巨大な機械が暗闇の中で沈黙を保っている。
交わるケーブルはまるで伸び放題な植物の蔓のように、その節々にずっしりと蕾を抱えている。
その蕾はどれも微かに光を放つ電極装置だった。下に繋がれている生命体から今まさに養分を吸い取っている。
失踪した開拓者たちの頭にはどれも電極装置が装着されていて、一人ひとりが並んでいた。
今でも彼ら彼女らの呼吸は正常だが、外で何が起こってるのかはまるで知る由もない。
しかしこの実験室の中で一番目立っていたのは、すべてのケーブルの中を流れ、そして中央に設置されている計測機器に集められていた銀色の液体だった。
異様に横たわっている数十名もいる被験者よりも、“生きている”という言葉が相応しいのはむしろその計測機器のほうであった。
これは一体……
……ヘレン?
どうして……
ディック、ゲール、ソフィア!
全員揃ってる……
こいつらを解放しないと。
……
静かにしててね?もしかしたらビックリさせちゃうかもしれないから。
まだ片付けなきゃならない問題があるから、もう少しだけ……もう少しだけ待ってね?大丈夫、きっと大丈夫、私が約束するから。
……この人たちに話しかけているのですか?聞こえてはいないはずですよ。
それにこのバイタル……昏睡状態に陥ったジョイスのと同じだ。
この電極装置と銀色の液体って……もしかして彼らの中枢神経と繋がってるのですか?
ねえドロシー、どうして……ヘレンまでここにいるの?
フェルディナントの審査に通過できない不安に駆られてた彼女に、私から提案してあげたの。
提案って……被験者になること?
今朝はまだ私たちと一緒に楽しそうに会話していたのに、なんで今はただの植物人間みたいにここに寝かされているのよ……
彼女を助けてあげたかったの、エレナ。
彼女、とっても苦しんでたわ。私には分かる……ほかの人だってみんな苦しんでた。
ヘレンはね、ローンのせいで家庭が崩壊しかけてるの。今にも崩れてしまいそうなほどに。
毎日ローンに怯えていたわ……もしフェルディナントにクビにされたら、自殺を考えてしまうほどだったのよ。
だからもし……私がここで実験の手を止めてしまえば、彼女らは最悪の運命をまた辿ることになるの。
そんな惨いことなんて、私にはできないわよ。
……じゃねえ。
身勝手なことを言うんじゃねえ。さもないと、次の瞬間にお前の脳天をぶち抜くぞ。
サニーさん、目の前に起った事象と私を理解していないから、そんなに憤っているのね。
でもあなたのその気持ち、私にも理解るわ。
黙れぇ!
理解してるから、俺たちに新しいチャンスを“授けよう”ってか?俺たちに新しい道を、天災や獣に殺されない新しい道を用意して――
この実験室の中で生きてる屍になるのがチャンスだって、お前はそれが言いたいのかよ!?
ハッ、そりゃご親切なこった!
なぜ……なぜ同じく鉱石病をもらっても、それでもまだ働ける人もいれば、故郷を去らなければならない人もいるのか……サニーさん、考えたことはない?
お前に言われるまでもない。
病院から診断が出されたその翌日、俺のもとに保険の契約書と解雇通知書が同時に届いた。
保険契約書のほうは569ページもあったが、解雇通知書はたった一枚の薄っぺらい紙だけだった。
自分はまだこの巨額の保険料を会社に払ってもらえるぐらいの価値があると証明しない限り、どこの企業も感染者なんぞを雇ってはくれないさ――
……
……
それが不公平だとは……思わない?
……言うまでもないだろ。
なら、あなたも私を理解してくれるはずよ。
……サイレンスとの連絡が取れない、グレイもだ。
基地の通信網が遮断されたんだろうな。
フェルディ……ナント。
ラボを遮断したのはあくまで手段だ、目的ではない。
これからフェルディナントが359号基地で大きく動く可能性だってある。
ドクター、サイレンスたちが危ない。
今は基地内部の情報を入手できない……救援に向かうか?
・フィリオプシスなら……/
・……九号デバイスなら。
確かに、九号デバイスのデータ転送構造はほかの通常の通信とは原理が違う……だから一瞬でも通信が回復すれば、フィリオプシスが見た光景をこちらでも確認することができるな。
やってみる価値はありそうだ。今すぐフィリオプシスとリンクしてみよう、ドクター。
(回想)
……フランクスさん、本当にお一人で彼と会うおつもりですか?
はい、管理局の許可ならすでにもらっていますよ。
あのローキャン・ウィリアムズはイカレてると聞いております。残酷な人体実験を実行したため、百年余りの懲役刑も課せられているとか。
そうですね、私も以前に彼の講義を受けたことがあるので知っています。
ああいった科学者というのはどれもあんな風にクレイジーな人たちばかりなんでしょうか?オホン、失礼、あなたも科学者でしたね……けどあなたのような温厚な女性の方は、きっと彼らとは違うのでしょう。
分かってますよ、私に気を付けてほしいだけなんですよね?お心遣いに感謝します、気を付けますね。
ちなみに、そこにはどのくらい滞在する予定で?
一時間ほどですかね。必要と感じたら、来週もまたこの時間帯に向かうつもりです。
そんなに彼と話すことなんてあるんですか?向こうはそれほど取り合ってくれるような人間ではないはずなのに……
それはきっと……みんな彼から何かを奪ろうとしているからなんじゃないでしょうか?ただ私は、彼に手助けを求めているだけですので、きっとなんとかなりますよ。
誰だって平等のチャンスを獲得する権利はある、生まれついての才能や素質だけでその人の人生を決めつけるべきではない。
その才能あっての特権だと知った時、才能を持つ人はきっと他者の利益までをも奪い取り、そして公平を破壊していってしまうことでしょう。
そんな私は既得権益者側の人間ね、自分の“幸運”が恥ずかしく思ってしまうわ。
私はね、ただ泥水があなたたちを呑み込んでしまう前に……あなたたちを引っ張り出してあげたいだけなの……ディックさんもヘレンちゃんも、サニーさんも。
私がここまで頑張ってきたのは全部……いつかその幸運が才能ある人間だけを贔屓するのではなく、努力した人たち全員にも振り向いてもらうためなの。
……
今までずっと、色々と試してきて分かったことがあるわ。
個人個人の差に手を加えて強くしても、問題は解決しない。
だって生まれついて力を持つ人は、手を加えられたことによってさらに力を増していき、他者のチャンスまでをも奪っては独占し、新たな競争の道で他者と大きな差を生み出してしまうから。
だからもし本当の平等を得るために、私にできることといえば……
……個人の差を消すことだった?
意識を失ってた被験者たち……感情的な反応を見せるアーツの産物たち……そして彼らを結んでいるこの巨大な機械……
まさか……あなたのやってる実験って……
似たような実験は聞いたことがあります、けどあれは失敗作だって、狂った実験だったって……
……狂った?
本質が“狂ってる”テクノロジーなんて存在しないわ、テクノロジーとはあくまで異なる理想を実現するための手段なのよ。
私たちは誰であれ、生まれついての素質を無視したり忘れたりすることはできない、でも生涯それに苛まれる必要はないの。
私のテクノロジーにかかれば、誰もがより平等に互いを扱い、平等にこの土地と、空気と水を分かち合うことができる。
聳え立った山々に阻まれることもなくなるし、嵐に視線を遮られることもなくなる。
険しい道を歩むことも、肉親と離ればなれになることもなく、みんな自分の未来を目指すことができるわ。
こんなにも素晴らしい未来があるはずなのに……あなたたちはそれが見えていないの?
……私、最初からまったくの見当違いだったのかな?
一体、なんの実験なの……
エレナ、さっきまでずっとあの銀色の物体を操ってる術者を探してるって私言ったよね?
さっきまで、その術者はここに寝てる開拓者たち一人ひとりだと思ってたけど、間違いだった。
ここで寝てる人たちをひっくるめて、一つの術者だったんだ。
……いい目をしてるわね、サイレンス先生。
フランクス主任、あなたが描いてるその未来は……単なるあなた自身の理想に過ぎません。
私からすれば……そんなのまったく伐ものの情景に見えますよ。
アーツ適正が卓越な術師が一人いれば、容易くビル一棟を破壊することができる。三人いれば、街全体の生体反応を感知して支配することができる――
じゃあ数十人、さらには数百数千人も集まればどうなるでしょうか?
そうなれば、大地のどこに隠れようがその“目”からは逃れられなくなり、いくら堅牢な城塞でもおもちゃのように容易に捻り潰されることでしょう。
あなたが関心を寄せているこの人たちも、あなたが口にしてるお友だちも、このテクノロジーを利用しようとしてる人たちからすれば、永遠にただの実験体でしかありません。
失敗作……失敗作たちのほうはまだマシでしょうね。失敗作に興味を持つ人はいませんから、少なくとも生きるも死ぬのも自分たちで決められる。
一番不幸なのは、成功した“幸せ者”たちのほうですよ。
だって実験が成功すれば、彼らはもう問答無用で企業と政府の監視下でしか生きることができなくなるのですから。
オリヴィア……
キミがそんなに憤ってるところなんて、初めて見た。
サイレンスは己の怒りのせいによってか、脳内はガンガンと響き、過去の情景が次から次へと映し出されては、理性と素養を粉々にしていった。
確かにあなたなら彼らの運命を変えられるかもしれない、でもその対価を考えたことはあるの?彼らは永遠に自由を失い、自分の人生を失ってしまうんだよ!
……その場合は、私が彼らを守るわ。
自分の命を捧げ出したって構わない……
やっぱりここでお前を殺さないとダメみたいだ、じゃないとみんな無事じゃ済まされなくなる。
それがあなたの決断なのであれば……
私はそれを受け入れるわ。
サニー、落ち着いて!
フッ……俺なら落ち着いてるさ、ウビカ博士。
どんな時よりもな。
ドロシー・フランクス……お前の描いた未来は確かに人を惹きつけるものがある。
あとちょっとでお前のラボに足を踏み入れそうになった俺がそうだ……お前は知らないかもしれないが、俺は何度お前のところに行こうと思ったことか。
……どうして呼ばなかったの?
俺の未来は……結局は俺のものだからって思ったからだよ。
お前の言葉も、お前の態度も……俺に近づけば近づくほど、はっきりしたんだ……
やっぱりお前は俺たちを操ってるってな。
それは……
いい夢から逃れるのは……悪夢から逃れることよりも難しい。
きっとお前もそんな夢に囚われているんだろうな、フランクス主任。だがな、俺たちは現実を見なきゃならないんだ。
その点で言えばサイレンス先生の言ってることは正しい。こんな実験なんざ、最初から存在しちゃいけなかったんだよ。
この地はもう充分すぎるほどの狂気を育んできた。そんなイカレたアイデアなど、さっさと葬ってやったほうが世のためだ。
ここで俺たち全員が死んでも……自分がどんな惨い結末を受けることになっても……
二度とそんなことを再演させるわけにはいかない。
オリヴィア、サニーを止めて!
色々すれ違いは起こってるけど……でも、ドロシーは本当にただあの被験者たちを助けてあげたいだけなんだ。
止められたり、罰せられるべきかもしれないよ、でもこんな……彼女が愛した人たちに殺されるなんて……
……
サニーさん……
ジョイス?
……起きたんだね。
どうか、フランクス主任を傷つけることはおやめください。
ドクター、リンクが失敗した。
……359号基地内の状況は、もしかすればこちらが予想してるよりも酷いことになってるかもしれないぞ。
うぅん……
気分はどうだい?
支えててくれてありがとうね、ドクター。
やっと足の感覚が戻ってきたよ。
・359号基地の背後にいるのはライン生命だけじゃない。
・フェルディナントやもっと巨大なほかの勢力も手を加えている。
フェルディナントと手を組んでる相手か……サリアなら知ってるんじゃない?
]あなたがずっと追いかけ回してたそのパワーアーマーなんだけど、最先端テクノロジーを一番必要としてる人たちのところに渡っちゃうかもね。
その人たちと会ったんだな、証拠品は手に入ったか?
……今渡すね。
やっぱさっきの優しさはあたしの勘違いだったのかな?証拠が欲しいって言うから、こっちは命懸けでそれを手に入れたっていうのに。
――
ドクター、これまでの推察は全部正しかったようだ。
フェルディナントめ、もはや野心を隠すこともしなくなったか。
フェルディナントはこの実験と引き換えに……
ライン生命を乗っ取るつもりだよ。
まずはクリステンを探そう。彼女がフェルディナントの最優先目標だからね。
サリア、あたしが最後に送ったメッセージはそっちに届いてた?
……ライン生命内部の情報提供者と連絡してみたが、内部はいつも通り正常とのことだったが?
そりゃあ、みんなとっくに総括が表に顔を出さない事に慣れちゃってるからね。
フェルディナントは数年もの時間をかけて、少しずつ総括を骨抜きにしてきたんだ……今回のあの実験がその最後の王手ってヤツかもね。
いや、もはやチェックメイトしてる可能性もあるかも。
あたしが捕まる前には、もう一週間もクリステンと連絡がつかなくなっていたことだし。
それで、基地のほうはどうするんだ?
サイレンス先生を信じよう、このあたしに大損を食らわせた逸材だからね~。
……
迷ってる暇はないよ、サリア。
今すぐ決断を出してちょうだい。
……ドクター、もはや決断を出すまでもない事態だ。
基地の問題を片付けるには、まずはフェルディナントのほうを片付けなければならない。そしてそのフェルディナントを片付ける方法が、今ちょうど我々の目の前にある、お前なら分かるな?
よし、一緒にライン生命総括に会いに行こう。