……なんで彼女がここに現れたんだ?
て、テキサスだ!
こっちのモンが、相当やられちまってるぞ!
チッ、ラヴィニアもあの役立たずも、さっさと片付けておくべきだったか。
まあいい、落ちぶれた元同業者の姿を見れば、あの女の心もズタズタになっただろう。
あの幼稚な考えからレオンの目を覚まさせるためなら、なんだってやるさ。
全員呼び戻せ、撤収だ。
あ、あの人たち……逃げて行きましたよ!
その人ならもう死んだ、矢で心臓が射抜かれている。
助けて頂いて感謝します。もしかすれば、ここで死んでいたのは私だったのかもしれませんでしたから。
どうか安らかに、ボルトロッティさん。
これは……?
手帳か?
……
いえ、シラクーザ裁判官の身分証です。胸元のポケットに入っていました。
すでに無効処理が施されています。しかも、“この身分証の持ち主は三年前、職責を汚したため、裁判官の資格は剥奪された”と書かれています。
職責を汚した?ハッ、汚したですって?
もっとそれらしい言い訳は見つからなかったのですか!?
おい、大丈夫か?
……ええ。ただそれよりも、まずどうやってあの刑務所から抜け出してきたのかを聞かなければなりませんね。
……
企業秘密だ。
そう。まあいいでしょう、こちらも今はそんなことに構ってる気力はないので。
休んだほうがいい。
まだ休むわけにはいきませんよ。
せっかくの手掛かりが断たれてしまいましたからね、これでまた別の手掛かりを探さなくては。
炎国にこんな諺がある、“急がば回れ”。焦っても何も得られないという意味だ。
……そんなことは私だって重々承知しています。
でも私にはもう、回り道をしている余裕はないんです。
カラッチは、お前にとってそんなに大事な人だったのか?
……というわけでもありません。
カラッチ部長と顔を合わせたのは、精々数回程度です。
なんせ私は裁判官、職場も役職も違っていましたから。
ただ、彼は非常に精力的な人間でした、ファミリーとの関係も円滑に進められていて。ヴォルシーニの住民なら誰でも知っていましたよ。
彼はそんな自分の持ち得るすべての精力をこのニュータウンの建設に注ぎ、市民たちに安全な場所を提供するため、あらゆる手段を模索してきました。
まあ、彼の素性をこうして知れたのも、彼の死を色々と調査したからではありますが。
恐怖に震えながらも、僅かながらの生きる空間を引き換えるために、彼は自分の持てるすべてを犠牲にしてきました。
たとえば、ファミリー同士の争いが頻発する区域から離れた場所に学校や病院を建てるとか……
彼をどう評価すればいいのか私には分かりませんけど、それでも彼は、良心的ないい人だったとは思います。
けどそんないい人たちもみんな、シラクーザでは同じ結末を辿ってしまうのですけれどね。
……この裁判官の身分証を所持した殺し屋と同じ結末を、か。
真っ当な法律学校なら、実際のところシラクーザにもあります。
そこで使われている教材は専らクルビアで出版されてたものではありますが、卒業すれば、シラクーザ以外の法律機構にも入職することができるんです。
クルビアからもここで取得した資格は認められていますので。
今ではシラクーザと龍門とのやり取りもますます引っ切りなしになってきています。しばらくすれば、炎国のほうもこういった法律関係の資格を認証してくれるでしょうね。
いいことだ。
ええ、それはごもっともです。
しかし、それで何かが変わるなんてことはありません。
以前、後輩たちに自信を付けさせるために講演をお願いできないかと、母校からお誘いしてくださったことがあったんです。
そこで私はそのお誘いに応じました。
でも、登壇した時に気付いてしまったんです。自分の学んだことに自信を持ちなさいなんて、とてもじゃないが私の口から言えるはずもないと。
……
なんせシラクーザに存在する法は、認められた正義のもとにあるわけでなく、たった一人の人間のために存在しているだけなのですから。
こんなの、ある意味無法地帯よりもふざけていますよ。
しかしシラクーザ人はそんな環境の中であっても、六十年余りを過ごしてきました。そしてみんな慣れ親しんでしまった末、誰もこのことに疑問を抱かなくなってしまった。
私がそんな正義の化身ですって?そうですね、化身ではありますけど、それも精々自分ですら把握できていない、私の背後に立っている人物の化身に過ぎませんよ。
……何か食いに行こうか?
……行きましょう。
お気遣いありがとうございます。
レオンじゃないですか、どうしてここに?
お前が襲われたと聞いたんでな、急いで駆けつけてきた。
私なら平気ですよ、テキサスさんが助けてくれたので。
せっかくの手掛かりがなくなってしまいましたけど。
なあラヴィニア、もうその辺にしたらどうなんだ。
……約束しましたよねレオン。食事の際は、ケンカに発展するような話はしないと。
今はそんなことを言ってる場合じゃないだろ。
いいえ、だとしてもです。こうでもしなければ、私たちは互いの立場を一旦忘れて、一緒に食事をすることができないのですから。
もしその約束を破るのでしたら、私はここで失礼させて頂きます、レオントゥッツォさん。
今のお前は、自分の命で冗談めいたことに費やしているようなものなんだぞ!それが分からないのか!
……“冗談めいたこと”に自分の命を費やしていると言うのなら、そんなこと、私がこの街の裁判官になったあの日からやってきていますよ。
俺はこれからロッサーティと話をつけてくる。
向こうがチェッリーニアに存在にどんな反応を示そうが今はどうだっていい、とにかく向こうと話をつけて来なくてはならない。
主導権はまだこちらが握っている。向こうを牽制さえしてやれれば、裏切者だろうがほかのファミリーだろうが、みんなひとまずは押さえつけることができるはずだ。
そういう問題ではありません。
今この街の情勢はとても緊迫しているんですよ。どこもかしこも、誰が手を出したのかと疑心暗鬼になっている。もしこの状況を抑え付けなければ、これから、ますます酷くなるばかりです。
正直に言おう、もしお前が本当に犯人を捕まえることができるのであれば、こっちも惜しみなく力を貸し与えるさ。
だが今、相手は明らかに備えてかかってきている。お前が今日でくわした事件も、明らかに向こうからの警告だ。
このまま続ければ、お前の調査が進むどころか、もっと危険な目に遭うだけだぞ。
で、あなたの言うことに従って、調査を中止して今回の事件をうやむやに終わらせろということですか?
落ち着いてくれ、ラヴィニア。お前はそんな感情的になるような人間じゃないだろ。
レオン、あなたはカラッチ部長と一緒に働いてきたのですから、あなたのほうが彼のことをよく知っているはずですよね。
どういった理由で彼があの席に座らされたかはともかく、彼はこの街をよくしてくれるはずの人間だったのですよ。
席に座らせることなんて、毎日起こってるだろ。
ではなんです?このシラクーザで、善人はみな死んで当然だと言いたいのですか?
……
俺にとって、お前のほうがもっと大事なんだ。
そう。ならカラッチ部長の死は、あなたからすればただの通り雨というわけですか。
室内に籠ってるあなたなら濡れることもないでしょうね。ただこの雨はどうしてこうも長引くのかと疑問に思うだけ。
あるいは少しだけ良心が働き、雨の中にいる人に傘を届けてあげよう、なんてこともあるのでしょう。
けど私は……もうこれ以上自分に問い詰めたくはないんです。あなたはいつまでその屋根の下で雨宿りをしているんだって。
……
……だがお前一人で、どうやってその雨を止めるというんだ?
少なくとも今回だけは、カラッチ部長の死を無駄にしたくはありません。
本心に背くのは、もう懲り懲りなんですから。
もし、もしもですよ、レオン。もし私の命で何かと引き換えることができるのであれば。
そうしたほうが、私としては少なくとも気持ちが楽になりますよ。
……
俺はクルビア人たちから一つ学んだことがある、それは――
他人を従わせたいのであれば、時として暴力よりも利益が勝ることだ。
だが、それで俺が暴力を行使しないというわけではないぞ、ラヴィニア。
そこが私とあなたの最大の違いですよ、前にも言ったように。
あなたは暴力を行使することができるけど、身に着けている教養と自制心でそれを抑えつけている。そして私は、それを抑え込んでるあなたに感謝しなければならないというわけですか。
……そういう意味じゃない。
私は別にあなたを責めているわけではありませんよ、レオン。
あなたは、なぜこの雨はこんなにも長く降り続けるのだろうかと、少しだけでも考えてくれました。それだけでも得難いものです。
しかし、あなたはベッローネファミリーの次期当主。
そして私は、たかが知れている一介の裁判官。
お互い、最初から違う立場の人間です。
だからこうしましょう、レオン。
もしどうしても私を助けたいのであれば、どうかあなたのお好きになさってください。
ロッサーティと話し合うもよし。きっと今の状況も、少しは改善されるでしょう。
ただし、今ここで私を閉じ込めない限り、犯人を見つけるまで私は止まりませんから。誰が止めに入ったって無駄ですよ。
……
静まり返ったトラットリア内。
レオントゥッツォは何か言い返そうとはしたものの、思い浮かぶ反論の言葉はどれも中身のないスカスカなものであることに気付いてしまう。
喉仏を少し動かすも、彼は何も言い出せずにいた。
ちょっといいか?
テキサスさん?
あぁそうでした、あなたはひとまずレオンのもとに戻ってやってください。きっとロッサーティと話し合う際に、あなたが必要になるはずですから。
いや、もっといい方法を思いついたんだ。
カラッチを殺した相手が必要なんだろ?なら私が、その殺した相手になる。
……あなた自分が何を言ってるのか分かっているのですか?
今の状況を宥めるにはこうしたほうが一番手っ取り早い。
……あなたから情けをかけられる筋合いはありません。
誤解しないでくれ。
これは私自身のためでもあるんだ。
お前たちが言ってることはどちらも正しい。このまま続けても、状況は悪化する一方だし、かといって黒幕にも逃げられてしまう。
そこで一番の理想として、状況が悪化する前にその黒幕を見つけ出せばいい。
その際は相手もきっと、どんな手段を使ってでも止めに入ってくるだろうな。
つまり、テキサスを釣り餌にするということか?
そういうことだ。
ほかの人じゃインパクトに欠けるかもしれないが、私だったら役満だろ。
……
テキサスを犯人に仕立て上げて、名誉を少々傷つけることにはなるが、その落ち度をすべてファミリー内に潜んでいる黒幕に背負わせる、ということか。
そうすれば、お前たちも私を手放すことができるだろ。
確かに、これなら手っ取り早く状況を押さえつけることができる上、なおかつ黒幕も誘き出すことができるな。
……リスキーだが、試してみる価値はありそうだ。
だが……ここはシラクーザだし、お前もテキサスの最後の血筋なんだろ。本当にそれでいいのか?
……そんなもの、私からすれば一番の無駄だ。テキサスという名から与えられた名誉など。
言ったはずだが、私の目的はただ一つ。ベッローネとの約束を果たして、龍門に帰る。
どうして……そこまでしてくれるんです?
私にも、今の事態を改善してほしいと願ってる友人を何人か持っているんだ。ロドスという場所にいる。
もし彼女らが殺されてしまったのなら、私もそう易々と受け入れられない。
……
もしこの方法が上手くいけば――
逆に黒幕に対して、こちらが攻勢に転じれるかもしれない。
お前もとうとうこちら側に立ってくれるようになったんだな、嬉しく思うぞ。
構わない。
そうと決まれば、テキサスの裁判は大々的に行わなければならないな。そうでもしないと、ほかのファミリーを抑えつけることは不可能だ。
こちらで手配しておこう。
ここからは俺たちの反撃だ。
なら、それが終わったら龍門に帰してくれるという約束をしてくれないか?
分かった、約束しよう。俺たちの策が成功すれば、今後二度と、誰もお前につき纏って来やしないさ。
そしてお前に今つき纏っている連中なんだが、ロッサーティにしろ、ほかのファミリーにしろ……
“チェッリーニア・テキサスは脱獄し、すでにシラクーザを出た”という事実しか知り得ないだろう。
それと、すまないなラヴィニア、これから法の尊厳とやらを傷をつけることになるが、許してくれ。
……私はそこまで堅物ではありませんよ。
今はもう……そうするしかないのですから。