まだ逃げ遅れた人はいるか!早く先生のところへ逃げ込むんだ!
東のほうに逃げるんだ、はやく!
(村人が走り去っていく足音)
……空を意識し始めてから気付いたが、本当に西へ向かえば向かうほど夜に近づいていくんだな……
なら、私たちは今「正午から黄昏に向かってる」と?中々詩情に溢れているね。
……いや違うな、この「昼から夜」への距離が短すぎる、まだそんなに歩いていないはずだが?
絵巻の長短は時として変化し、各所の光景も奇怪な様相を呈す、画中の人は己の天地のために規則を設ける、しかしどうであれば、それは紛い物にすぎぬ。それだけに関してはどうしようもないことでござるな。
だからアタシは――ちょっと待て、今なんて言った?
ん?
さっき――
うわあああ――!!
――!まだ逃げ遅れた人がいるのか!?
ここでござる!
た、助けて!
恐れるなかれ、拙僧が参った!
(斬撃音)
ガァ――
ふぅ、やはりな、斬ったあとに墨汁と化した、誠に怪しきかな。
さすがだ、サガ殿!
油断なさるな、お嬢さん、早く東へ向かうのだ!
は、はい!あなたたちも気を付けて!
……まだ逃げきれてない村人がたくさんいるな。
事態が急すぎたのであろう、咄嗟に反応しきれ――
お父さん?お母さん?
あ、あっちに子供が!
いかん――伏せろ!
間に合わない!
ぐすっ……うわあああ……
(斬撃音)
あ!
ヒュー、間一髪!
(ウユウが女の子に駆け寄る足音)
怪我はないかい?
ううう……ない……うううう……
さっき……何かがあのバケモノの喉を貫かなかったか……?
クルースの仕業だ、まったく抜け目がないな。
か、彼女は今どこに?
探しても無駄だ、見つからねぇよ、彼女がここにいるってことだけを知っていればいい、今は全村人を安全にこの夜から脱出させることを優先しろ。
おお、阿吽の呼吸でござるな、また一つ見識が広がったでござるよ。
うう……ううう……
しかし、この子を一緒に連れて行くわけにはいかんだろ?
……お前は先にこの子を連れてここを離れろ、安全な場所に連れて行ってやれ、いいな?
問題ない!お任せあれ!
しかし――恩人様を置いていって、一人で避難するのも忍びない!残念だ、恩人様と共に我が身を賭して危機を救えないとは――
この子を煮傘さんのところに預けたあと、またここに戻ってこればいいだろ。
あはは……あー……わかった、この子を預けたら、また戻ってくるよ。
お嬢ちゃん、お兄さんと一緒に避難しに行こうか?
ぐすっ……うう……おじさん、アタシのお母さんを見なかった?うう……
じゃあ一緒にお母さんを探しに行こうか?
ぐすっ……うん……おじさんありがとう……
……オホン。では恩人様、先に失礼するよ?
ああ。
……
先生、嵯峨と英雄のお三方だけで、大丈夫なんですかい?
……
先生?
……問題ない。
どうしたんだべさ?今日の先生やけに機嫌が悪くねぇか?昨日あんまり寝られなかったとか?
先生は温厚で優雅なお方よ、ありもしないで怒るような人には見えないけど。
きっと先生はオラたちのために心配してくれて、疲れてるんでさ、オラたちも先生のことを思って、寝かせてあげたほうがいいべ。
六根清浄ッ!
(斬撃音)
ギィ!
煩悩を切り捨てるッ!
(斬撃音)
ガァ!
油揚げッ!
(斬撃音)
ガ、ガァ?
……中々やるな。
拙僧は幼き頃から寺で育ったゆえ、見よう見真似をするうちに、少しばかり太刀打ちを習っただけでござるよ。
これが少しばかり?
お気になさらず、拙僧がラヴァ殿のために道を切り拓いてつかまつる!
ガ……ギャァ!
もうあのバケモノたちから恐れられてるじゃねぇか……そういえば、墨魎たちに知能はあるのか?
ガッ!ガァ!ギャギャ!
ん?
手を止めてどうしたんだ?
ガッ、ガガァ、ギャアギャア……
ふむ、ふむふむ、ふーむ……
おい!?まさかこいつらの言ってることがわかるのか!?
多少ならば。ラヴァ殿、この墨魎は何も過ちを犯しておらぬ、仮に本心で悔やんでいるのであれば、もう村を襲ったりはしない、見逃してやろう。
ガァ!
……そんなんでいいのか?
問題ござらぬ、拙僧とて弁えておる。
ガゥ……
もうここ周辺が落ち着いてきたな……村人ももう残っていないはずだ、少しだけ話をしてもいいか?
ラヴァ殿から何やら厳粛な雰囲気が漂っておるな、もしや拙僧が何か過ちでも?
それはないが、さっきサラッと……絵巻って言ってなかったか?この村についてよく知ってるようだな。
なんのなんの、拙僧はここへ行脚しに来て、しばらく時が経っただけに過ぎぬ。
ここがそんな「行脚」しに適した場所には見えないが。
一枚の絵巻なぞ、大した大きさにもならぬだろう?
それはどういう意味だ……アタシらは絵の中にでもいるのか?
いかにも。
……一体どういう意味だ?
あ、なるほど、お主らも拙僧と同様、誤ってこの山河の中に迷い込んでしまったのだな――
え?
当初を思い返すと、拙僧もただ大炎の勾呉の地を経ようとしただけだった、しかし突如と、あの巨匠の後代にお会いしたいと思ってな。
灰斉山の瀑布がなんとも美しくてな、そこでその山にあった茅屋を借りて夜を過ごそうと思っておったが、いつの間にか、拙僧もここにやってきておったのだ。
ちょ、ちょっと待て、どういうことだ、じゃあお前もその「夕」を探しに来たのだ?
シー?そのような名は聞いたことがないが……
拙僧が探していたのは、「一筆で山を起こし、何処でも風流が話される」という炎国の画家でござる。
しかし月日を鑑みると、おそらくはもうこの世を去られたのであろうな、ゆえにその巨匠の故居を訪ねてみたいと思った、それだけでござるよ。
とにかくお前も先に炎国の勾呉にある灰斉山に行って、そして訳も分からずここに来た、そうなんだな!?
うーん、そうではあるが、お主は何ゆえそれほど興奮しておるのだ?
それとここは絵巻だと言ってたよな――
天地人皆条理に合わず、ラヴァ殿は気づいていなかったのか?
それはなんとなく察していたが、しかしなぜ絵なんだ……?
それは拙僧でも説明しがたいでござるな、しかしこの婆山鎮なるところは、拙僧が遊歴した……おそらく百枚目の絵巻になるのであろう!少なくとも自分の今どこにおるのかは、きちんと理解しているつもりでござるよ。
でも……ここの人たちは、みんな生きてるぞ、茶水だって味はあるし、果物だって食べられた……
なんかのアーツによるものなのか?しかし仮にアーツだったとしても……一体どういう……
それに関しては拙僧には分かりかねる。幸運にもこの天地の真実を一瞥する機会があった、さもなくば拙僧も自分がどこにいるのかすら分からず仕舞いであったからな。
ここは天災もなく、生きとし生きるものは、みな己の規則に則って活きており、この地を形作っている、得も言われぬ素晴らしいさだ。拙僧がここに留まってるのは、何も安心を得たいがためではござらんよ。
そんな……
あはは、ラヴァ殿がそのような困惑の表情を浮かべても仕方あるまい、拙僧が初めて夕娥に会った時も、お主のような顔を浮かべていたからな……
ちょっと待て……誰に会ったって!?
(サガが走り去っていく足音)
拙僧は――待て、あそこの灯、もしや番頭殿の店舗か?まだ逃げていなかったのか、これはまずいぞ!
(ラヴァが走り去っていく足音)
ちょっと待て!
……
ガゥ……
……よしよし、落ち着いて。
なんでみんなを驚かすの?彼女はなんて言ってたの?
……そう……相変わらずなのね。
……番頭殿!
……さあ、お行き。
ガゥ……
(サガとラヴァが駆け寄ってくる足音)
番頭殿、ご無事か?
私は大丈夫です……そちらの方は?
ああ、こちらはラヴァ殿、村の皆々が口にする例の来客だ。
お会いできて光栄です。
こちらはこの店舗の女主人の黎殿だ、文字一つで「黎」、黎明の黎だ。
……あのバケモノには襲われてないか?
会ってすらいませんよ。
……
黎殿、あの墨魎たちがまた来るのかもわからぬ、拙僧らをここに匿って、様子を見させて頂けぬか?
……ええ、わかりました。