(戦闘音)
数時間後
ラルフ――どこにいるのラルフ?
もう、こんな状況でどこに行ったのよ!
ラルフなら、大人たちがいつも言ってる火砲がどんなものか気になるから見にいくって言ってたけど……
ウソ、じゃあ街に出たってことですか?
どうしてこんな状況下で外に出て行っちゃったのよ!もし砲弾が飛んできたら――
(爆発音)
私が探してきます。
(ゴールディングが走り去る)
あっ、ゴールディング先生!今出たら危険です!
(ゴールディングが駆け回る)
ラルフ!
ふえぇぇ……
はやくこっちに来て――
うぅ、ゴールディング先生……
よしよし、もう大丈夫、先生はここにいますから。
(閃光と爆発音)
うわぁ!
(やんちゃな子供がゴールディングに抱きつく)
はやく戻りましょう――学校に戻れば大丈夫ですから。
ゴールディング先生、ラルフ!無事でよかったぁ……
ごめんなさい、ジャスミン姉……
もうラルフ、私を驚かさないでください!
子供たちは全員集まりましたか?
はい、全員揃っています。
それで、さっきのは一体……
……近くに砲弾が落ちてきました。
そんな……一体誰と誰が戦っているんです?
午前中は普通に暮らしていたはずなのに、どうしてこんな……
うぅ……
落ち着いてください、ジャスミン。子供たちの前で泣いてはいけません。
はい……
皆さん、手を握りましょう。少しでも恐怖が和らげますから。
都市防衛軍……そうよ、私たちには彼らがいます、それに蒸気騎士だって!
彼らがきっとロンディニウムを、ヴィクトリアを守ってくれるはずですもんね!
蒸気騎士……
さっき見た気がするんだ!デッカくて真っ黒な影を……
それ街灯の影とかじゃないの?
違う!本当に見たんだ!
靴職人のトムだっていつも言ってた!あの者たちこそがヴィクトリアの偉大なるシンボルなんだって!
「山を越え、川を越え。ゴーゴーゴロゴロ、何響く?稲妻にあらず、狂風にあらず。それは偉大なる騎士、偉大なるヴィクトリアなり」って!
その歌、私も小さい頃よく聞きました。
毎年国王の生誕日の時、みんな広場に押し寄せて一目蒸気騎士を見ようとしていたって、歌の先生が教えてくれました。
蒸気騎士ってマジで飛べるの?
動きはとても素早いとしか言ってなかったわね、落雷や疾風よりも速いって。それに吹き出る蒸気も相まって、まるで雲を渡り歩いてるようだったとも。
そっか。でもなぁ、もうオレたちに王様はいないんだし、この先閲兵式も見れないんだろうなぁ。一回は見たかったのに。
その先生の先生はもっとすごいものを見たことがあるとも言っていましたよ。
その年はちょうどガリアに戦争で勝った頃でしたから、当時の王様の生誕日を祝う際に、何十名もの蒸気騎士が全員ロンディニウムへやって来たらしいんです。
甲冑にはヴィクトリアの旗があしらわれてて、足並みを揃って聖王会西方大聖堂の階段を降りてくる様は、それはそれはまるで巨大な旗が敷かれていたようだった――
それからその場にいた全員が、雷よりも大きな雄叫びを上げたんだとか。
雄叫び?
そう、雄叫び。その場にいた全員が、あれは我らの御旗、我らヴィクトリアのシンボルが生きて帰ってきたんだって声を上げていたんです。
なぜならその日をもって、ヴィクトリアはガリアを超え、このテラで最も偉大な国家に成り上がったんですから。
……
あっ、すみませんゴールディング先生。先生のお爺様はガリアのご出身でしたよね……
お気になさらず、ジャスミン。私もあなたも、ラルフも、ここで育ってきたたくさんの子供たちも……みんなここロンディニウムで育ってきたんですから。
もしかしたら外でラルフが見たという蒸気騎士も、そうなのかもしれませんね。
ゴールディング先生、蒸気騎士の人とは知り合いなの?
……チャールズ・リッチという方なら。
オークタリッグ区の出身で、あのトムさんの昔からの友人です。だから彼はいつも王様や蒸気騎士のことを話したがっているんですよ。
あの人は先の陛下がご存命の際に、最後に選ばれた蒸気騎士でした。
……そしてこの国の、最後の蒸気騎士でもあったのです。
その日の夜はとても長かった。
子供たちがロンディニウムに伝わるすべての蒸気騎士の物語に耳を傾く際に、いつの間にか日が昇ってしまっていたほどに。
砲火の轟音は予想よりも早くに止んでくれた。深夜午前にはすでに、外の街も凡そは静けさを取り戻してくれた。だがここに住まう人たちは誰しもが屋内に引き籠もったままであり、外の状況を確認しようとする者はいない。
ロンディニウムの群衆は、そのほとんどが寝ずに一夜を明けたのである。
みな頭の中でグルグルと同じ問いが浮かび上がっていたのだ――朝になれば、ロンディニウムは変わり果ててしまっているのだろうか、と。
翌日
(ジャスミンとゴールディングが街の様子を見回す)
何も変わっていないみたいですね……大公爵の軍はどこに消えたんでしょうか?
しかし、これもきっと蒸気騎士のおかげですね。騎士たちがいなければこうもはやく収まるはずがありませんもの!
それにしてはやけに早いようにも思えますが……
……ひとまず、日用品を補充しに行きましょう。
この先なにも起こらないとは限りませんし……
(ロンディニウム市民が扉を開けてゴールディング達に呼びかける)
おぉあんたら、無事だったか!
アダムスさん!
ちょうどよかった、子供たちのためにも本を仕入れておきましょう。
……特に今の状況においては。
アダムスさん、昨日ここに置いていた本はもらえますか?それなりに貰いたいとは思っているのですが……
では、ここにある童話と、そこの数学と物理の入門書、あと『家庭での医療マニュアル』をください……
待ってください、何か聞こえませんか?
遠くない場所から軍靴と思わしく音が聞こえてきた。
ロンディニウムの住民たちが閲兵式で聞いたような音とは異なり、重く切羽詰まったような足音だ。
聖王会西方大聖堂へ。ザ・シャードへ。そして議会広場へ。
その軍靴の音は、たちまち人もまばらなオークタリッグ区の街道を、ヴィクトリアの心臓たるロンディニウムのセントラルを渡り歩いていく。
そしてその音が平凡であるほかないこの街へ近づいてきた時、路肩に隠れていた人たちはようやく迫りくるこの軍の素性を――
兵士たちの素顔を見たのだ。
白昼の光でさえ照らすことのできない、禍々しく歪な黒を帯びた異様な角を。
……サルカズ。
サルカズの傭兵だわ。
傭兵なら、すぐにここから出て行ってくれるでしょう。
その時にはロンディニウムも、またいつもの様子に戻ってくれるはずですよね?
……
この時、これからの数年でこの国は完膚なきまで変わり果ててしまうと、その場にいた誰もが知る由はなかった。
その一例として、サルカズの軍勢があれ以来ロンディニウムを出ることは二度となかったのである。
もしくは――
その日を以て、ロンディニウムの街中から蒸気を纏う甲冑が消え失せしまったのである。