一年前
1097年
4:56p.m. 天気/曇り
ロンディニウム、ハイバリー区、軍需工場第十一番

おーい、急げよ!最後の融合剤はもう届いたか?なにぃ――まだだって!?

まいったねこりゃ……

資材運搬の責任者は誰なんだい?

あっ、頭……それが……

誰なんだい?はっきりしなさい。

……フェイストです。

まったくあのやんちゃめ……

今朝ぴゅーっとどっか行っちまいまして、本当ならもう戻ってくる頃合いなんですけどね。

ほかについていった人は?

トミー、パットにダンです。

全員違う組み立てラインの担当でしょ、どうしてそれが一緒にいるわけ?

あいつらは、いつもよくつるんでるぐらいの大の仲良しなんですよ。特にフェイストはその小頭みたいなもんでさ。

……
(サルカズ傭兵が近寄ってくる)

なんかお困りみたいだな。

どうってことないわよ。

どうってことない、ねぇ。

今日がどういう日なのかは分かっているんだろな、キャサリン?

忘れるわけがない。

そのためにあたしは十日前からひたすらサインを練習してきた。上の者から字が汚いとお叱りをを貰わないためにもね。

なら必死に練習するもんだな。将軍は明後日開かれる譲渡式をとても重視しておられる、噂じゃ都市防衛軍の総司令も出席するそうだ。

……

タバコ、吸うかい?

……フッ、一本もらおう。

なぜこの工場の連中はまだ生かされてるか、知らないわけなだろ?

あたしらなら頑張ってるわよ。

んなもんは当然だ。

お前らはいい仕事っぷりをしてくれる。生活のために働いて金貰う、俺たちと同じだ。

だが雇う側からしちゃ、仕事のできるヤツはそれだけ信用ならねえもんなのさ

そりゃあね。

あんたらに捕らえられる前、この工場を管理していたハンフリー卿も一度だってあたしらを信用しちゃくれなかったさ。

だから面倒事はくれぐれも起こさないでくれよ、キャサリン。
傭兵の口調はとても落ち着いたものだった、何度もキャサリンのところへタバコを吸いに来る時と同じように。
これが言わば彼の仕事なのである。自分たちに従わない労働者たちを処分することは、キャサリンが日頃からボルトを締める作業となんら変わりはない。
そう思いながらキャサリンは自分のポケットにタバコの灰を落とす。機械に灰を吸い込ませるわけには万に一つもあってはならない。

何度も言ってるでしょ。

人が一人でも減ったらこっちは効率が落ちてしまうって。

今の立場でもそんな堂々と物言いができるたぁ正直感服してるぜ、キャサリン。普通の傭兵はお前ほどキモが据わっちゃいねえ。

物怖じしないのは結構だが、何事も控えめにおしとやかに頼むぜ。

お前らみたいな軍需工場はロンディニウムじゃまだゴマンとある。ここが空になったところで誰も気にやしねえよ、もちろん摂政王からしてもな。

すべて滞りなく進んでいるから心配しなさんな。納期は必ず明後日の式典には間に合わせる、工場で働いてる者たちも一人残らず出席させるさ。

何も心配する必要はないよ。

そういうことにしといてやろう。

そりゃ助かる。ところであんた、火は持ってないのかい?まだ吸っちゃいないようだが……

ああ、貰って悪いがやっぱ返すよ。オイルの匂いが染みついたタバコはどうしても吸い慣れねえんでな。
(サルカズ傭兵が立ち去る)

キャサリンさん、どうすりゃいいんです?

(タバコの火を揉み消す)

……荷下ろしのとこに行くわよ。

そっちはどうだ、パット!

……おう、あとはこのボルトを締めるだけだ!

ならちゃっちゃとやってくれ。そうすりゃあいつらがたんまりと融合剤を欲しがっても、もう一週間は待つハメになるからな。

しっかしよ、こんな大量の融合剤を次から次へと仕入れやがって、サルカズたちは一体なにを企んでるんだ?

婆ちゃんに止められってから、オレはまだ融合剤を運び込んでるとこを見ちゃいねえんだ。婆ちゃんが信頼してるベテランたちでしか搬入に立ち会うことは許されてねえんでな。

だがつまり、それだけサルカズにとっちゃ融合剤は重要な物資だってことは分かるだろ。

となれば、使い道は武器か?ウチんとこのラインも、数日前からずっと自動ボウガンを作ってばっかりだぜ。

ああ、武器以外考えられねえ。外にゃあんな大量の公爵軍が睨みを利かせてるからな……

そりゃサルカズたちに調子乗ってもらわれちゃ困るからな、ああやって睨み合って牽制してるんだろ……

だからこそあいつらを止めなきゃならねえのさ、パット。サルカズなんかに手を貸して、オレたちと同じヴィクトリア人を殺すわけにはいかねえんだ。

しかしよ、本当に融合剤をぶっ壊しゃなんとかなるのか?その際、処罰は免れねえだろ?

そん時はオレが全責任を負う。連れたきゃ連れていくがいいさ。
(キャサリンが近寄ってくる)

そんなこと、あたしが許さないよ。

……げっ、婆ちゃん。

捕らえろ。

パット――やれ!

あ――?

――
その場に置いてあったヤスリを、キャサリンは手当たり次第それを投げつける。
そしてガチンと小気味よい音がなり、ヤスリが当たったパッチの腕からレンチが落とされた。

クソッ……

あんた自分が何をやってるのか分かっているのかい?

サルカズを阻止してやってるんだよ!

いいや、あんたはただふざけてるだけだ。

計画はちゃんと練った、婆ちゃんたちは巻き込まねえって!やったことの責任も全部オレが背負う!そしたら――

――そしたらサルカズに殺されて、自分はヒーロー気取りってわけかい?

そこはあいつらから逃げてみせるよ!シミュレーションだって何度も――

自分で改造したクローラーに乗って、貨物列車に隠れながらハイバリー区から脱出するって算段でしょ。

全部知ってたのかよ……

あたしはここで五十何年も生きてきたのよ、あんたがどんなバカなことをしようが全部お見通しよ。

でも婆ちゃん、これだけは聞いてくれ。

サディアン区で活躍してるレジスタンス組織がいるって情報を耳にしたんだ。サルカズから大勢の民間人を救出したり、区画だって奪還したことがあるらしいんだぜ!

ロンディニウム市民自救軍って名前だ――オレはそこに加わりてえんだよ!

……加わる、か。

加わって、その後はどうするんだい?

はっ……えっ?

そこに行って何をするんだと聞いているんだ。自動化された生産レーンの組み立てか?それとも新しいクローラーでも作りに行くのかい?

それは……

武器もロクに作れないクセにしゃしゃり出るんじゃないよ。まさかその自救軍とかいう連中に、レンチでサルカズたちの脳天をかち割ろうと言ってやるつもりかい?

武器造りなら勉強してるだろッ!

婆ちゃんから聞いた話ならまだ憶えているさ。どうやって蒸気鎧を作ってきたのか、毎日一つ一つ丁寧に動力チューブを磨いてきた話とかな。

でも分からねえんだ……小さいころから婆ちゃんは、どうやってこの工場たちが今のヴィクトリアを築き上げてきたのかをオレに教えてくれたけどよ――

そんなオレたちロンディニウム人が、なんで明後日の譲渡式でサルカズに工場を引き渡さなきゃならねえんだ!

そんなことしたら、オレたちはサルカズのために武器を作って、その武器で自分たちの人を撃ち殺すことになるんだぞ!

婆ちゃんはそんな日が来てもいいって言うのかよ!

……そんな日が来てもいい、だと?

言っておくが、それがあたしらの日常さ。あたしもあんたの両親も、ずっとそういった日々を過ごしてきたのさ。

今あんたの前にある工場を見てやりな。

名前よりも長ったらしい肩書きを持った貴族も、貿易で成り上がった商売人も、それからサルカズも……みんな突然ここにやって来ては勝手に自らを主だと称して、それから姿を晦ましていった。

だが工場は、工場だけは何も文句を言わずにせっせと働き続けてきた。あたしらはそんな工場がいつまで稼働し続けられるようにと、毎日毎日こいつのネジを締めてやってきた。

ロンディニウムのあの宮殿にどんな輩が居座ろうとね、あたしらが気付き上げて来たこの都市はそれでも明日を迎えなきゃならないのさ。

そんな明日はイヤだって言ってんだよッ!

自由を失った生活はもはや生活じゃねえ!家畜として飼育されてるようなもんだ!

もしこの工場が……ロンディニウムがオレたちのモンじゃなくなったら、オレたちが今まで築き上げてきたモノも全部台無しになっちまうだろうが!?

……

知ってるかい、フェイスト……

二十五年前の、あの火に照らされた夜、あんたの父ちゃんもあたしに同じようなことを喚いていたさ。

……

頭、サルカズがもう来ちまいますよ――

いいかいフェイスト、あんたがどこに行こうがそれはあんたの勝手だ。

だがここを出ていったら、もう二度と工場には入れさせないよ。

仕事を全うしない技師なんざ、この工場には必要ない。

……

彼について行きたい人がいるのなら好きにしな、あたしは止めないわよ。

けどこれだけは憶えておきなさい――この敷地を出れば、あんたらを勘当する。