数日後
今日もスティッチは広場で設計に勤しんでいる。
都市の最終改築は地上避難計画と同様に、全市民による監督が必要な作業だ。
ドームはこの都市の顔のような存在だ、自然と重きを置かれる。
そのため、必然的に広場で全員が見守る中で作業を行う必要があるのだ。
それをマスター・イェギーが言うには、“時間の節約”らしい。
クソジジイ……オレにこんなことをさせやがって、絶対面白がってるだけだろ。
下でほくそ笑むイェギーと、ぷるぷると歯がゆく怒りに震えるスティッチ。
だがそんなスティッチですら、自分がこんなにもはやくこの場に慣れたことに驚く。
他人から挨拶されても、他人の意見を聞き入れなければならない時も、または自分の意見を固持するあまり他人と大喧嘩したとしても――
彼が想像していたものほどの圧を感じることはなかった。
下でほくそ笑んでいるイェギーに対して今でこそ恨み節を抱いているが、スティッチは内心しっかりと他者の考えを思いやりながらペンを動かして線を引いている。
そう、他人がスティッチを思いやっているのと同じように。
はぁ、スティッチめ、結局どう足掻いてもほかの人と諍いを起こしてしまうか。
ちょ~っと意見を言っただけですぐにガミガミと……まったく。
だが、それで人を納得させてしまう設計を作れるのはさすがとしか言いようがないな。
ヴィンチよ、お前が今どこで何をしてるかは分からないが、少なくともスティッチのことについてならもう心配はいらんぞ。
おっといかんいかん、忘れるところだった。
おーい、スティッチ!
なんだクソジジイ!こっちは今忙しいんだ!
先日ドームで事前検査をした際、そこで手紙が見つかったんだ。
手紙?
そう、手紙。しかも君宛てだ。
まさか……!?
私はヴィンチ・キャンパス、ゼルウェルツァで最も偉大な建築デザイナーだ。
この手紙は私がドームの頂に置いたものである。
どうか次にこのドームを改造する担当者にこの手紙を開けてもらいたい。
それが私の最愛の弟子であることを切に願っている。
そんな最愛の弟子にために、この手紙を残そう。
だがこの手紙を渡すのであれば、ぜひとも改造担当者となった彼に渡してもらいたい。
もし渡せなかったのなら、それは彼の失敗を意味するだろう。
カチ、ごめんなさい。
ん?
私もあなたみたいにスティッチを……
気にしないでくれ。人の性格は千差万別だ、キミの考えも理解はできるよ。
もしボクがもっと早く気付いていれば、事態もこんなことにはならなかっただろうね。
今からでも遅くないよ、ここに残ったらどうなの?
いいんだ。
はぁ、なんだか申し訳ないね、カチくん。
そんなことないよ、エリジウムの兄さん。あの時兄さんがくれたアドバイスには感謝してるさ、ボクもハッとなった。
最初はただ単にスティッチを刺激するために言い出したことなんだが、今はもう違う。本気でマスター・ヴィンチを探そうと思うんだ。
スティッチの今を教えてあげれば、あの方もきっと喜ぶだろうしね。
まったく、立派なもんだよ君は。
そのマスター・ヴィンチがあれだけ弟子のことを気遣っていたのならさ、おそらく鉱石病を治す方法を探しに地上へ向かったんじゃないかってボクは思うよ。
もしそうだとしたら、ボクも上に帰ったあと人探しを手伝ってあげよう。
ふふっ、もしかしたらいつかロドスにも来ちゃったりして。
おお、それはすごく助かるよ!
ボクの言いたいことは分かってくれたかな?
うん、また会おうってことだね。
だったらボクもゼルエルツァ再建のために尽力しなきゃだ。
その時は絶対にまたスティッチと一緒に素晴らしいデザインの数々を生み出してみせるよ。
フッ、だったらボクの巨大な彫像ってのはどうだい?
それは――却下かな。
これでもダメか!
まず、勝手にいなくなってすまなかった。
だがこうでもしなければ、お前はずっと独り立ちできないままでいた。
いや、私のほうこそ子離れできそうにないと言ったほうがいいだろうな。
お前は天才だ、スティッチ。
鉱石病で短い人生を送るハメになったかもしれんが、そのおかげでお前は命のなんたるかを考えるようになった。
おまけにデザインもさらなる進化を遂げられた。
お前が知らなくても、私はずっとそれらを傍で見ていた。
おらおらシャキッとしろ!今日はここら一帯の洞窟を全部繋げなきゃならねえからな!
だそうだ、ヨギ!
おうよ、兄貴!
ふわぁ~、何もこんな朝っぱらからじゃなくてもいいじゃないの。
何を言ってんだい、姐さん。
これはガヴィルから仰せつかった俺たちのミッションなんだぜ?
あいつは俺の命を救ってくれたんだ、だから今すぐにでも地下に潜って向こうが元気してるかどうか見てやらなきゃ気が気じゃねえぜ。
あなたがおっ死んでも向こうはピンピンしてるわよ、心配するだけ損ね。
はは、それもそうか!
そうそう、明日からパーディシャのところに行って首長のことで話し合わなきゃならなくなったわ。
だからあなたたち、明日からしばらくズゥママに世話してもらうことになったからちゃんと言うことを聞くのよ、分かった?
オレもついて行ってやろうか?
パーディシャはロクなもんじゃないって、この前言ってたじゃねえか。
あなたがついて来たところで骨の髄までしゃぶりつくされるだけよ、文字通り無駄骨ってやつね。
心配しないで、伊達に数年トランスポーターやってはいないんだから。
まっ、そういうわけでズゥママ、あとは頼んだわよ。
ああ、任せてくれ。
アイアンハンド用の特注装備“山崩しアックスMk3”も用意できているんだ。
こいつさえいれば、私たちの作業効率も三倍になる!
だから私一人に任せてもらっても問題はないぞ。
……あなたってばたまにガヴィルよりもおっかないわね。
だが同時に、そのせいでお前は少々焦り過ぎてしまっている面もある。
自分のスタイルに拘るがあまり、ますます人との交流を避けるようになってしまった。
それを私はとても憂いていたよ。
そういえばアヴドーチャ、地上に上がった後はどうするの?
どうするとはなんです?
もしや妾があんなことを打ち明けておきながら、地上へ戻って暮らすとでも思っておりますの?
妾なら必ず戻りますわよ、再びゼルエルツァが蘇った時には。
なにか問題でも?
いや……ちょっとイナムとの話を思い出してね。
もしこの先地上へ向かうのであれば、彼女が私と商売してくれるだけでなく、ロドスっていう会社も紹介してくれるって言ってくれたんだ。
ただこっちはまだ全然地上を理解できていないからさ、だからそれまであなたが私の代わりにやりとりをしてもらって、私はそこから色々勉強しておくって約束しちゃったんだ。
それって……
妾を売ったんですの!?
ごめんねアヴドーチャ!でもどうしても地上で商売してみたいんだ、だから力を貸して、お願い!
ななな、なんてこと……!だからあれだけお酒は控えなさいと言っておいたのにあなたってば!
本当にゴメン!!
孤高と崇高というのは、いつしかその者に錯覚をもたらす。
理解してもらえなかったのは他人のせい、自分の作品が認められなかったのは他人にセンスがなかったという錯覚だ。
時としてそうではない場合も確かに存在はする。
無論だが、自分の拘りを固持し続けても構わない。
だが、もしその拘りが本当に自分にしか理解できないほど精巧なものなのであれば、それをもっと他者にも分け与えてシェアするべきだとは思わないだろうか?
(ガヴィルが荷物を下ろす)
ふぅ、このバカでけえ柱はここに置いておきゃいいだろ。
まさか広場までをも弄るとはな、まったく徹底してるぜ、ドゥリンたちは。
ガヴィル。
ん?どうした大祭司?
お前は今、歴史そのものを作り上げておることになっているんだが、自覚はないのか?
そうなのか?
ずっと地下に暮らして、一度も地上と真っ当に交流をしたことがなかったドゥリンたち。
そんな人たちがお前の決断とお前自身に影響されて、一つの都市に住まう全員が地上へ向かうことを決意した。
それによりアカフラは、この大地で初めてドゥリンたちと密接な交流を持つ土地となるだろう。
未来に生きる後代の連中はきっと思いもしないだろうな、これがただ単にガヴィルという人物の思いつきによるものなのだと。
言われてみりゃ確かにそんな感じがするな。
でもよ、それっていいことじゃねえの?
はっはっは、確かにそうじゃな。
歴史というのは往々にしてそういうもの――それをお前に言いたかった。
ドゥリンたちが地下に住むことになったのは偶然だったのかもしれんようにな。
つまり、歴史とはお前にいとも容易く破壊されたアカフラの伝統と同じように、畏敬の念を抱くべきようなものでもないということじゃ。
そいつはどうかな、歴史をきちんと理解してる人たちはスゴイってアタシは思うぞ。
たとえばケルシー先生が一番の例だ。
ケルシーが?ふむ……彼女と数回会話した限りの印象では、彼女こそこの大地で一番歴史というものを蔑視してる人だとワシは思うておる。
そうなのか?
当然じゃ。いや、蔑視してるというよりは、理解してしまったがゆえにどうすることもできないと半ば諦めているようだったと言ったほうが正しいか。
まっ、これはまた今度の機会に話そう。
ズゥママから聞いたぞ、何やら色々と迷った末に自分の考えを貫き通し、この先もそれを貫くと言ったらしいじゃないか。
おう、だってズゥママたちが言ってたからな、アタシを支えてくれるって。
ってことは爺さん、お前もずっとアタシらと一緒にいてくれるのか?
ほっ、こんなジジイすら見逃してくれんとは容赦がないのう、ガヴィル。
今はズゥママと一緒に機械を弄る生活には満足しておるからな、当然じゃろ。
長生きし過ぎると生きる目標も見失ってしまうものじゃ、まあお前には分からんだろうが。
ああ、分からねえ。
それでいい。ガヴィルたるもの、そうでなくてはな。
お前の思うままにどこへでも突き進むがいいさ、どこまで行けるのかワシも気になるところだしのう。
それはいいんだけどさ、なんでアタシのところにやって来たんだ?機械が弄りたきゃズゥママのとこに行けばいいだろ。
そんなの――追い出されたからに決まっておるじゃろ!
ドゥリンたちが作ったロボットはビッグアグリーよりも可愛げがないなと言ったら、急に怒り出したんじゃ!
まったく、少しは年寄りのことも労わってやらんか、あのバカ者め!
……それは爺さんが悪い。
世の中には、自ら経験しないと一生理解し得ない物事だってある。
だから私はお前に一つ難題を残してやった。
次の設計代表になるまで……
自分の作品には深い意味があるのだと、ゼルエルツァの全員を説得してやれるまで……
私がお前の傍へ戻ってくるつもりはないし、探しに来てもならん。
私たちは建築デザイナーだ、人々に満足いくデザインを提供することこそが本分である。
お前もいつかは気付くだろう、デザイン上の欠陥でも、施工する上に産まれる困難でもなく――人々を説得することこそが最大の難題であるとな。
うおお、なあトミミ、感じたか?
はい、はっきりと揺れましたね。
エレベーターに乗って上まで上がってきたってのに、まだ揺れが伝わってくるとはな。
こりゃ下はすげーことになってるに違いねえ。
でも、誰一人欠けることなく全員避難ができたのは本当によかったですね。
そうだな、これもみんなが力を合わせてくれたおかげだ。
ふぅ……
おいおい、大丈夫かよ?ムリするなって言ったのに、結局最後までここに残りやがって。
都市が崩れていくところなんざ、インスピレーションなんかなんも得られねえだろ?
どうせあなたに言ったところで理解されるはずもありませんわ。
これが……あの都市の最期なのですね。なんとも……感慨深いものです。
……師匠、オレにとっちゃ確かにめちゃくちゃ難しいことだけど、それでもオレ……できる限りやってみるよ。
あいつ、なんかブツブツ寝言を言ってるぞ?
スティッチさん……とってもお疲れの様子ですね。
それもそうか。これまでずっと頑張ってきたもんな。
最後にはマジで改造案を描き上げたし、工事をやってる間も毎日現場を走り回ってたし、挙句の果てにこうして最後までここに残りやがったし。
以前だったらこんなにも責任感のあるヤツだとは思いもしなかったぜ。
そうですね、私も見直しちゃいました!
うっし、都市の最期も見届けてやったことだし、アタシらもそろそろ帰ろう。
ここに残ってるのもアタシらだけだ、みんなが待ってるぜ。
はい!
おい!なんでガヴィルたちが全然帰ってこないんだ!まさか何かあったんじゃ……!?
おい、そんな縁起でもねえこと言うなよ!
来たぞ。
ねえ、アヴドーチャまだ来ないの?はやく大滝に行って遊びたいんだけど……
先に行ってればいいじゃない。
それはダメだよ。ほらあれ、なんて言ったっけ?そうそう、歴史的な発見ってやつ、それを一緒に見届けてやんないとフェアじゃないじゃん。
洞窟の前で、ドゥリンたちとティアカウたちがその入口を隙間なく囲んでいる。
みんな、最後にエレベーターを乗って上がってくるガヴィルたちを待っているのだ。
そこへガヴィルたちがようやく上がってきた、ニカッとした笑顔を見せながら。
彼女は右手を上げ、同じく笑顔を見せて来るドゥリンとティアカウたちにこう呼びかける。
今日はめでたい日だ。みんな、湖んとこでパーッと遊び尽くそうぜ!
そう言い終えるや否や、周りからけたたましい歓声が一斉に上がった。
今日のアカフラは、いつも以上に賑やかだ。
きっとこの先も、ここはさらに賑やかな場所になるだろう。