11月28日 5:00p.m.
カジミエーシュ南部、車両すら通り辛い畦道
ムリナールさん、もう一度よく思い出してみてください。
あなたがヴィストゥラン社の代表とゲール工業の契約を入札会で競ってたところを、私たちは確かに見たんですから!
すまないな、記憶にない。
確か三年前、つまり血騎士がメジャーでチャンピオンになった年ですよ!入札会のパーティでも、ちょうど授賞式がテレビで流れてたじゃないですか!
昔から騎士競技にはあまり興味がないんだ、憶えていないな。
それにそのパーティでゲール工業の責任者全員と乾杯を交わして、お顔が真っ赤になるまで酔い潰れちゃったはずですよ?
今もあの場面をよく憶えています。まさかあんな大企業のセールス部門が案件を取るのにも一苦労を要するだなんて。
でもいい結果が得られたんじゃないでしょうか。その責任者たちもあなたには結構いい印象を抱いてましたし、最後には――
すまないが、これ以上は馴れ馴れしいくしないでいただきたい。
私たちは偶然、道を同じくしただけだ。助けてもらったと見なしてもらわなくて構わない、無論お前からなにか見返りをせしめるつもりもない。
まあまあそう言わずに。あなたと会っていなかったら、今頃まだ荒野で迷子になっていましたよ!
それに馴れ馴れしくしてるつもりはないんです、ただ本当に感謝したいだけなんですよ。大騎士領に戻ったら、必ず改めてちゃんとお礼を言いに来ますね!
ならしっかりと道を覚えて、足元に気を付けて帰るんだな、テイ――
(女性が倒れる)
ご、ごめんなさい!ヒールが高いものですから、足がぐらついて……
……テイシュット殿。
本当にごめんなさい、こんなドジなところをお見せしちゃって!うぅ……リップクリームどこに落しちゃったのかな……
でも書類を全部ファイルに入れておいてよかった~、汚しちゃ大変だよ。
すみません、すぐハンドバックを片付けますので、少しだけお待ちくださいね。
……とりあえず少し休もう。
あっ、そうしましょう!
本当にすいません、ムリナールさん。レンタルした車が壊れなかったら、こうしてご迷惑をおかけすることもなかったのに。
昨日レンタルショップから借りてホテルまで走らせることはできたんですけどね、今朝急に動かなくなっちゃって。あとで絶対お店に問い合わせないと。
あっ、もし今後こういった問題にでくわしたら、いつでも私を呼んでくださいね!こういった契約関連のことは得意なほうなんで!
……結構だ。
あっそうだ、まだ私がこれから受け持つ事案のことはまだ教えてませんでしたよね?
今私たちがいるこの村はカミェン村と言いまして、本来はマレックという貴族騎士の土地だったんですけど、七年前にここの土地所有権を担保にゲール工業へ渡しちゃったんです。
その後に、彼はまたここに住んでいる村人たちに土地を売りさばきましてね。
村人たちのほうもやっと自分たちの土地が手に入ると躍起になって、税金十年分の値段でそれぞれの農地を買い上げたんです。
でもマレックさんが亡くなった半年前、ゲール工業がようやくこの村の開発に取り掛かるといった時に、この土地の所有権がもうしっちゃかめっちゃかだったことが発覚しまして。
土地を買った村人のほとんどはローンを返し終えてないし、買った土地の所有権は自分たちの元にないしで、ホントひどかったんですよ?
……聞きたいと言った覚えはないんだが。
あれ?提携先の企業さんの不祥事ネタにご興味があると思ってたんですけどね~。
正義を行使する弁護士の話に興味はない。
正義を行使?いやいや、そんなことありませんよ……私もただ仕事をしてるだけですから。
そうだムリナールさん、どうして大騎士領を離れたんですか?もしかしてあなたも出張で?
休暇だ。
休暇ですか、羨ましいですねぇ……
はぁ、こっちはもう最後に休暇を取ったのがいつだったんだか……確か黒騎士が優勝した時だったかな……?
黒騎士に賭けたら当たったもんですからね、それで自分にご褒美をあげようとは思ってたんですけれど……
まあ、すごい儲かったわけでもないんですけどね。
(電話のバイブ音)
あっ、すいません!ちょっとお電話を!
あぁこんにちは~。大変申し訳ありません、ちょっと道中で車が故障してしまったものですから、まだ予定した場所には到着していなくて……
いえいえいえ、時間通りそちらへお伺い致しますのでご安心ください。ええ、必ず今日中に商談を交わした後には企業のほうへ折り返し連絡致しますので。はい、はい。
ええ、もちろん!今回のご依頼で発生した過失はすべてこちらが受け持ちますので――あっ、切れちゃった。
はぁ、また戻ったら所長の顔色を窺わなくちゃならなくなった……こんな遠い場所まで派遣されただけでも億劫なのに……
村の土地が一方的に買収された訴訟を対処しにここへ来たと、さっき言っていたな?
はい、そうですけど?
だがさっき電話で「企業のほうへ折り返し連絡を入れる」と言っていたぞ。
あー、ちょっと何か誤解しちゃってるみたいですね。
確かに今回はこの土地が買収された訴訟の件で来ましたよ?でも私ゲール工業側の代理人なんです。
やっと……ついたぁ!
……
ムリナールさん、疲れてませんか?よかったらどこかで休憩されます?
すみません、弁護士のテイシュットさんですか?
あっ、はい、私です!以前連絡して頂いた弁護士のハムさんですね?
遅れてしまって申し訳ありません!見ての通り、ちょっと途中で事故を起こしちゃいまして……
お気になさらず、ここは大騎士領からかなり離れてますからね。事故の一つや二つぐらい起こってしまうものですよ。
ではムリナールさん、案件の処理が終わったら飲みに行きませんか?私が奢りますよ。ここには独自で醸造したビールが置いてあると聞きましたから。
いや結構だ。
そうですか、じゃあ分かりました!ここまで送って頂いてありがとうございます!
ではテイシュットさん、商談よろしいですか?
あっ、はい!よろしくお願いします。
では、こちらへ。
(さすがは大企業の弁護士だな。出張するにも専属のアシスタントがついてくるとは……)
この案件を受け持った際、ここの住民らに法律の条文を一つ一つ丁寧に説明しなければならないと思ってたんですけど、あちらも弁護士を雇ってくださったんですね。
ええ、ただまあ直接呼んで頂いたわけでもないんですけどね。ここの住民らが“カジミエーシュ村落紛争調停協会”という民間組織を経由して私を呼んだんですよ。
そうなんですね~。でもまあ、専門家の弁護士を雇ったほうが、何かと面倒事を色々と省くことができますもんね。
ではハムさん、商談を始める前に、いくつか根本的な問題点を確認させてください。
以前連絡して頂いたように、もうすでにそちらが住民たちに土地所有権に関する諸問題を伝えて、住民の皆さんも立ち退きに同意した、で間違いありませんか?
はい、マレックさんの唯一の継承人であるご子息のマレックJr.さんにも連絡してみたんですけど……
今は征戦騎士として勤めていまして、あまり今回の問題については興味がないと仰ってました。
ですので、今回は妥当に土地所有権の問題を解決して、住民らを安心させましょう。
なんせ皆さん、できるだけ国民院のあの複雑な審議は避けたいと思っていますから。
もちろんです、時間が一番大事ですからね。簡潔に終えられるのなら何よりです。
村の皆さんからはそちらとの協議に関する交渉をすべて私に一任して頂いております。ですのでこちらもなるべく住民らのために真っ当な立ち退き補償を得る必要があります。
では、まず住民らが提示された賠償金額について説明致しますね。
ゲール工業さんには、各住民らが所有していた耕作地面積の10対1の割合に応じて住宅面積を割り当てて頂き、さらには各住民らに八万マルカの立ち退き手当を補償して頂きたいと存じます。
その金額をどう割り出したのか教えて頂けますか?
専門的な市場調査と、村の皆さんが議論して出された金額になります。
立ち退きに際して住民らの生活に及ぶ影響とゲール工業さんの資金面のことを考慮すると、双方にとっても公正な金額なのではないでしょうか?
えーっと、商談ですからね、もちろんそちらがつけ値を提示する権利はありますよ――ではこちらからもゲール工業が提示する金額をお伝えしますね。
各住民らが所有していた土地面積の3対1の割合に応じて、都市で住宅を提供致します。その際はそれぞれに八百マルカの立ち退き手当を保障致しますが如何でしょう?
……
あれ?ちょっと聞き取りづらい箇所とかありましたか?じゃあもう一度――
テイシュットさん、今は冗談を言ってる場合ではないと思いますよ。
冗談を言ってるつもりはありませんよ?
であればなぜこのような賠償金になったのか、一からご説明致しますね。
ええ、お願いします。
カミェン村の隣にあるジルドゥウォ村を例にしましょう。
そこの領主は去年、ミェシュコ工業と取引をし、領地にあるほとんどの農地を売り払いました。その金額は最終的に1ヘクタールあたり60万マルカになります。
またジルドゥウォ村の農地の質や地理的環境はどれもカミェン村のとは酷似しておりますので、先述した金額を参考するには十分だというのがこちらの結論になります。
その事案ならこちらも知っております。ただあの村とカミェン村を同一視するにはちょっと軽率なのでは?
詳しく説明して頂けますか?
まず、大騎士領から直線を結んだ際の距離はどちらの村も同じです。しかしあちらには舗装された幹線道路がある一方、大騎士領からカミェン村に行く際は険しい山道を通る必要があります。
交通の便からして大きな差がありますよね?それに村の敷地事情の話になりますと、カミェン村はほとんど山地に土地が占有されています。
また、先ほど仰った“農地の質”も漠然とした指標に過ぎません。もし農地としての土地の価値を算出するのであれば、生産された作物を指標に土地の価値を定めたほうがよろしいかと。
ジルドゥウォ村には各種糧食の生産から食品の加工といった生産ラインを自前で所持しています。それに応じて土地の価値も高いことでしょう。
しかしカミェン村の主要な生産作物はホップのみで、村唯一の醸造工場も数か月前には倒産しています。あと何やら深刻な環境汚染問題も抱えているとか。
ですのでカミェン村の土地を査定するにあたっては、作物の市場における売り上げと先ほど申し上げた交通の便も考慮に入れたほうがよろしいかと思います。
各方面をざっと分析した結果、二つの村が所有する土地の価値にはこれほどの差が生じております。ハムさんが仰った“参考するには十分”といった根拠はどこにありますか?
確かにそれも一理あります、ただ私たちが出した賠償金額は何も土地の価格だけのものではありません。
立ち退きに際して住民らの生活も大きな影響を受けてるのは明白でしょう。ですのでゲール工業さんにはそれに対しても補償を出して頂きたいのです。
ハムさん、この村の統計の資料をご覧になられたことはありますか?
十年前、カミェン村には215世帯もの人口がいて、そのうち農業に従事してる人は85%で、耕作地を利用する割合は95%でした。
今、その各項目の数値はそれぞれ137世帯と15%と21%となっています。
つまり今、ほとんどの住民はすでに軽工業や手芸を主な産業としていることになっていますから、ゲール工業が耕作地を割合に補償を支給するのは……
ちょっと欲張り過ぎなんじゃないでしょうか?
しかしですね、こちらも住民らの生活がかかっているんですよ。
ハムさん、十数年前まで大騎士領内のあちこちにまだ存在していた新聞屋を憶えていますか?
騎士競技のチケットを買えなかった人たちが真っ先にそこで出来上がった新聞を手に取って試合の最新情報を入手していた場所です。
ええもちろん、私も昔はよくそこに屯していましたから。
しかしそういったお店も、近頃は都市ネットワークと物流が発達したせいですっかり大都会では見かけなくなりましたよね。
それで営んでいた人たちは今どうしていると思います?あの人たちは政府から補助金を受け取ったのでしょうか?これはハムさんが仰ってた“公正”に当てはまるのですか?
その例えはあまり今回の事案とは合致しないとしか……
歴史の話をするのでしたら、こちらも一つお伝えしましょう。テイシュットさん、各国の歴史において、終わりのない土地の併合はいつだって不安定な要因となっているのはご存じかと思います。
今日交渉したカミェン村の土地価格も、いずれはほかの村が土地を交渉する際の参考になり得ます。
仮にもし国民院が今回の一件に介入するのであれば、ゲール工業さんが常識外れの低価格でカミェン村の土地を購入することを、はたして向こうがよしとしてくれるでしょうか?
ハムさん、どうやら一つ基本的な概念を混同してしまっているようですね。
こちらが今交渉しているのは“補償金”であって“購入金額”ではありません。マルクさんがすでに住民らが交渉する以前にゲール工業と取引を完了させていますからね。
民法に則れば、カミェン村の土地所有権はすでにゲール工業が持っていることになります。
ですのでゲール工業はあくまで社会的責任を果たすために住民らへ補償を出すに過ぎないのですから、その補償金を土地の購入金額に結びつけるその理論は、あまり辻褄が合いませんよ?
そ、それは……
しかしですね……あなたが提示した金額は到底住民らが受け入れられるようなものでは……
もちろん、これはあくまでつけ値です、討論する余地はまだ十分残されております。最悪の結果になったとしても、双方ともまだ国民院に仲裁を要請する権利は保障されているのでご心配なく。
しかしその際は、今日話された内容をそっくりそのまま裁判官に陳述する必要があります。法廷でさらに高値の補償金を勝ち取り自信があるのでしたらそのままでも構いませんよ?
それは……
では、改めて議論に戻りましょうか。“公正な”補償金は一体いくらぐらいになるのです?
今回の商談が無事成立したことで、かんぱーい!
か、乾杯……
――っぷはぁ~!いや~こんな気楽に飲んだのは久しぶりですよ、今回の出張もまったく悪かったってわけでもありませね~。
あなたにとってはいいかもしれませんが、私にとっては災難でしたよ……
そんな落ち込むことはないですよ、ハムさん。常勝無敗の弁護士なんて存在しないんですから。それに今回は単なる民間での商談でしょ?予期していた金額を取得できないのはって普通ですって。
弁護士の職業人生はまだまだこれからなんですから、この先また頑張れば大丈夫ですって!少なくとも今はビールでも飲んでリラックスしましょ!
実は前々からお名前は伺っておりました、テイシュットさん。
レッドワイン紙もこの前わざわざあなたが受け持った事例の無敗記録を記事に起こしたぐらいですからね。凄腕揃いの“ヴォーゼ法律事務所”の中でもあなたはエース級ですよ。
そんなに褒められると照れるな~……
だからこっちも、ゲール工業さんがあなたを送ってくると知った時は覚悟を決めましたよ。今回の商談は簡単にはいかないぞって。
なるべく最大限の準備はしておいたんですけどね……想像するよりも敏腕な方でした。
そこでテイシュットさん、一つご教授して頂きたいことがあります。
プロの弁護士の視点から見て、今回の私は一体どこに落ち度があったのでしょうか。
うーん、場数はこなしてると思いますけど、一つだけミスをして見逃してしまってるところがありましたね……
ミス?
まあまあ、せっかく一仕事終えたんですから仕事の話はナシにしましょ!ほらほら、せっかく出会ったんですからここらでもう一回かんぱーい!
ではテイシュットさん、商談が成立した以上……もう一つだけ教えて頂きたいことがあります。
今回の土地所有権の案件で、どれくらいの金額を稼げましたか?
こりゃまたセンシティブなことを聞いてきましたね……うーん、でしたらまずは当ててみます?
あなたの大騎士領内における著名度を考えて、つけ値の範囲内に収まるとすれば、少なくとも五万マルカほどでしょうか?
うーん、もう少し考えてみては?
まさか10万ですか?
(首を振る)
……これ以上は遠慮しておきます。
100万です、ゲール工業からは100万でこの事案を解決してくれって頼まれました。つまりこの予算内で勝ち取れば、残りのお釣りは全部私がもらうことになってるんです。
はぁ、まあ税金はどうしても免れませんけどね。
そんな大金、一生稼げそうにないです……
ところで、ここのビールは本当に美味しいですね!大将、もう一杯お願いします!
当然じゃないですか!うちのビールは独自の発酵製法で作ってますからね、ほかの場所じゃこの味は飲めませんよ。
ウソ!?独自製法なんですか?
それでしたらお嬢さん、その秘伝のレシピを私に売ってくれませんか?値段交渉はそちらにまけてあげますから。
無理でーす、お父さんも絶対売ってくれるとは思えませんし。
それにレシピだけ買っても意味ないですよ、この村に生えてるホップで作ったらこそこの味を出せてるんですから。もし気に入ったのなら、多めに買ってくれてもいいですよ!
……この村はもう商業連合会に買われちゃいましたからね。今のうちに買っておかないともう買えないかもしれませんよ?
うぅ、残念……
ところでテイシュットさん、私の今の実力ならヴォーゼに入れると思いますか?
ぶフッ……ゲホゲホッ……はい?
実力不足なのは自分でも分かっています。でも、それでもどうかお願いします!実習でもいいので紹介してくれないでしょうか……一生懸命頑張りますので!
良かれと思って村の代理弁護士になった方ですから、てっきり大企業専門の弁護士を見下していたんだと思っていましたよ。
いえ、そんなこと滅相もありません……弁護士とは本来、依頼人のために利益を勝ち取るのが本分ですから、私があなたを見下す謂れなんてありませんよ。
依頼人がそれぞれ大企業と一般人となれば、それこそ“公正”とは言えないのでは?
私はこの業界に少なくとも五年は従事してきました。今さら“公正”なんてものがあるとは思えませんよ。
机に積み重なった分厚い法典を漁っても、“公正”という二文字は見つからないでしょうね。
確か法学の教材にも何か書いてありませんでしたっけ?規律は不条理をもたらすだけであって公正をもたらさない、とか……
「公正を実現するために法を制定する考えは愚かで不条理である」ですね。
そうそう!それです。
こんな一介のしがたいない弁護士風情が、ましてや大騎士領でまともな家すら借りられないっていうのに、公正を実現するなんて無理な話……あの、テイシュットさん?
あっ……すみません、少しボーっとしてました。
さっきの若い店員さんに、私がここにいるみんなを追い出そうとしている悪い弁護士だってことを知られたら、ここから追い出されちゃうじゃないでしょうかね。
すみません、ちょっと飲み過ぎちゃったみたいです。少しだけ外で風に当たってきますので、法律事務所のことはまた今度お願いますね。
ふぅ……
……
テイシュットは顔を上げ、ふと自分の長い溜息はこの場には相応しくないことに気が付く。
静かな夜に包まれた彼女は、自らがカーテンを下ろし、連綿たる灯火を遮っていたことに初めて気が付いたようだった。
大騎士領の外の夜空って、まだ星が見えていたのね。
もう何年だろ、こんな星空を見なくなったのは……
(回想)
初めまして、テイシュットと申します!本日新しく入った実習生です!
今回は私が初めて受け持つ仕事ですので、全身全霊を尽くして法の威厳と公正を守っていきたいと思います!
(あれ、なんでみんな笑ってるんだろう……何かおかしなことでも言ったのかな?)
(回想終了)
はぁ……あれからもう随分と経っちゃったなぁ。
(ムリナールが近寄ってくる)
ムリナールさん!?まだここにいたんですか!
よかった~!昼間はごたごたしてたし、てっきりムリナールさんもすでに行っちゃっただろうと思ってましたから、お礼を言いそびれちゃいました。
……歩いていた道が交通事故で封鎖されてしまったものだから、引き返してきた。
それと、お前の所持品だ。
あっ、会社の制服につけてた社員証……紐が切れちゃってる?まさか転んだ時に取れちゃったのかな……
誰かが落とした場所に印をつけてくれていたぞ。
えっ?
あ、あはは……あ、ありがとうございます!いや~無くさなくて本当によかったです……
嬉しそうだな、どうやらゲール工業のためにがっぽりと稼げたんじゃないのか?
まあそれなりには……あの、もしかして私のことを悪徳弁護士だって思ってます?
そんな失礼なことを言うわけがないだろう。
……ムリナールさん、一つ聞いてもいいですか?
あのゲール工業が持ってるプロジェクトの入札会の後、相手のヴィストゥラン社が建築素材の品質管理問題で起訴されたことは知ってます?
……新聞で読んだことがある。
手抜き工作が跋扈してる大騎士領内でも、記者たちは一応その一件を記事に起こしてくれた。
おまけに国民院から破産に追い込まれるほどの罰金支払いも命じられたものだから、印象に残らないほうが難しい。
やはりご存じでしたか……それとも、とっくに知っていたとか?
……
ヴィストゥラン社のやり方を知っていたから、向こうにあの病院建設のプロジェクトを奪られないために全力でその契約を取ったんですよね?
……そんな甘っちょろいことを言い出すとは、てっきりお前のことを成熟した弁護士だと思っていた私が愚かだったな。
私って甘っちょろいんですか?
お前がどうやってそんなバカげた結論に至ったかは知らないが、少なくとも私に対する侮蔑として受け止めておこう。
いやいや、ちょっとお話したいってだけで別に他意はないんです!すいません……
……もういい時間だ、私は帰って休ませてもらう。
ならせめてここのビールを一口ぐらい試してみては如何です?
ビールは嫌いだ。
(ムリナールが立ち去る)
ちょっとお話しようと思っただけなのになぁ、またなんか変なこと言っちゃったかも……
テイシュットは道端にあるそれほど広くはない田んぼへ向かった。
秋の収穫を経て、田んぼに生えていた藁はまるで天然のマットレスのようにキレイに圧し潰されている。ホップの香りが湿った空気と混ざったことで、とても身に染みる。
そんなテイシュットはその上に寝っ転がり、指を一本伸ばして満点の星々をなぞっては何かを探し始めた。
天秤の形をした星座ってどこにあったっけ?
(着信音)
はい、もしもし。あっ、それならご安心ください、すでに契約は完了しました。はい、問題はありません。
申し訳ありません、今日中に大騎士領へは戻れそうになくて……はい、その際は年休から差し引く、ですね?大丈夫です。
ええ、不備についてもご心配なく。なるべく契約書類を会社のほうへ――あっ、また切れちゃった……
まったく、星ぐらい静かに眺めさせてよね……
私もそろそろ、変わらなきゃなぁ。
ではテイシュットさん、気を付けてお帰りください。私はまだほかにも仕事が残っていますので。
今回の商談、本当に色々と勉強になりました。ありがとうございます……
いいんですいいんです!今度大騎士領に来たらまた飲みましょうね!奢りますよ!
いえいえ、今度は私に奢らせてください……
それと……法律事務所のことですが……
覚えていたんですね、まあ紹介はできなくもないですけど……
でしたらまずは、簡単なテストをしてみましょうか!これを見てください。
これは……ゲール工業さんとマレックさんが取引した土地の売却書類?
よ~く見てください、何かおかしな点に気付きませんか?
契約条項に問題はなし、詳細内容もしっかりしてるし……待ってください、ここの売却人、マレックさんじゃなくてその息子さんになってる!?
当時マレックさんはまだご健在でしたし、マレックさんがこの契約書類をご子息に委託する証明はつけていなかったはず。
だから息子さんはマレックさんに代わってこの契約書類にサインすることは不可能です。
それに……マレックJr.さんは征戦騎士です!こんなにゲール工業さんと商業的なやり取りを交わしてるのはおかしい!
ともかく……今回のこのゲール工業さんとカミェン村の土地譲渡の件は不成立じゃないですか!
そうです、しかし完全に不成立というわけでもありませんよ。マレックさんは亡くなられましたけど、ゲール工業にはまだ譲渡を成立させるための証明手段をたくさん持ってますから。
しかしこれは重要な突破口になり得ますよ……テイシュットさん、こんな重要な機密資料をわざと外部に漏らして大丈夫なんですか?下手したら弁護士の資格を剥奪されるんじゃ……
私は誤って重要な資料を商談の現場に置き忘れてしまっただけです、わざと外部に漏らしたなんて心外ですね。
なるほど、さすがの解釈です……
実はですね、この資料こそがあなたが最初に商談の場でゲール工業側に突きつけるべきものだったんですよ。
ゲール工業側はどうにかして隠し通すはずですけど、こうして突きつけてしまえば向こうもそちらの話を聞かざるを得なくなります。
この点を考慮しなかったところが、あなたが犯したミスというわけですね。
つまり最初から土地の価格を交渉するのではなく、ゲール工業が所持してるこの土地所有権の適法性を否定するべきだったと。
私に言った“ミス”とはそういうことだったんですね?
勘がいいですね、素晴らしい。
的確な証拠とは言うなれば弁護士にとっての銃弾、しかしそれを撃てる銃がなければ弾も威力は発揮しない。どうするべきかはもう分かりますよね、ハムさん?
考えておきます……
サインしておいた契約書類は一応ゲール工業にそのまま送っておきます。ただその際、ハムさんは重要な証拠物を見つけた理由に国民院へ起訴してもらっても構いません。
改めて賠償金を交渉し直すなり、ゲール工業の買収を拒否するなり、お好きにどうぞ。
どちらに転んだとしても、それをご自分の経歴に書いてやってください。その後、ヴォーゼ法律事務所に問い合わせてみても遅くはないと思いますよ?
なぜ……こんなことを?
どうしてそんな大きなリスクを背負ってまで……ここの人たちに手を貸すのですか?
そんな大げさなことはしてませんよ。
ただ、ここのビールに惚れこんじゃったってだけなのかもしれませんね。
ええ、昨日事故に遭ったのがこの人でして、ツヴォネクへ向かう車両でした。
この爺さんことは知ってるんですかい?こりゃまた珍しい。こっちは十数年もこの人の手紙を届けてきたが、爺さんが誰かに手紙を送ったりモノを受け取るところなんて見たことがねえ。
新聞すら買わないような人だったんですぜ、教師だって言われても目を丸くしちゃいますよ。
あっ、今日の新聞は如何です?50ヘレーでいいですよ、面白い事件が載ってますぜ。
聞いた話によると感染者らが自分たちは都市に住めないことで抗議したらしくて。考えてみりゃバカなもんですよ、あいつらを街に入れたがる人なんていると思います?
(ティシュットが駆け寄ってくる)
ムリナールさーん!
車が直ったんですけど、もうちょっとだけ道案内をお願いできますか?
私はこれからツヴォネクへ向かう、大騎士領とは真反対だが?
いいですよ、私もしばらく大騎士領に戻るつもりはないんで。
うん、ツヴォネクに行くのも悪くないかもしれませんね!
何をしに行くつもりだ?
まだ具体的なことは決まってませんけど……
ちょっと休みを取ってから新しい仕事を探す、ですかね!