ドロシー……ドロシー!大丈夫!?
平気よ、エレナ。
ちょ、ちょっと!落ち着いて落ち着いて、ぶつかりそうになるから……
何もかも私のせいだ、私がはやくフェルディナントの策略に気が付いていたら……みんなに知らせてやれば……キミに相談していれば、こんなことには……
もう……監視所から急いで駆けつけて来てくれたの?お顔が汚れちゃってるわよ。
……フェルディナントを殴った時についちゃったのかもね。
あの時、ナニで殴ったのかすらもう憶えてないよ……今だって手が震えて……
スッキリできた?
ううん、全然。
失望して、すっごいムカついたけど……ひと段落して、軍が彼を追いかけに行った時には……悲しかった。
フェルディナントがあんなことをしたから?
ううん、ああいうことが……できたからだと思う。
もし今でもまだ彼の教えを守って、彼の遠大な理想を、彼の目に映ってた希望が偽物じゃないんだって信じていたら……
……私が一番欲しかったのが……彼に認めてもらうことじゃないっていうのならさ……
……私ってやっぱりバカなんじゃないのかな?
気にすることはないわよ、エレナ。
受け入れるほうが……否定することよりも難しい時だってあるのだから。
これからあなたはもう助手ではなくなったわ、卒業ね。
もう彼の陰に隠れる必要はなくなった。あなたの目に彼が残した灯火が残ったとしても、彼の終点があなたの起点、あなたならきっと彼よりも遠くへ突き進むことができるわ。
ドロシー……
それ、なんか別れの挨拶に聞こえるんだけど?もう助手は卒業って……もしかして身体がどうかしたの!?キミが自分を“セントラル”に繋げたことは知ってるんだからね!
……まあまあ、焦らないの。
私なら平気、本当よ?信じられないのなら、お医者さんに聞いてみたらいいわ……
私じゃ何も保証はできませんけどね。
オリヴィア、開拓者たちの身体検査は終わったの?
あと一人です。
うぐッ……
“伝達物質”は今でもあなたたちの体内を流れているんですから、無理しないでください。
今のところ異常は来していませんが、この先どうなるかは誰にも分からないんですから。
ありがとう先生、でも心配はいらないわ。
体内に流れてる物質なら、あなたたちの身にある結晶……あるいは目の前にいつでも降り立ってくる嵐よりかは優しいものよ。
でも私たちが立ち止まることは決してない、でしょ?
……ええ。
暴走した被造物により基地への破壊は甚大なものだ。
眼前に広がるのは瓦礫ではない、ほとんどがアレの残していった白銀色だった。
暫くもしないうちに、この白銀色たちも速やかに跡形もなく処理されてしまうことだろう。
だが痕跡は……残ってしまうものだ。
そこへ突如と、白銀色の川が再び流れ出したのである。
……
あぁ、雨雲の影か……
(無線音)
……情報が届いたぞ。
基地ならすでに政府が介入し始めた。規約通り、ロドスも入手した情報を廃棄しよう。
とはいえ、そう簡単に済まされることでもなさそうだ。
先ほど新たな手がかりを入手した、フェルディナントの後援者についてだ。これからその情報提供者のところへ向かう。
……
ドクター……
サリアは歩みを止め、顔を上げた。
雨雲がゆっくりと市外の方向から漂ってきている。
100キロ離れた基地の中で……
それと同じことを思っているもう一人の女性がいた。
もうすぐツリーマウンズに雨が降る。
……ここまで送ってもらえれば充分だ、ありがとう。
すまないなグレイ、片付けまで手伝わせてもらって。
いいんですよサニーさん、手伝えて何よりです。
それに片付けるものも……あー、そんなに多くはありませんしね。
そうだな、来た時とあんまり変わらない。
お前の仲間たちにも是非、感謝を伝えてやってくれ。お前の言う通り、ロドスは俺たちを絶望の淵から救ってくれたんだからよ。
ロドスは何もしてませんよ、サニーさん。あなたたちを救ったのは自分自身なんですから。
お忘れですか?あなたが“声”を上げたからこそ、ボクたちはあなたの手を掴む事が出来たんです。
お前みたいな友人ができて、俺は幸せ者だよ。
お前の言葉も、この基地で起こったことも、全部心に刻んでおくよ、エンジニアのグレイ。
それとマリーも……
あなたたちを無事にこの基地から脱出させることが、今の私の仕事。
お前にはまだ……俺をしょっ引くチャンスがあるはずだろ?
上から言われたわ――今回の事件はある個人が規則を違反したことによって引き起こされた実験事故だって。
だからあの研究員たちがこれ以上追及しない限り、あなたの“誘拐”行為もプロファイリングされることがなくなったわ。
それが言いたいわけじゃないんだ。
……四年前のことで、伝えたいことがあってな。
なんであの夜、俺が実験に参加しようとしたのか分かるか?
開拓者にはそれぞれ都市に戻りたがっている理由がある、そんで俺の理由は……
俺のせいで深い傷を負ってしまった人に、俺の一番の親友に――会いたかったからなんだ。
謝りたかったし、何より――
俺は裁判にかけられるべきことをやっちまった。
もう逃げ回って四年にもなる。最初は荒野が俺の夢を食い破りやがったんだって思ってたよ、どんどん俺が俺じゃなくなっていって……
でも違った。
あの公平と正義を追い求めていたサニー・ロマーノを殺したのは俺自身だったんだ、四年前のあの夜に。
……
裁判にかけられた際、あなたには二つの刑罰が待っているわ。
一つは懲役刑、刑期満了後には感染者収容区域へ移される。
もう一つは……
開拓者になって、永遠に移動都市から追放されること。
そうだろうな。
でも、今のあなたはもう開拓者。
それはつまり……
許すとか謝りたいとかの話はもうなしにしましょ。それより、幼馴染がせっかく見送りに来てやったんだから、もっと有意義に時間を使ったらどうなの?
久しぶりの、温かな抱擁だった。
だがこれは数年の時を経てのやっとの再会であり、また別れでもあった。
行く宛てはもう決まってるの?
Dから始まる訳分かんない名前をした人がいてな、数日前にそいつから仕事を斡旋してくれる手紙が送られてきたんだ。
どうやって俺たち開拓隊と連絡を取ったのかは分からんが……仲介業の人にも見えなかったし、まあ大丈夫だろう。
……次はもっと気を付けなさいよね。
もうこれ以上再犯しないように、約束よ?さもないと、地の果てまでに逃げようが必ずしょっ引いてやるんだから。
ふふ……
ああ、了解した、巡査部長殿。
開拓隊の仲間たちが遠くからサニーの名を呼んでいる。
今度こそ、自分は本当の旅立ちに出るのだと、サニーは思った。
……基地での後始末が始まっちゃったね。
・そちらのエネルギー課がやらかしたことだからな……
・ライン生命が後片付けして当然だ。
うーん……いち大企業として担うべき社会的な責任ってヤツかな?
・取引をしてやっても構わないぞ。
・……
・その言葉の表面的な意味だけを取れば、私も同感だ。
はぁ、仕方ないね。ここにはあたしを信じてくれる人なんていないんだし。
あの開拓者たち……
さっきからずっと彼らを見ているな。
また、旅立つんだね。
次は……一体ナニと出会いを果たすんだろう?
次から次へと、出会いは続いていく……
元ある我が家への帰郷はもはや叶わなくなった。だったら……我が家と呼ばれる地が、彼らのもとに訪れることは永遠にないだろうね。
ドクター、ライン生命の人員が実験区域の廃墟を掘り起こして……
……ミュルジス主任、あんたもいたのか。
……
ミュルジス……
そろそろ答えてもらってもいいかな?
それって……あたしが何を気にしてるのかってヤツ?
それなら、あたしが言おうとした時に……
きっと知れるはずだよ、ドクター。
(無線音)
……ご安心ください、すでに事後処理は済ませております。誰にも359号基地での出来事が知られることはありませんし、選挙の際にそれを脅し材料としてあなたに突っかかってくる者が現れることもございません。
ええ、私ならすでにツリーマウンズを出て、特区へ向かってる最中です。
フェルディナントですか……
彼も二度と脅威にはなり得ませんよ、私が保証致します。
(無線が切れる)
あのー……まだライン生命本部ビルの外ですよね、なんで副大統領にウソをついたんですか?
それはね……
初心を忘れていないからよ。
もはやどのくらい歩いたか、自分でも分からなくなっていた。
喉を刺す痛みと渇きが彼を気付かせている、これ以上はもう身体が持たないと。
だが……ツリーマウンズはまるで背後にあるかのように、身近に感じた。
もしくはすぐ目の前にあるのかもしれない。
移動都市の影は巨大だ、時間の流れにつれぐんぐんと成長していくものだ。
だからはやく……はやく……
急いだところで、どこに向かえばいいのだ?近場にある中継地点に辿りついたとしても……そこの人がエレナやホルハイヤみたく、自分を裏切る可能性だってあるじゃないか。
……止まれ。
……
てめえのことは知っている。
フェルディナント……あんだけ俺たちに仕打ちをしたくせに、のうのうと逃げ出せられるとは思うなよ。
……
そんな鉄クズを着てるからって俺たちはビビんねえぞ。口だけは達者にその性能を吹聴していたが、操縦までが達者とはいかないはずだ。
たとえここで俺たちを全員殺したとしても……
また次の開拓者たちと出会うだろうよ、てめえにもう逃げ場なんてねえぞ。
てめえの目の前に広がってる荒野を見てみやがれ、ここにはてめえの敵しかいねえんだよ!
……
いいんだ。
彼自らが作り出した“伝達物質”はすぐ手元にある。注射さえすれば、瞬く間にこのパワーアーマーを従わせ、敵と言わしめているこの者たちに恐れを為すこともなくなる。
だが、なぜフェルディナントは動かなかったのだろうか?
ドロシーみたく、勇気がなかったからか?
それとも……
フェルディナント、キミこそが自分の目に映る遠大な理想の――“時代”に見捨てられた者だ。
自分は今まさにその時代に身を置いていることを認めようとはしなかったからだよ。
キミはいつだってそれを我が物にし、思考に耽り、どうやって手中に収めることしか考えず、感じ取ろうとはしなかったからだよ。
これは、誰の声だ?エレナか……?
そうか、見捨てられたくなければ……私もそのうちの一部になるしかないのだな。
……
パワーアーマーは沈黙し、もはや進むことも、抗うこともしなかった。
彼は自らの両腕を広げ……
風と日光と、大地を抱擁するかのように両腕を広げた。
怒った開拓者たちが、まるであの基地上空で吼える銀色のバケモノのように押し寄せていき――目の前にいる鋼鉄に覆われた皮膚を呑み込んでいった。
……マイレンダー基金側からして、ほかに何か質問はあるかな?
いいえ、ありません。
それと今回はマイレンダーを代表して来たわけじゃないんです。
……こちらはほかの質問にお答えできるほどの余裕はないのだけれど。
ならちょうどいい、こっちも単刀直入に切り込みたかったところです。
あなたは359号基地の実験で最も核心的とも言えるべきモノを回収した。
“セントラル”はドロシーによって徹底的に破壊されてしまったと――政府へ送る報告書には書かれている。
でも私には、目立たない恰好をした部隊が輸送車に乗りながらあなたのプライベートラボに入っていった場面が見えましてね。
あなたはフェルディナントの行いに目を瞑っていたとサリアは言っておりましたが……むしろ利用していたのではなくて?
だってあなたが欲しがっていたものは、今まさにあなたのデスクに置かれているんですもの。
359号基地の後始末ならライン生命の然るべき業務だよ。
実験の失敗で出来てしまった副産物の廃棄処分なら毎日やっている。
君が何を見たかは知らないが、ライン生命の者でない部外者が首を突っ込んでいいことではないよ。
廃棄処分ですか?それもそうですね、だって今頃あのクズ鉄もきっとあなたのデスクから消えていったはずなのですから。
証拠は消せても、記憶は改竄できても、事件が起これば必ず後に起る事件にも影響を及ぼしてしまうものです。
ローキャン・ウィリアムズも、フェルディナント・クルーニーも……いつかは彼らの名前もひっそりと消えてしまうことでしょう。
けど歴史は確実に彼らがもたらした変化に向かっておりますよ。
移植可能なアーツユニット、古代サルカズが用いていた結合技術の復活、遠隔操作が可能なパワーアーマー、そして広範囲な精神ネットワークの構築……
となると、次はどんな時代を震え上がらせる発明がなされるんでしょうね?
研究者は可能性を探ることしか考えないさ。
予言なんてできるはずもない。
もし記憶が時を超えられるものとすれば、予言というのはたかが埋もれてしまった歴史の再発見に過ぎませんね。
改めて自己紹介致しましょう、クリステン・ライトさん。
ホルハイヤと申します。歴史学者にして、クルビア占星術研究協会の名誉会長を務めております。
差し支えなければ、ここで一つ予言を致しましょう――
きっとすぐにでも……私はあなたが一番必要とする協力者になり得るでしょうね、ウフフ。
エレナさんならまだ戻ってきていませんよ、アステシアさん。
ええ……あの子からすでに聞かされているわ。
でも、あの子が戻ってきてもすぐ会えるように……ここに立っているだけなの、気にしないで。
あはは……いや~こんな妹思いの姉がいるなんて羨ましいです、時々そう思っちゃいますよ。
あれ……
(ホルハイヤが通りかかる)
あの方は……
待って……
天球儀が……光った?
雨が降った後の空というのは、いつだって格別に晴れやかなものだ。
これは数えるほどしかないクリステンがラボから顔を出す理由の一つでもある。
彼女はなにも、あのキラキラとした光の粒を好んでいるからなどではない。証明できない推測は、自他を嘲る嘘偽りでしかないのだ。
だがそんなウソに意味がないわけでもない。影が幾千万回捻じ曲げられたとしても、それが実体から映し出された存在であることに変わりはないのだから。
ウソが存在することとは即ち、その唯一の裏返しとして――真実も存在するということになる。
そんな真実は今でもこの輝ける星々の間に眠っている。それにこの天幕も見たところ、そこまで程遠くはなさそうだ。
彼女が手を伸ばせば、きっとその真実に触れることができるだろう――
幾千万年も人々の頭上を覆っている唯一つとして真実に。