしても、必ず適切な技法でそれを表現できると言っていたはずだが、あれも純粋な音楽の一部だ。

確かに言ったが、それがどうした?それを言い出す君は何を表現しようというのだ?

……今思うと、あの頃の私は確かにどうかしていた、滑稽にすら思うよ。

だが私はただ、がむしゃらに自由を追い求めていただけだ。

――自由、自由を望んでいたのだか?

そうだ。

ならばそれを音楽で表現しようなどと、君にはまだ十年は早い!

それは自分でも重々承知している、だから貴殿のところにやって来たのだ。

……フンッ。

ならさっさと向かうぞ。

向かうって、どこに行くんですか?

決まっているだろ、ザールだ。

以前ゲルトルートはくだらん言い訳で私を休憩室に入らせないようにしていた、その彼女が中でどんな小細工をしたか見てみようじゃないか。

しかしお身体のほうはまだ……

ここで彼とあの女に憤死するぐらいなら、ヤツらがなにを企んでいるかこの目で見定めてやったほうがまだ身体にいい。

エーベンホルツさん、ゲルトルートは休憩室になにか小細工をしたと言いますけど、本人から何か教えられていませんか?

いや――

教える必要はない。

なにか見つかったのですか?

これのどこが小細工なんだ……

そこにあるスピーカーだが、明らかに中をバラされた痕跡が残っている。それとあそこの蓄音機もそうだ、ネジすら締め戻していない――フッ、ドライバーすら片付けられていないときた。

流石は貴族様々だな、こんな後片付けもズボラだとは、思わず笑ってしまうほどだよ。

ハイビスカス殿、向こうにある蓄音機を持ってきてくれないか、ヤツがアーム以外に何を仕掛けたか確認したい。

……

見てみろ。

蓄音機の中にピックアップを仕込んでいる?これでは電子回路同士が邪魔をしてまとも作動できるはずが……

針はすでに抜かれている、これはもはやただのメガホンだ。

あそこにあるスピーカーもそうだ、中身の回路が丸ごと取り換えられてメガホンに改造されている……休憩室にこんな大量のメガホンを設置して何をしようとしているのだ?

それに関してはまったく聞かされていない。

なら舞台に上がって適当に吹いてくれないか?このメガホンたちの目的を知るにはそれが一番手っ取り早い。
(フルートが鳴る音)

何もおかしな点はなさそうですが……?

ああ、同感だ。

今度は少しだけアーツを展開するようエーベンホルツに伝えてくれ……眠気を覚ます一番簡単なヤツをだ、必ず出力を最弱にするよう注意するんだぞ。
(先程よりも大きなフルートが鳴る音)

!!

ゴホッ、ゴホッゴホッ――

ツェルニー殿!

ゴフッ……

心配はいらない……少し、動悸が激しくなっただけだ……

エーベンホルツ、ここでもう一度先ほどのアーツを展開してくれ、音量には気を付けるんだぞ。
(フルートの音が反響する)

今のは……反響音ですか?

いや、外からだ。

しかしエーベンホルツさんが吹いたフルートの音ですよ?
ツェルニーは口を開くも、声は出なかった。
彼は分かってしまったからだ。
そんなハイビスカスは彼の面持ちから、興奮でもなく、怒りでもなく、恐怖を見て取れた。
純粋なる恐怖を。

……

ゲルトルートはこの休憩室を、いや、このアーベントロートザール全体を、巨大なメガホン兼アーツの増幅装置に改造したんだ。

音楽のアーツを検知しない限り、このメガホンたちが稼働することはないが……

いざ舞台で音のアーツを出せば、このメガホンたちが自動的にそれを検知し……アーツは指数関数的に増幅され、アーベントロートザールの外まで会場内の音が拡散されていく……

それは漏れ出したヴェルトリッヒ・メロディエンとその共鳴とて……例外ではない。

ッ!?

(呆然とした眼差し)

つまり、音が届く範囲内の区域全体にある源石が急激に活性化し、ヴィシェハイムにいる全員が、ほぼ例外なく、感染してしまうと……

すでに感染してしまった人たちは急激に症状が悪化し、遺体も速やかに崩壊してしまい、大量の活性源石の粉塵が辺りにばらまかれ……

そしてここら一帯は感染地域になってしまい、ヴィシェハイムは完全に外界からシャットアウトされてしまう――
(何者かが近寄ってくる)

お話をされてる最中にお邪魔してしまい申し訳ございませんが、一点だけ訂正して頂きたい箇所がございまして。

こんなにも美しい夜に、なぜヴィシェハイム全域に目覚ましのようなアーツを放たなければならないのですか?よく不眠に悩まされる私としては嬉しい話なのですが……

すみません、こっちはいま大事な話をしてるところですので……

ゲルトルート!?

Guten Abend、ツェルニー殿。

それとそちらがロドスのオペレーターであるハイビスカス殿でいらっしゃいますね?お会いできて光栄です。

何やらそちらでショックを受けたような青年もいらっしゃるようですが……差し支えなければ私の拙宅までお越し頂き、お飲み物を飲まれた後に、一晩ぐっすりと眠られてから、翌日にまた心機一転されては如何です?

げ――ゲルトルート……貴様よくも――

私が、なんです?まさか私が貴方様を騙し、危うく町の半分の人々を死滅させる殺人鬼に仕立てられそうになった、とでも言いたいのですか?

そうではないでしょう。

貴方様が本当に怒るべきことは、私が貴方様を弄び、ご自分ではまったく察知できず、危うく私が貴方様の命を屠っていたかもしれないことにございますよ、違いますか?

もう少し貴族としての気迫を出してくださいな、ウルティカ伯。さあ、仰りたいことがあれば、何なりと。

……

彼女の挑発にノってはいけません、エーベンホルツさん。

代わりに私が一つお尋ねします、一体なんの目的でここに現れたのですか?

あなた方に起こされてしまったからに決まっているではありませんか、ほかに何があると?

では、先ほどの拡散された音のアーツを聞いて、メガホンを設置するも失敗が露呈してしまったことに気付いたため、ここへやって来たということですね?

ご名答。

実に残念です、あと一日経てば、私の計画は円満に終えたはずなのに。

こういう時は真っ先に逃げるのが上策なのではないのですか?まさか私たちを倒せばまた計画を継続できると?

もはやエーベンホルツさんがあなたに手を貸すことはなくなりました、いくらコンサートを利用して陰謀を起こそうとしても、もう実現は不可能です!

そうですか?私はそうは思いませんが。

エーベンホルツとクライデがいる限り、私の計画に失敗などはありませんよ。

あなた方を片付ければ、私は引き続きウルティカ伯との直談判ができるようになる。ウルティカ伯は貴族のこういった値引き交渉のことをよくご存じでおられますからね、きっと考えを改めてくれることでしょう。

なにより、あなた方が私に勝てるとは到底思えませんので。

二人ともウルティカ伯と同程度の実力があるのでしたら、確かに私だけでは勝ち目はないでしょう、しかしあなた方三人では、フフッ……いや、これは失敬。

……それはどうでしょうね。

ウルティカ伯、ここで両者ともに一歩退くのは如何です?

一歩退くだと?

ええ、ここにあるメガホンを取り外す代わりに、貴方様には引き続き私に協力して頂きたいかと。そうすればクライデ殿一人の死だけで犠牲は済みます、どうせ彼はもう数日ももたない命ですから。

それに応えてやれると思うか。

それは残念です、ウルティカ伯。今の貴方様は勢いまかせで、最悪な選択をしてしまったものですよ。

それが本心だと言うのであれば致し方ありません、本当に残念です――

黙れ――

一生後悔するでしょうね。

黙れェッ!!

となれば、ここで決着をつけましょう。

もし私が勝ったら、アーベントロートの守護者を自称する者には黙って頂き、ウルティカ伯と談判させてもらいます。

もしあなた方が勝ったら、もはやこちらに言い分もありません、負けは負けですからね。

さあ、ロッドを抜いてください、ウルティカ伯。まさかその二人の感染者に代わりをやらせるおつもりではありませんよね?

言ったはずです、そんな挑発をしても無駄だと。

いいや邪魔するな、ハイビスカス、今日こそは必ずこいつを――

よく考えてくださいエーベンホルツさん、ここがどこで何を仕掛けられているのか分かってるんですか!

少しもアーツを使わないのであれば結構ですが、もしそうじゃなかったら感染が広がる前にヴィシェハイム全域にいる住民たちが狂ってしまいますよ!

やれやれ、ハイビスカス殿はよく頭が冴えてらっしゃる、実に厄介だ。

仕方ない、見破られてしまったのなら、大人しく外で雌雄を決しましょう。

先に言っておきますが、逃げれば勝ちだとは思わないように。私個人は無関係な人に危害を加えるつもりはありませんが、部下に関してはその限りではございませんので。

そんな大所帯を連れていることから、さぞ自信がないようだな。

やっと聞き覚えのある当てこすりを仰ってくださいましたね、感動して涙が零れてしまいそうなほどですよ。

どうやら本調子に戻ったようですね、ウルティカ伯?

無論だ、ゲルトルート殿。

では外へ出ましょう、痛快に一戦交わろうではありませんか。

ウルティカにいた頃はまったくこういったちゃんばらごっこを遊べなかったものですから、きっと物寂しいことでしょう。

ほかに遊び相手がいたら、私だって貴殿のようなおば様とは遊びたくもなかったさ。

なにせ貴殿は自分の兄とも爵位を争ったことがないのだろう?兄が死んでようやくその位に就けたとなれば、きっとロクにケンカしても兄に負かされてばかりだったはずだな。

大変素晴らしい口弁でございます、ますます嫌いになってきましたよ。

フッ、それはこっちのセリフだ。