「やあ、マリー。最後にお前に手紙を送ったのはいつぶりだろうな?すまなかった、あの件以来、俺はずっとお前と話す勇気を持てなかった。
昨日は一睡もできなかったよ。頭ん中はしっちゃかめっちゃかで、いつも小さい頃の記憶ばかりが思い浮かべる。
お前が15歳になった誕生日のあの日、一緒にセントラル区画にあるあの大法官の彫像の肩の上に登ったことをまだ憶えているよ。
それでお前は、これは違法行為だから、お前が警察になった際はいつでも俺をしょっ引いてやれるって、冗談を交えて話してくれたな。
そんで俺は……なんて言ったっけか?
“誰もが公正なる正義に守られる権利はある”って言ったっけな。
あの頃の俺は、きっと数年後自分がどこにいるのかすら想像していなかっただろう。
文明ってのは脆いものだ。移動都市から出れば、ヒトも獣もあんまり区別がつかなくなる。
今の俺は、もうすでに公正が如何なるものかすら分からなくなってしまった。毎日俺の脳みそを占めてるのはどうやって生きていくかだけ。
そうさ、俺は過去の俺とお前が一番毛嫌いしていた人間になっちまったんだ。
(大量の線を引いて消した跡)
俺には、まだ文明の抱擁に戻れるチャンスはあるのだろうか?過去の自分に戻れるチャンスはあるのだろうか?
そう言えば、あと一週間でお前の誕生日だったな。こっちはどれだけお前にサプライズをしてやりたいものか、そんなことお前には知る由もないだろう。
(大量の空白の後に書き殴られた筆跡が続く)
あいつらは俺たちを使って危険な実験をしようとしているんだ。でも俺にできることはもう、どうにかして生き残ることしかない。
(矢の飛ぶ音)
た、隊長、俺の撃った矢が――
……空中で止まった?
――
ドロシーと各計測機器を狙って撃ち出された矢は、まるで見えない壁に阻まれたかのように飛んではいかなかった。
奇妙なことに、弾かれることもなかったのだ。
まるで無数の見えざる手がこの鋭利な鉄器を優しく掌で包み込んだかのように。
ドロシーが腕を伸ばし、指先で軽くそのうちの一本の矢に触れえる。
矢からはカチンと軽やかな音が奏でられた。
(金属音)
伏せろ!
隊長、これは一体どういう……
一様に揃った矢が地面に落ちては甲高い金属音が伝わってくる。
矢は残らず地面へ落ちたが、矢のすべてが地面に落ちたわけではない。どの矢も矢尻だけが消えていて、そこにはキレイな切断面だけが取り残されていた。
いや、矢尻は消えたのではない。
エレナ、さっきの音、あなたも聞こえた?
あれは……
あれは金属が激しい振動を起こした時に出る音だよ。
つまり、矢尻は振動で砕けてしまったんだ。
あれがフランクス主任のアーツ……なんて強力なの。
いや、全部がアーツによるものじゃないよ。
彼女はオリジニウムアーツ応用分野のプロフェッショナルだ、そういうテクノロジーを使ったんだよ。
……あれじゃあ、開拓者たちは彼女に傷を付けられそうにないね。
――
そうだね。彼女を心配するよりも、もっと心配したほうがいいのは……
痛み……
ジョイスを守ってあげて、まだまだ状態は良くないから。
サニーたちは……
……火炎瓶を使え!
全部だ、全部使えんだ!
一か所に集中して投げるな、辺りにばら撒くんだ!
――
(奇妙な形をした物体が襲いかかる)
がはッ……アがあああ!
(開拓隊隊員が倒れる)
どうして……どうして言うことを聞いてくれないの?
あなたたちが傷付くところなんて見たくないのに……
その言葉……お前に騙されたほかの連中にかけてやったらどうなんだ?
騙してなんかないわよ。
彼らなら無事よ……みんな無事だから。
実験が成功すれば、彼らはもう危険な荒野に足を踏み入れなくて済むようになるの。
あなただってそれを願ってるんでしょ、サニーさん?
……
――
(奇妙な形をした物体が襲いかかる)
隊長、危ない!
(開拓隊隊員がサニーを突き飛ばし、奇妙な形をした物体に襲われ倒れる)
サム……!
隊長……ハァ……サニー、逃げろ……
みんなを連れて、ここから逃げろ……
荒野に……この大企業連中が……追ってこれないところまで……
荒野……
そうさ、俺たちは……開拓者だ。
フッ……へへ!アイツらは荒野を恐れるが、俺たちは……違うだろ!
……
逃げるのか?
ここからコイツらに背中を向け、ほかの仲間を見捨てて、答えを諦めるのか?
そうすれば生きていけるだろう。生きることこそが、俺の唯一の望みじゃないか?
(回想)
おーいサニー、なに書いてるんだ……手紙?はは~、さては市内にお前の手紙を待っている想い人がいるな?へッ、この幸せモンが。
この手紙が……証拠になるかもしれないから書いてるんだ。
証拠って?
外にいる人たちに俺たちの境遇を知ってもらうための。
ここに来たのは、ディックたちを助けるためだけかと思ってたよ。
万が一失敗したらどうするんだ?
それに備えて、俺は何かしらこの世に残しておきたいんだよ。なあサム、俺はな、俺たちが全員くたばってもほかの連中に知っておいてほしいんだよ、俺たちがかつて藻掻いてきた爪痕を。
(回想終了)
生きたいさ。
他にいる全員に俺の叫び声を届けてやりたいさ。
なんでいつもいつも……自分らのチャンスなのに、お前らからそれを貰い受けるのを待たされなきゃならねえんだ?
そんなの、不公平じゃないか。
俺は地面に落ちてる一本の矢を拾う。
矢尻はとっくに砕けてなくなっていた。だが構わない、俺にはまだ手が残ってる。
鉱石病でどれだけの悪運を浴びせられたことか。だが唯一、おかげで少しは力を取り戻せた。
凄腕の連中からすれば微々たるものにしかならないかもしれないが、この矢を二つに折ることぐらいの力は残ってる。
鋭利な断面だって充分武器になり得るさ。目先にいるコイツらを倒し、俺を縛り付ける桎梏をさらに強くしてくれるからな。
それ以上近づかないで。
ッ……
折れた矢が俺の言うことを聞かなくなり、続いてそれは俺の手にも及んだ。
目に見えない巨大な力が俺の腕を押さえつけ、俺の足取りを止めてしまった。
本当は私の研究をあなたたちには向けたくなかった。
最初はあなたたちが荒野にいる獣を対処しやすくするために、険しい地形を乗り越え、迫りくる天災から生存のチャンスを掴むために設計してあげたはずなのに……
あなたたちを守るために作ったはずなのに、どうしてッ!
守る……だと……
勝手なことを言うな、俺たちの断りは貰ってるのかよ?
一歩一歩、前へ進んでいく。押さえつけられるほど、俺は前へ進んでいく。
矢の断面が掌を掻っ切って、血が絶え間なく流れ出してくる。
もう諦めて、ね?お願いだから。
フッ……はは!
イヤなこった。
それが俺の答えだ。
基地のほうはどうなってる?
警備課から入った最新状況によれば、今のところ誰も基地から出てきていないと。
……計画通りであれば、ドロシーの“セントラル”は完成してるはずだな。
エレナからは何か届いてるか?
いえ、何も。
最後にもらった通信の時点では、彼女はまだ監視所に到達しておらず、警備課の人員とも合流できていません。
……
(バイブ音)
君は先に下がっていろ、あとで一番新しく生産された伝達物質を用意しておいてくれ。
どれくらい必要で?
三分の一だ。
(無線音)
ライン生命に残された時間はもうないぞ。
計画なら順調ですよ、大佐殿。あと一歩のところです。
こっちはもうこれ以上待ってられん。
ヴィクトリアの政変の余波は今でも世界中の国家に影響をもたらしている、我々の味方も敵対相手も事態に備えて用意してるところだ。
あの兵器のことだが――一部の政治団体が握ってる可能性が極めて高い。
もし我々の都市がヤツらに先制攻撃されようものなら、瞬く間にクルビアが100年もかけて積み上げてきた努力が水の泡となる。
国は再び暗雲の陰りに遮られ、ほかの国々の抑圧を受けることだろう。
ゆえに我々はヤツらよりもさらに進んだテクノロジー……物理的な距離を無視し、精確に我々の兵器を各地へ送り届けるテクノロジーが必要になると。
そうだ、だからこそクルビアは“ナビゲーション”が必要なのだ。
君は賢い、クルーニー君。それに一般的な賢い人間よりもリアリストだ。
今回の取引が完了した暁には、またライン生命の新たな総括とさらなる取引を交わせることを期待しているよ。
こちらこそ、大佐殿。あなた以上に期待しておりますとも。
(無線が切れる)
もっとラボから試薬を持ってくるように伝えろ。
ああそうだ、三分の一じゃない、全部だ。
(エレナがアーツを放つ)
くっ……中々相手がしづらい連中だね……
――
(エレナがアーツを放つ)
ここに来るまでずっと見てきたから分かると思うけど、私のアーツはグレイのそれと違って実用的じゃないんだから!
うん、何度も検証してきたから分かるよ。あの液体は非常に破壊しづらい構造をしている。
それともっと悪いニュースがあるよ。
私たちの頭上……この実験区域全体に、あれと同じ物質がもっとたくさん貯め込まれている……その総体積は今目の前にあるアレの一万倍以上だって、私言ったっけ?
……できればもっと早くそれを言ってほしかったんだけど。
あれは実験で生まれた副産物だって言ってたよね?じゃあその実験のメインとなる目的はなんなの?
伝達系アーツユニットに代わるテクノロジーの開発だよ。
エネルギー課の担当は今見てるようにあの特殊な物質の開発だよ。アレは僅かな振動でも敏感に反応するから……ニューロンの電気信号をキャッチしてコーディングする媒介に充てることができる。
通称“伝達物質”、私たちはそう呼んでる。
理想的な状況になれば、アーツ適正が一般的な人でも優秀な術師になることができるんだ……
だから……副産物であるコイツらも……今みたいに脅威になれるって……わけ!
(エレナがアーツを放つ)
オリヴィア、戦いながら学術の説明なんてできっこないよ!
時々私もジョイスの頭ん中に入ったデバイスが羨ましくなるよ。そうすれば、私が頭の中で念じれば、すぐにキミはそれを脳内でキャッチしてくれるでしょ?
……そっか、じゃあ質問を変えるね。
どうすればその実験を止められるの?
……
あなたがこの実験にたくさんの心血を注いできたのは分かるよ、あなたとドロシーの仲のこともね、でも……
もう分かった分かった、それ以上言わないで!姉さんを思い出しちゃうじゃん、オリヴィア!
確かに私にとってこのプロジェクトはとても大事なものだよ、でも今はドロシーの様子が明らかにおかしい……私がそんなことも分別できない人間に見える?
だからちょっとだけ……その……考えさせて。
私だってここにはめったに来たことがないんだからね。こんなことが起こるのならもっとドロシーのところに通えばよかった……
……術者だ。
え?
エレナ、仮に私たちの目の前にあるアレがアーツの被造物だったとすれば、それを作り出した術者はどこにいると思う?
ドロシーがアイツらを作り出したとは思えない、アイツらは彼女の周りを浮いてるだけにしか見えないから。
じゃあ、もしかしてあの消えていった開拓者たちなんじゃ……
このラボの中で、ドロシーが一番私たちに近づかせたくない場所……
エレナ、ドロシーの後ろを――そこにアーツを撃って!
最大出力でいいんだね?
(エレナがアーツを放つ)
燦燦と煌めく星の光が枝垂れる。ほんの僅かな間しかなかったが、それでも全員の視線を虜にするには充分だった。
――あの銀色の奇妙な形をした物体たちとて例外ではない。ヤツらに“目”があればの話ではあるが。
――
ダメ、そっちに行っちゃ!
エレナ、そんなことしないで!
た、立てない……なにが起こったの?
手も足も自分のものじゃないような……うわあああ!計測機器がああああ!一体あれだけでいくらすると思ってんの!いや、そんなことより、どこかに掴まないと……
私たちだけじゃないよ、開拓者たちまで……
なんだ、地震か?
踏ん張るんだ!
星……星々……
ジョイスが……オリヴィア、私もう……ジョイスを支えてやれない……
手足の感覚が……もう……!
そ、そうだ!アーツで……!
(エレナがアーツを放つ)
自分をビリってさせるのって本当に有効だったんだね、少しは手足の感覚が戻ったかな……
……ビリっと?
そうか、一瞬だけど、電流はアーツの効果を遮る……
さっき……その研究の基礎となる要素は振動だって言ってたよね?
うん……
砂粒だ。
ラボのそこら辺に砂が撒かれてる、私たちの身体にも……あまりにも小さいから気付けなかったんだ。
エレナ、あなたはそのまま被験者を探して!
ドロシーは私が止める!
フェルディナントさん、試薬のパッケージングが完了しました。
よし、359号基地に向かうぞ。
フェルディナントさんが行かれるんですか?
説明不足だったか?
いえ、ただ……向こうはもう充分人員が充てられていると思うので、必要はないかと……
なぜ画期的な研究ほど実験やテストを繰り返す必要があるのか、答えてみろ。
それはミスやエラーを出さないために……
肝心な結果を必ず信頼性のあるものにするためだからだ。
それはつまり、フランクス主任は……信頼に置けないと?
ドロシーか?彼女なら感情を糧にして、驚異的な成果を出してくれているさ。
だがその豊富な感情は、時として彼女の最大の弱点にもなり得る。
しかしまだエレナがあちらに充てられておりますが……
……彼女はまだまだ未熟さ、もっともっと成長してほしいものだよ。
エレナの成果への野心は強い、だがまだ何事も経験不足だ。私のアドバイスがなければ、最適な決断すら下せないほどにな。
このライン生命の中で、一番頼りになれる人間はこの私だけだよ、残念に思うかもしれないがね。
……
サイレンス先生……
ゴホッ……ゴホゴホッ、こんにちは、フランクス主任。
どうやって私のところまで来れたの?振動の膜があなたの四肢のニューロン信号を断ち切ったはずなのに。
私は医者です、主任よりも人体の構造には少しだけ詳しいので。
ごめんなさい、色々と辛い思いをさせちゃって……
でも、もう少しで終わるから。実験が成功すれば、すぐにこの麻痺状態を解除してあげるからね。
……その後はどうするんですか?
実験が成功した後、この時にできた亀裂を戻すことはできるんですか?
あそこで抗ってる人たちを見てやってください。
みんな……諦めるな!
俺の手を……掴め!
先のことしか考えていない時、人はどうしても目の前で起こってることを軽視しがちです。
そういう人は、ライン生命でたくさん見てきました。
でもフランクス主任……ドロシーさん、あなたはそんな人たちとは違う。
サニーとほか開拓者たちを見た時、あなたは涙を浮かばせていたから。
……
彼らの苦しみなら理解できるわ。
でもね……一時的な苦痛と、永遠に消えない苦痛、どっちのほうが耐えられないと思う?
サイレンス先生、彼らの人生は沼に嵌ってしまっているのよ。
私はそんな彼らを引っ張り出してあげたい。私やあなたが掴んだように、彼らにもチャンスを掴ませてあげたいの――
人は溺れてしまった時、ナニかに掴まれたと思ったら、余計に藻掻いてしまうことがあるわ。
でもそれって、掴んでくれている人を拒んでいることなのかしら?
水で口が塞がれても、私にはその人たちの助けを求める声が聞こえてくるの。だから自分で手を伸ばした以上、あと少しでその人たちを掴めそうになった時に手を引っ込むことは絶対にしたくない!
でも、もう止めなきゃ。
(サイレンスがドローンを飛ばす)
……それはあなたのドローン?いつの間に……
あなたと話してる間に配置させました。
ライン生命を出た後、私は色んな場所に行ってきました。この砂まみれのラボよりもさらに劣悪な環境にも足を踏み入れたことがあるんです。
常に医療器具を清潔に保つのは軍医にとして基本中の基本ですから。
だとしても……
ドロシー……やっぱり諦めないかぁ。キミも相当な石頭だね……
(手の痺れが酷くなってきた。)
(もう一回ビリっといっとく?いやいや、もう一回ビリってしたら腕の神経が死んじゃうよ……)
……光。
光?私のアーツのこと?前まで私の魔術ショーにはそんな興味を示さなかったのにどうしたの、ジョイス?
星……眩しい……
彼方に……
どこ見てるの……ねえジョイス、キミは今一体ナニが見えてるの?
いや、見えてるとかじゃなくて……
まさか……私やオリヴィアでも感じ取れないナニかを感じ取れているの?
家屋が……
光の中に。
え?
ちょっ……動いた?
いや、キミは最初から意識を失っていたし……振動の膜の影響も受けなかったからそりゃ動けるよね。
その指を差してる方向って……
……銀色の物体が集まってる方向だ。
そうか、消えた人たちの行方が分かっちゃったかも。
(エレナがアーツを放つ)
(扉の開く音)
おい見ろ、あそこだ。扉が開いたぞ――
あれは……
そんな……扉が、開いた?
ダメ、気を付けて――
振動がピタリと止んだ。
銀色の物体も一瞬にしてバラバラになり、まったく脅威にもならないただの液体と化した。
ドロシーも動きを止める。サイレンスのドローンに後ろ首を押さえつけられているが、抵抗はしなかった。
彼女はただ、その扉の奥を見つめていた。
あれこそが誓って守り抜こうとした、彼女が背負いし己と大勢の人々の願いそのものであったのだ。